*核の汚染水を海に流すことに反対します。海はつながっています。
今日は秋の彼岸明け。
この九月は充電期間、ゆっくり過ごそうと思っていたけれど、いろいろ心動かされることがたくさんあって・・・それを書ききれないままでいるのだけれど、でも、ゆっくりと書いていこうと思う。ものすごく遅い歩みだけれど、そのときに書けたほうがいいのだろうけれど、でも、いまは焦らず自分のペースで。
そう決めたら、ちょっと心が落ち着いた。
新涼もようやく感じられるようになったりして・・・(笑)
そして今日は、そのうちのひとつを書きます。
もう十日ほど過ぎましたが、今年三月、突然旅立たれた師・黒田杏子先生を偲ぶ会が9月17日にひらかれました。
翌日の東京新聞にその時の様子が掲載されました→ 東京新聞2023年9月18日
当日は真っ青な秋晴れ。
私は、とにかく早く会場に入りたくて、朝早く家を出た。
二週間前の最後の打ち合わせで、
何があっても決行します
と言い切った実行委員会の方々の言葉を思い出す。
たとえ台風が来ても、もう延期などできない。
これが藍生俳句会の最後のつどいになるのだから。
藍生俳句会HP → 「黒田杏子さんを偲ぶ会」当日の様子
そのときから私が気をつけていた唯一つのことは、「コロナにかからない」ことだった。
畏れ多くも、この会の司会を担当することになっていたからだ。
無事に迎えられた当日。
大丈夫。お天気も、コロナも。
会場の建物をみとめるやいなや大きな看板が目に入る。
いよいよ今日なのだ。
会場では、夫で写真家の黒田勝雄さんが撮影した杏子先生の写真が飾られようとしていた。
黒田さんは最後の打ち合わせで、こちらの写真を持参された。
実行委員のジョニー平塚さんと竹内克也さんが「できうるかぎり大きくします」といって、手配された御写真。
好んでいた布の衣を身に纏った杏子先生の姿。
そして、捧げられた白ワインと直筆の原稿と愛用のペン。
杏子先生は生涯手書きを貫かれ、本当によく文字を書かれた。
(手紙魔・電話魔・FAX魔と、親しいご友人たちが口をそろえて言われるほど)
祭壇の両脇には、ご著書がずらりと並べられた。
それから、会場内に2か所設置されたスクリーンには、杏子先生直筆自作の俳句の色紙(深津健司さんご提供)が映し出され、また、杏子先生が出演なさったテレビ番組の映像(竹内克也さんによる編集作成)も流された。
各テーブルには、黒田勝雄さん撮影の黒田杏子先生のミニアルバム。
開会前から最後まで、ご自由にご覧いただけるように。
偲ぶ会の実行委員会と黒田勝雄さんが心を尽くして考えられた、杏子先生を偲ぶためのこまやかな心配りが会場のあちこちにみられた。
成岡ミツ子さんは会場をくまなく歩きまわり、すみずみまでお客様・スタッフを気遣い、ジョニー平塚さんは司会台の横でしっかりと全体を見渡し、何があっても対応するという構えでいてくださった。ゲストスピーカーのご案内の準備もととのっている。
力仕事や総務にあたるのは、石川仁木さんと田中啓介さん。
受付には藍生俳句会会員のみなさんが当日朝だけの打ち合わせにもかかわらず、さっと370名の名簿をわけて、手際よく迅速に対応。会計は安達美和子さんがしっかりと取り仕切る。
そして、ご参加のみなさんが次々とやって来られ、あっという間に会場はいっぱいになった。
みなそれぞれ杏子先生と親交の深かった方々。
全員で黙祷。
主催者を代表して、藍生俳句会から深津健司さんよりご挨拶。
ご来場のお客様を代表して俳人の横澤放川さま、
60年来のご友人のフリーライター・中野利子さま、のスピーチ。
献杯のご発声、ご挨拶は平凡社取締役会長・下中美都さま。
米国ワシントンから参列の藍生会員アビゲール・フリードマンさん、
俳人・俳句評論家の筑紫磐井さま、
作家・エッセイストの下重暁子さま、のスピーチ。
俳人・夏井いつきさん、作家・嵐山光三郎さんからのメッセージも。
それぞれの方が「黒田杏子」さんを語る。
みながよく知っている杏子先生の姿もあれば、その人しか知らない意外な一面も披露されたり・・・でも、やっぱり「ああ、そうそう」と一同が深くうなずく、そんな場面が多かったように思う。
最後に、ご夫君・黒田勝雄さんが登壇されると、会場はしずまりかえった。
黒田さんは一語一語、大切に言葉を話された。
杏子先生とともに生き、いちばん近くで杏子先生を見ていた黒田勝雄さんの言葉。
杏子は、俳句に命をかけて、本当に俳句が好きであったばかりでなく、
俳句の持つ力について、だれにも負けず、確信を持っていたと思う
確信 ―― 杏子先生のあの力強い口調や筆跡が、突然、私の頭の中を駆けめぐった。
俳句の持つ力に確信を持っていた
それを惜しみなく、私たちに与えてくれていたのだろう。
開会中、ずっとこらえていたものがこみ上げる。
杏子先生。
もう一度、深く息を吸う。
鼻はすすらない。ゆっくり、心を入れて。
「黒田勝雄さん、ありがとうございました。」
少し、涙声になってしまっただろうか。
もうひと息吸って、立て直す。
最後のご案内、そして、感謝を込めて、この会をしめくくりました。
当日、写真は一枚も撮れないだろうと思っていたのだけれど、
金子兜太先生のお弟子さんであり、兜太先生亡き後、杏子先生のもとで学び、活躍されている董振華(とう・しんか)さんが、声をかけてくださって、偲ぶ会の全般を取り仕切ってくださったジョニー平塚さんと一緒の写真を撮ってくださいました。
左・董振華さん、右・ジョニー平塚さん、後ろのスクリーンには杏子先生直筆の色紙が。
帰りにおひとりずつお持ちいただくお引き物には、各テーブルにも置かれていた黒田勝雄さん撮影の杏子先生の写真集が用意され、杏子先生が43歳のときに書かれた文章が添えられていました。これも黒田勝雄さんの心遣いです。「藍生」を結成する前の貴重な杏子先生の文章、俳句に対する情熱を早いころから持っておられたことがよくわかります。
こうして、「黒田杏子さんを偲ぶ会」は無事に終わりました。
あの日、つどってくださった約370名のみなさまとともに、杏子先生を偲び、その思いを共有させていただいたこと、心より感謝します。
実行委員会のみなさま、お手伝いくださった藍生会員のみなさま、本当におつかれさまでございました。
これまでともに学ばせていただき、ありがとうございました。
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偲ぶ会とは別に、もうひとつ。
黒田杏子先生の最後の句集「八月」が出版されました。
髙田正子さん(藍生会員/青麗俳句会を主宰)をはじめとする刊行委員のみなさん(安達美和子さん・後藤智子さん・今野志津子さん・高浦銘子さん・成岡ミツ子さん)のご尽力で、黒田杏子先生が生前、思い描いていた句集が完成したのです。
私は本当に微力ながら、校正に関わらせていただき、この句集「八月」を杏子先生の誕生日である八月十日に手にすることができたという恩恵を受けました。
「俳句は人生の杖。」
杏子先生が常日頃言っておられたお言葉を、髙田正子さんがすくいあげ、帯文に。
正子さんが新たに立ち上げられた青麗俳句会には、この言葉がモットーとして掲げられています。
いま、藍生俳句会は終わりましたが、きっとそれぞれが俳句の杖を持って歩きだしているのだろうと思います。
私は、藍生会員である今井豊氏・中岡毅雄氏が共同で代表をつとめ、杏子先生ご存命のときから結成されている「いぶき俳句会」に2020年に入会し、会員になっています。しばらくはゆっくりとしたペースになりますが、引き続き、ここで俳句を続けていきます。
追記
2024年1月より青麗俳句会にも入会いたしました。
黒田杏子先生の志を継ぐ「青麗」と「いぶき」で、これからも俳句に向き合っていこうと思います。