勝島運河に浮かぶ釣り船 | オ~イパンダのブログ

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日頃、感じたことや知ったことを気ままに綴ります。

直線距離にして東に1kmくらいのところに京浜運河があります。八潮団地の手前になります。何かにつけ目にすることが多く身近な存在でもあります。そうしたこともあってか、京浜運河というと品川区と大田区あたりの運河のことかと思っていました。

しかし、正式には港区の田町近辺から品川区、大田区、川崎市を経て横浜市鶴見区大黒埠頭まで続く運河の総称なんだそうです。
 
さて、そうした長い運河の京浜運河の西側に並行して勝島運河があります。立会川を流れてきた水が合流し、その流れは北に向かい、その後東に向かい京浜運河に合流しています。
埋め立てて品川公園などができる前は、京浜運河と並行して南北に長く走っていたようです。
 
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いまは一見、池のように見える勝島運河ですが、それだけに波もなく河岸には釣り船が静かに係留されています。春は菜の花、秋はコスモスの花に埋もれる勝島運河の両岸ですが、いまはその中間の梅雨。お客を待つ釣り船が静かに浮かんでいます。
 
 
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写真は東側の勝島から撮ったものですが、運河の向こうには旧土佐藩の蔵屋敷や下屋敷があったところです。その関係から浜川砲台跡や坂本龍馬像などがあります。
土佐藩士であった坂本龍馬が最初の上京(留学)時、品川警護を命じられて配置されたのがこの付近とされています。龍馬はここからペリーの黒船を見て大変なショックを受け、その状況を土佐の父に手紙を書いたといいます。最近、砲台の礎石と思われる石が出土し、据えられています。
 
また、鈴ヶ森刑場に近いことから、鈴ヶ森の刑場で処刑される罪人が護送されるとき、その親族たちが密かにここまで見送ってきて涙で別れたといわれる涙橋などもあります。
 
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撮影した場所の勝島ですが、もともとは海でその埋め立ては1939年に開始され、日中戦争に「勝つように」という当時の人々の思いから、この人工島の名前を「勝島」と海軍省により命名されたそうです。
 
ところで、海や川の流れをみているとなぜか落ち着きます。眺めているとなぜか安心します。
これ、どうしてでしょうか。