品川駅南の新八ツ山橋から第一京浜を品川神社に向かって下ってくると、右側に品川女子学院があります。
そして、そこには黒紫色した石盤の碑があります。こんなところに何?
そう、それは与謝野晶子の作詞した校歌の石碑なのです。
刻まれている文字を読もうとすると草書体ということもあり、私には残念ながら読めません。(笑)
当学院のホームページを見るとこう記されています。
校 歌
与謝野 晶子 作詞
薔薇の花は香る
まして此處に学べる少女
清く明るき徳と知識の
花つねに香る
我等品川高女生
薔薇の花は香る
まして我等 平和の使
ともに優しきこころ行い
ゆかしくも香る
人の中なる薔薇の花
まして此處に学べる少女
清く明るき徳と知識の
花つねに香る
我等品川高女生
薔薇の花は香る
まして我等 平和の使
ともに優しきこころ行い
ゆかしくも香る
人の中なる薔薇の花
この校歌は、前理事長「漆光」(うるし・こう)が、昭和10年与謝野晶子に校歌の歌詞をお願いして
できたものだそうです。依頼するために荻窪の与謝野邸を訪れたものの、じつは初対面でした。
しかし、与謝野晶子の長男が、奇しくも漆光と同じ名前「光」であったことから、「私にもあなたと
同じ名前の息子がいるんですよ」と親しく迎えられ、作詞を快諾してもらったそうです。
与謝野晶子は有名な歌人・詩人でもありますが、同時に教育者でもあり、女性の社会的地位を向上
せしめようと活動したジャーナリストでもありました。従って、品川女子学院の理念が、与謝野晶子の
気持ちを動かしたのは間違いないようです 。
出来上がった校歌の歌詞は与謝野晶子本人が学校に届けたそうです。
当時を振り返り、その時の理事長「漆光」は与謝野晶子の印象を「優しいおばさん」と語っているそうです。
なお、与謝野晶子作詞の校歌は全国で三つしかないと言われています。
∞
ちなみに、与謝野晶子の夫は与謝野鉄幹で、孫に当たるのが現在政治家の与謝野馨です。なお、与謝野
晶子はこんなに幅広い活動をしながらも13人もの子どもを生み育てたそうです。やはり、ただの人では
なかった。
品川女子学院の前身である「荏原女子技芸伝習所」は1925年(大正14年)に、漆雅子によって設立されま
したが、その父親の漆昌巌(うるし・しょうがん)は衆議院議員であり、全国町村長会会長や品川町長を
務めています。新聞にも紹介されるように、先見性、壮志、無私の人で、政治家、実業家、そして教育者と
してそれなりの実績を残された人物です。