山頭火の「行乞記」昭和5年ー10/10 | 安 明高 の 生 活

安 明高 の 生 活

日頃の気になること と
坂村真民・種田山頭火さんなどの作品を掲載してます

御先祖の御加護に感謝をし
日本百観音などを参拝の後
お四国を錦札で巡拝できる喜びを感じて
弘法大師・法然上人・親鸞聖人などの魅力を紹介してます。

【南無大師遍照金剛】 * 7

十月十日 曇、福島町行乞、行程四里、志布志町、

        鹿児島屋(四〇・上)

宇佐-25
八時過ぎてから中町行乞二時間、それから今町行乞三時間、

もう二時近くなつたので志布志へ急ぐ、

三里を二時間あまりで歩いた、それは外でもない、

局留の郵便物を受取るためである、

友はなつかしい、友のたよりはなつかしい。

 

 旅の子供は夕べしく/\泣いてゐる
 旅はおかしい朝から夫婦喧嘩だ
・親によう似た仔馬かあいやついてゆく
 みんな寝てしまつてよい月夜かな
・月夜の豚がうめきつゞけてゐる
 月光あまねくほしいまゝなる虫の夜だ
 月の水をくみあげて飲み足つた
 明月の戸をかたくとざして
 故郷の人とはなしたのも夢か
 伸ばした足に触れた隣りは四国の人
 秋の白壁を高う/\塗りあげる
 松葉ちりしいてゐますお休みなさい
・松風ふいて墓ばかり
 踏むまいとしたその蟹は片輪だ
 志布志へ一里の秋の風ふく
・こゝまできてこの木にもたれる
・秋風の石を拾ふ
・人里ちかい松風の道となる
 泣く子叱つてる夕やみ
 飲まずには通れない水がしたゝる
 砂がぽこ/\旅はさみしい
   
ヨタ一句
 こんなところにこんなシヤンがゐる波音

 

安宿の朝はおもしろい、

みんなそれ/″\めい/\の姿をして出てゆく、

保護色といふやうなことを考へざるをえない、

片輪は片輪のやうに、狡いものは狡いやうに、

そして、一は一のやうに!


今日の行乞相はよくもわるくもなかつた、

嫌な事が四つあつた、

同時にうれしい事が四つあつた、

憾むらくは私自身が空の空になれない事だ、

嫌も好きもあるものか。


米価の安くなる事実は私のやうなものをも考へさせる、

飫肥では弐十八銭、油津では二十五銭、

上ノ町では弐十弐銭となつた

(新白米では弐十銭以下だとさへ聞いた)。


今町から志布志まで三里強、日本風の海岸佳景である、

一里ばかり来たところに、

宮崎と鹿児島との県界石標が立つてゐる、

大きなタブの樹も立つてゐる、

石よりも樹により多く心を惹かれるのは

私のセンチメンタリズムか、

夏井の浜といふところは海水浴場としてよいらしかつた、

別荘風の料理屋もあつた、

浅酌低唱味を思ひ出させるに十分だ。


自動車が走る、箱馬車が通る、私が歩く。
途上、道のりを訊ねたり、

此地方の事情を教へてくれた娘さんはいゝ女性だつた、

禅宗――しかも曹洞宗――の寺の秘蔵子と知つて、

一層うれしかつた、彼女にまことの愛人あれ。


草鞋がないのには困つたが、

それでもおせつたいとしていたゞいたり、

明月に供へるのを貰つたりして、

どうやらかうやらあまり草履をべた/\ふまないですんだ、

私も草鞋の句はだいぶ作つたが、

ほんたうの草鞋の名句が出来さうなものだ。


同室三人、

松葉ヱツキス売の若い鮮人は好きだつたが、

もう一人は要領を得ない『山芋掘』で、

うるさいから、街へ出て飲む、

そしてイモシヨウチユウの功徳でぐつすり寝ることが出来た。

(青空文庫作成ファイル)より

 

(続きます)

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆  

 

今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

今日もいい日でありますように 【合掌】

 

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