山頭火34歳の感想 | 安 明高 の 生 活

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【南無大師遍照金剛】 * 7

山頭火34歳の感想

 

現時の俳壇に対して望ましい事は多々あるが

最も望ましい事の一つは

理解ある俳論の出現である。

かつて島村抱月氏は情理をつくした批評ということを説かれた。

それとおなじ意味に於て

私は『情理をつくした俳論』を要望する。


 合しても離れても

また讃するにしても貶するにしても

すべてが理解の上に立っていなければならない。

個々の心は或は傾向を異にし道程を異にするであろう。

しかしながら

それらはすべて真実から出発していなければならない。


 評者の心は

作者の心にまで分け入らなければならない。

広い正しい心は毒舌や先入見や一時の感情を超絶する。

つつましやかにしてしかも力強く

あたたかにしてしかも権威ある批判は

魂と魂、真実と真実とが接触するところから生まれる。

私は人間本来の声――

その声に根ざした俳論を熱求して居る。

 季題論が繰り返される毎に

私は一味の寂しさを感じないでは居られない。

ただ季題という概念肯定のために――

 

むしろ季題という言葉の存在のために

多くの論議が浪費されつつあるではないか。

もしも季題というものが俳句の根本要素であるならば

季題研究は全然因襲的雰囲気から脱離して

更に更に根本的に取扱われなければならない。
 私は季題論を読むとき

季題という言葉よりも自然という言葉を使用する方が

より多く妥当であり適切であると思う。

(「樹」大正5年11月号)

(青空文庫作成ファイル)より

 

(続きます)

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆  

  

今日も命を授けていただきありがとう (^-^)

二度とない人生

だから 今日が大事、今日が大切 

今日もいい日でありますように 【合掌】

 

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