5-10 グローバリゼーション | のこしたいもの

のこしたいもの

ブログの説明を入力します。

現在、世界は自由主義陣営と社会主義陣営に分かれています。いずれの陣営にしても、少なくとも経済面では貿易を通じて交流しています。両者の対立は、主義主張の違いは別として二つに分かれている国家群を一つにまとめてゆこうとしているように見えます。落としどころはあるのでしょうが、両陣営に共通しているのは、世界を一つにしたいという欲望です。
その最終的な形がグローバリゼーション(一極化)なのでしょう。

※私は、グローバリズムの始まりは、第二次世界大戦後の冷戦時、アメリカ合衆国を中心とした西側諸国で、多国籍企業が急成長した時期に広がった考え方だと思っています。

 

グローバリゼーションという言葉は1970年代から存在していました。それがより広まった時期は、東西冷戦が終了してソビエト連邦が崩壊した1992年以後と言われています。

東西冷戦の終結とともに加速したのがグローバリゼーションで、人間社会の原動力ともいうべき経済・文化・思想などを、国境の枠を超えて人々の生き方を共有することを目指したものです。


ここで、着実に進むグローバル化について考えてみます。

グローバル化 グローバリゼーションを推し進めるのがグローバル化(グローバリズム)ですが、グローバリゼーションがもたらしているものを考えてゆきます。

有史以来5,000年余り、人類は戦争を続けながら国家・社会を分裂・分散ではなく統合し続けてきました。「分散の行き着くところは無」なのだから極めて自然な成り行きには違いありません。

 

グローバル化とは地球に生きる全ての人間に共通した価値観を広めて多様性を排除して標準化された一つの文化圏をつくることであり、それが一極化の最終到達点とも解釈できます。
人々の生活は、生存本能を満たしながら、多様な言語・思想・芸術・宗教・経済などを生み出しつつ成り立ってきました。そういった精神活動を支配している人々の価値観を地球規模で共有した状態がグローバル化された状態であり、かなりの分野で進んでいるのが現状でしょう。


言い換えると、多様で雑多な「大人の心」に一つの方向性を持たせようとするグローバル化の過程にあるのが世界の現状とも思えます。
しかし、世界を標準化された価値観で動かそうとするのですからグローバル化の完成は地方にとっては、伝統や独自性の継続を放棄せざるを得なくにならざるを得ません。全ての価値観が標準化されてしまうのですから、標準化されないで残るだろうものは、宇宙開発の成果くらいなものでしょう。

 

統合を終えた地方群が国家となり、様々な、法律・秩序・道徳や生活様式なりに支配されているのが現在の世界です。現在、世界中に分散している約200の国家は同じ思想・宗教・経済体制を持つ国家群となって、少数の国家群にブロック化しつつあります。それが過去においては文明圏であり、現在においては州(アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南・北アメリカ、オセアニア)となっています。南極・北極以外の地球の殆ど全ての地域がいずれかの国家の支配下に置かれているのが現状です。
国の生き方の違いは欲望の産物である思想・宗教の違いに集約され、国家間の対立はシビアで根の深いものになっているように思います。
人々は世代をまたいで、不満を抱きながら、便利に引きずられ小さな世界から徐々に大きな世界で生きるようになってきた訳です。

 

現在、世界は地域としては六つの大陸・州に分かれていますが、実体のない精神活動はインターネットの利用など科学技術の成果を駆使して国境を越え、より広く、標準化された文化圏(?)を形成しつつあります。
東西冷戦は1990年をもって終結し、世界は資本主義・自由主義経済に席巻されつつあり、経済面でのグローバル化は完成したように思えます。

しかし宗教面ではユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教などの対立は続き、争いはなくなっていません。
宗教的対立に決着がついて最終的にグローバル化が完成すれば地球上の人間は限られた価値観・生き方に統合されることになるのでしょう。そうなれば心(人間の生き方)の多様性は制限されてゆき、肌の色や体格・体形が違う人々の行動も標準化してしまうでしょう。

果たして人類はその状態に安住していられるのだろうか、というのが私のグローバル化に対する最大の疑問です。

 

資源が無限にあるのなら、発展し続ける人類の社会が巨大化するのは自然な成り行きです。問題は資源に恵まれない局地的な国々に限られてくるのかもしれません。しかし、資源の限られた国々でも人口は増え続けています。緑の革命を経ても人々は生きることに不安を感じないではいられない状態になっています。
食料となる生物(動植物)の数が限られている限り、人間の数も限られてくるのは当然です。食わなければ死んでしまうのに食料が限られているのだから、これは分かりやすい。
世界には、先進国・発展途上国だけでなく後進や未開の国々もあって、彼らが世界の人口の殆どを占めています。グローバル化が飢える人をなくしてゆくのであれば意味があるのかもしれませんが、現実はそうなっているとは思えません。


時代が進むにつれて、人々の働き口・仕事は増えましたが人件費を抑える機械化の進展は人々から仕事を奪っています。グローバル化は企業規模の巨大化・世界規模化を進めざるを得ません。現状は、一国内での企業の機械化限界(人材不足)を取り払って労働力をより広く吸収しているように思えます。しかし、企業収益に不可欠な購買力・人口の増加と更なる機械化は、賃金と雇用労働者数を抑えざるを得ません。
買う人がいなければ成り立たないのが資本主義の避けられない矛盾なのです。

 

グローバル化は、人口が食料資源の限られている地球に生存できる数の限度を超えないこと、が大前提となっています。
科学技術が飛躍的に進歩した現代でも、天然有機物に依存しない人工食料が開発され、普及しているなどとは聞きません。人間の食料は人間以外の生物しかないという状況は変わっていないのです。
 

グローバル化を推進しようとするならば、温暖化が自然現象だとしても、人口問題は世界レベルで取り組むべき問題でしょう。増えすぎた人口を制御できないのならグローバル化は現在迎えている危機を大きくするだけのことです。
多分、世界の指導者達は、原因が人口増加にあることを認識しているはずですが、その手立てを講じているようには思えません。

 

人間は、多様な自然環境・社会環境の中で喜び・悲しみを感じながら生きています。
幸せを感じるのは一人の人間であり、他人が感じる幸せを自分が実感することは絶対に出来ません。人口が増えれば増えるほど幸せを望む人が増え、許容される人口に近づいてゆきます。自分の生き方を実行している「大人の心」は多様な環境の中で作られてゆくもので、画一化される物ではないし、画一化できるものでもないでしょう。人間の生き方は多様であって然るべきです。

人口増加が原因で人類滅亡の危険性が増すのならグローバリゼーションは人間から幸せを奪うことになります。
 

グローバル化についてはっきりしている事があります
人類が滅亡しかねない状況におかれた時、多様性のない世界はひどく脆いものになります。多様な地球環境に生きる80億近い人々が限られた思想と思考形態に支配されることになるからです。地球が巨大な独裁国家になるようなものです。
地球規模での自然災害を除き人類は様々な戦争・食料危機・疫病・自然破壊などを経験してきました。それでも生存出来ているのは、人々の「大人の心」が多様であったからだと思います。

「多様な自然条件・風土を維持できる人口」が「大人の心」に必要なものです。

 

目次へ                                つづく