私の心のオアシス西八王子・もっきんバーの「一杯飲みながら世界人権宣言を読む、ただそれだけの会」に参加してきましたよ。
参加特典にもらった谷川俊太郎さん訳の世界人権宣言を読むことのできる「人権パスポート」を参加したみんなで読みあわせをして、それぞれ気になった条文を発表しあったりしました。
谷川さんの文章が生き生きしていて身体に入ってきやすいのと、一杯飲みながらなだけあってゆるゆる~っと語らうのがもっきんバーっぽくておもしろかったな。
全部で30の条文があって、「みんな仲間だ」「差別はいやだ」「泣き寝入りはしない」「人間らしく生きる」などなどそれぞれの条文についているタイトルも私にはわかりやすい。
私が1番気になったのは「考えるのは自由」
確か初私がめて憲法カフェに参加したときも「考えるのは自由」と日本国憲法に書いてあると知って驚いたものだけれど、今回も気になったということは、私には「考えるのは自由」という言葉がよっぽど響くのだなぁと思ったりして。
毎日気になる条文を選んでみるなんていうのもおもしろいかもしれない。。。
世界人権宣言を読みながらこの数年の日本の出来事やこの間の国会のこと、辺野古のことが頭に浮かんで、あんな暴力的なことが平然と行われている状態を当たり前にしちゃあいけないと心から思いました。
それは、人のことを傷つけることはなるべくしたくないとか、私のやり方をごりごり押しつけないようにしたいとかいう私の信念みたいなことを守る=「考えるのは自由」をないがしろにしない、大切にしたいということだったりもすると思うのです。
だからやっぱり私にとって政治や投票は私の「こうありたい!」を表明することなのだと再確認です。
何千年ある歴史を経て、やっと世界中の共通認識として文章として発表されたこの「世界人権宣言」。実は日本国憲法はその先駆けだったりなんかして。
今、日本も世界も世界人権宣言や憲法に書かれたことを実践できているかどうかは
う~~~~~ん。。。。。
でも長い歴史の中で生まれてたったの70ウン年の人権宣言や日本国憲法だもの。歴史的にみたら今思春期くらい? それともイヤイヤ期? 私はこの人権、自由や権利の概念はきっとちゃんと育つと信じているし、育てようと思うのです。
私の内側から。
どうやって育てるかというと、まずは私が私の自由や権利を大切にすることと、同じように私以外のみんなにも自由や権利があるといつも意識することなのかなぁと。
誰が何と言おうと人間は生まれながらにして自由や権利を持っているのだから。
前にダライ・ラマさんが話を聞きに来た人からの質問に答えていて私の心の灯りとなっている言葉があります。
「100年前と比べてみなさい。こんなにも人権や平和が語られることがありましたか?100年前よりは進歩しているでしょう。」みたいな感じ。
思えば自分に人権があることすら意識していなかった私が人権とか平和について考えるようになったり、人前で自分の意見を言うのも苦手だった私があれこれ言っとこうと思うようになっただけでもすごい変化じゃないかと思っています。
1人が変わった。
と、この人権宣言や日本国憲法が出来上がるまでに関わったすべてのすべてのすべての人に伝えたい。そしてここまで繋いできてくれてありがとうございますと言いたい。
書いて形にして残しておいてくれて、こうしてみんなで確認しあえるから。
そして世界人権宣言の話をしていたのだけど、ふと日本国憲法の第97条が思い浮かびました。
第九十七条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
うむ。