もしも、太陽が昇るのが今日までだったら

きっと地球はあっという間に、消滅してしまう。


もしも、植物が明日から酸素を吐き出してくれなければ、人間は息も出来なくなってしまう。


今ある当たり前が、もし急になくなった時、

私は多分もっと今持っているものを大切にできると思う。


最近、体調不良で仕事を休んでいたのですが

身体の健康があって初めて、日常がある。

そう考えたら、日々の人とのいさかいも

なんだか愛しく思えた。悲しい愛


一生懸命生きていると、たまに周りが見えなくて

悲しかったり、しんどかったり、つらかったりすることもある。


でもそうやって、自分の中にモヤモヤを残してしまうと、そういったストレスは身体にはきっとよくない。


なので、自分と向き合って、

大地や地球や、周りの人々や、身体、ありとあらゆるすべての恵みに「ありがとう。」と言って過ごすことが何よりも大切なのだと気が付きました。


今ある「恵み」の、本当の豊かさに気づけていますか?


それは例えば、何かに悩んで辛い日にも、

その辛さを聞いてくれる誰かの存在かもしれない。


あるいは、そんなふうに辛い日にも、

美味しいご飯を食べる自由があることかもしれない。


辛いと悩める今の命かもしれない。


今あるものに感謝する人は、その恵みの幸せを誰よりも大きく多く受け取れるのかもなぁと感じましたニコニコ


今日も、今受け取れている全てのものにありがとう。

最近、恋愛リアリティーショーをみていて思ったことがある。


結局のところ、人は皆、少し偏ったところがあっても「自分らしく」あり続ける人に輝きを感じ、惹きつけられるように感じた。


幼い頃は、自分を自分以上に見せようと

少し気取ってみたりカッコつけてみて結果失敗をして落ち込んだりしていた。


大人になって思うことは、

自分を自分以上に見せようとして自分を隠してしまうよりも、なんだったらカッコつけようとして結果失敗してるようなその素直さの方にこそ、人は

惹きつけられるような気がしている。


そして勿論、そもそもシンプルに

自分以上の誰かに成り切ろうとするよりも、

初めから自分らしくいる人の方がなおのこと

人を惹きつけているように感じる。


それは何故だろう。


恐らく、自分らしさをそのままさらけ出せる人は

自分自身をありのままに受け入れていて自分に自信があるからだと思った。


そして自分らしさを愛せてる人は、相手が相手らしくあることを愛せるのだと思う。

少し鈍臭いところがあったりしても、自分に対してと同じように、相手をそのままで愛せるからだ。


そのような、心の底からの、肩肘張っていないような自信は、誰しもが持っているわけではないからこそ、人はそういった人の強さに憧れるのかもしれない。


人を愛する、とはまずは自分を愛すること。

自分を本当に愛せる自分になることが、

本当に人を愛するための鍵であり、そして人を本当に愛することができる人が、相手からも本当の意味で愛されるのだなぁと感じる。


今日も、相手を愛せていたか、

相手の失敗やカッコ悪いところも愛せていたか。


それが自分に対しての愛のバロメーターでもあるなぁと、感じたのでした。


明日も、ありのままの自分を楽しめますように。愛せますように。



心の声に耳を澄ますこと。


人生は迷いと選択の連続ですが、自分の心が本当に望んでることに耳を傾けるのはとても難しい。


誰かのせいや何かのせいにした方が楽だから

あえて自分の声で判断せず、無意識に人にハンドルを渡してる人も多い気がする。


心は本当は答えを知ってるんだ、と最近確信を持って感じた。


幼い頃から振り返ると、

誰かにこう思われないように、と本心とは違う行動をしたり。

嫌われたくない思いから、何かを隠そうとしたり。

誰かが私を心配する声に、かえって自分に自信が持てなくなったり。


でも本当に正しいのは、常に自分の本心。

そしてまた、とても難しいことではありますが、

常に自分の本心からの行動が正しくあるように

誠実で、優しく、真の心を持つように自分の心を磨き続けることが本当に大切なことなんだろうと感じた。ニコニコ


とはいえ、人のアドバイスや忠告に耳を傾けて取り入れるのももちろん大切。


ブレない自分と、柔軟な自分のバランスはとても難しい。

だからこそ、常に自分と確認をとり続けることがとても大切。


私は今日も、私を満たすために生きている。

私は今日も、ただただ、じんわりと自分と人と、人生を愛する。


愛される人は、ただ愛されるのではなく

愛するから愛される。

愛される人は、最も多く愛した人だと思う。


最近ふと、

愛される人の特徴について考えてみた。


結論、愛する人は、愛する対象を持っていて、

愛してるから、愛されるのではないかと思うに至った。


みんな愛があるところに、あたたかそうで寄ってくる。みんな愛を求めてるから。

愛を持ってる人が羨ましくてやってくる。


例えば、芸術家の作品や、アイドルのステージや、素敵な絵本や、売り上げをあげている製品など。

愛の対象は、人ではなくても、物や行動への愛だとしても、情熱が愛になり、その愛の魅力に多くの人達が引き寄せられるのではないかと思った。


芸術家が、作品やアートにかけるパッション=愛。

アイドルがステージにかける思い、自分に対する愛、ステージを作り上げるスタッフの愛。

素敵な絵本のストーリーへの作家の愛。それを届けるまでのたくさんの人達の愛。


「売上をあげる作品やサービス」=「人を集めるような製品やサービス」の根底には、愛があると思えてならないのです。


しかし、売上を上げるための会社の会議では、数字について議論はするけれど、愛について語れば少し変な目で見られる方が多いとおもう。まるでロジカルじゃない人を見るような目でみられる。


ただ、本来「売上を上げるために何をすべきか」を、考えるのは本末転倒だ。

お客様は価値あるものに寄ってきて、対価を支払ってくれるのだから、お金は本来、

もらう側が先に表現した愛に対して、ありがとうの意味で支払われるものだと思えてならないのです。


なのでトークテーマとしては「お客様に満足してもらえるにはどうしたらいいのか?」を議論し、愛をもとに行動することの方が、売上をあげるための小手先のテクニックに走るよりも

結果としてはやく売上を上がるのではないかと思えてならないのです。


そして、それは恋愛でも同じことが言えると思う。

「愛されるためにどうすべきか?」「なぜ振り向いてもらえない、愛してもらえないのか?」を悩んでいるだけの時は、


まるで、「売り上げを上げるためにどうすべきか?」を議論して、小手先のテクニックに走る時と似ていて、


結局は自分の利益に走った行動改善になる事が多いとおもう。


でも本当は、相手のことをただ愛し、

その愛をひたすら楽しんだり、

自分の中にある相手以外への愛の対象への愛をもっと深く強めたり、(趣味や仕事に没頭するなど)


とにかく自分自身の中を満たしていれれば、

その愛によってこない人は結果いなくなるのです。

本末転倒ではあるのですが、


愛される事に悩んでいる人は、自分は相手を愛せてるのか?

自分は今の自分を愛せてるのか?を考えた方がいいと思う。


実は愛す力が足りてないだけ。

だって本当の愛は与えるだけでも、対象があるだけでも気持ちいいものだから。

愛せる喜びがあるものだから。


自分から愛を発することができる人に、愛があとからついてくるものだと。

今日は何故かそれを強く伝えたい気持ちになりました。

すごく突然なのですが、

エネルギー保存の法則を知ってますか?


私達のエネルギーは、常に一定の量を保っているという物理法則なのですが、


例えばジェットコースターなどで、高い位置に居る位置エネルギーは、加速して下がり切ったところで位置のエネルギーは無くなるのですが、


逆に今度は初めの位置エネルギーと同じ量の運動エネルギーが発生しており、


そして位置エネルギーと運動エネルギーの合計(足し算した値)は、どの位置でも常に一定を保つという法則のことです。


私はこれを知った学生の時期にすごく感動したのを覚えていますが、最近ふと、エネルギーが一定に保たれるという話の中で、「エネルギーの総量が一定ということなら、では、愛のエネルギーはどうなるんだろう??」と思いました。


愛のエネルギーって、いったいどこからやってきて、どこへ行ってるのか。と真剣に考えました。


愛は、誰かの心に芽生えて、それが誰かから誰かに渡されます。

物理的な物と違って、測り方もなければ

重さや大きさも、受け取り手によって違うような気がします。


(受け取る力が満タンだと、なんだかとっても得をしたような、幸せなものなのかもしれません。)


そして、愛を渡した人は、受け取ってくれることで、さらに嬉しくなって、もっともっと愛が増えていく。


エネルギーの保存法則は、基本はエネルギーが増えるということはないですが、愛は形がなくてどんどん増えていけそうな気がしました。


ものは誰かにあげると、自分は失う気がしますが、愛は渡すと自分もさらに受け取る。なんだか不思議な力です。


そして受け取った人は、さらに別の人に、渡すことが出来るようになります。

受け取った人は与える人になることが出来、また与える人は、与えたときに自分もまた更に受け取れる。

どんどん膨張していく力が愛なのかも。と思います。


では、最初の愛はどこにあったんだろう。


多分ですが、私達の中には常に愛は存在していて、愛の種が、あって。


それを先に持ってた人達が、私たちに手渡してくれながら、私達の愛も大きくなっていって。

それをまた誰かに手渡したり、育んだり。


そんな循環なのかもなぁ、と感じます。


少しの愛を、自分の中で大きく温めることができる人でありたい。


愛を与える人でいたい。

そして受け取るときも、沢山得ができるような、受け取りセンサーを、持っていたいなぁ。と思いました。


感謝ノートを書くと幸せになれる。の理論もこれと同じかもしれません。

今受け取ってる愛、持ってるものは神様からの愛や、周りにいる人達の仕事(=愛)や思いから生まれたものを感じ取ること。


それが感謝なのかもなぁと思いました。

たくさんの愛を受け取り上手になれれば、それは幸せになれるに違いないのです。


今日も、沢山の些細な愛に気がつけますように。


「ないものを嘆く人」と「あるものを数える人」。


世の中には、ないものにばかり目を向けている人と、あるものを数えて幸せを感じれる人の二つがいるような気がする。


私はどちらかと言えば後者に近く、あるものをじっくり味わい、感謝できるタイプだと思う。


時に疲れてしまって、なんだかついてないなぁという日は、そんな私でさえも 「これがあったら幸せなのに。」「あの人は何で考え方を変えてくれないんだろう。」とかを思ってしまう日もある。


けれど、冷静になると、改めて自分が今手にしているものや、事。今出来ることに目が向くから、また幸せに生きれるのですニコニコスタースター


最近は、不倫に悩む友人の相談に乗る機会が多かった。

大抵の場合は、夫の悪口。

自分がされて嫌だったことや、夫にこうあって欲しい(=今は望み通りのことをしてくれてない)という話で、なんだか可哀想だった。


可哀想というのは、そうされている友人の現実にというよりは、そう思ってしまう友人の現状について、可哀想だなぁ。と思ってしまった。


何度伝えても聞く耳を持ってくれないのですが、旦那に対して不満がある時というのは、


自分には変えられる部分はないかな?と見直す機会であって。

ないものを嘆く機会では無いと感じています。


不満を持ってしまう気持ち自体が、

今すでにあるものへの感謝が足りない時だと思うのです。えーん


そして残念ながら、そういう人に限って、感謝できる要素を沢山持っている現状に気がついてないという事が多いと思います。


息を吸えること。今日も生きてること。

選択すれば、いつからでも自由に生きれること。


それでも、一緒にいようとしている相手なのであれば、感謝できるところを探してあげて。


そして全ての不満は、結局のところ、

全部、「愛してくれないのが悲しい!」と叫んでいるのと同じように聞こえるのですが、


では、あなたは相手を愛せてますか??

自分の事を愛しやすいようにしてあげてますか??

と自分に聞いてみてほしいです。


愛される秘訣は、愛する事。

愛される秘訣は、愛しやすいような自分でいてあげる可愛げを持つ事。


可愛げを持たないまま、ただ愛してくれない!と叫んでも。

相手も同じように、「もっと愛して!」と返してくるだけだと。本当に思うのです。


世の中のカップルが、みんな本当にハッピーでいてほしい。


私は沢山、恋愛で傷ついて来たからこそ、

すごく、そう思うのです。


※そして、もちろん暴力など、自分を悪戯に傷つけてくる人からはもちろん逃げましょう。


でも、大抵の人は、自分で自分に自信を持てず、自分が勝手に傷ついてるだけで、(悲劇のヒロイン)本当はたくさんのものを得ている事に気がついてないだけ。

得ているものには感謝もなく、欲しい欲しいばかりでは、永遠に幸せには気がつかない気がします。


今手にしている幸せを、あなたは何個数えられますか??ニコニコ


全てが思い通りでなくても、幸せを味わってみてください。照れスター



よく人生を宝探しに例えた物語があったりしますが、私はちょうど恋愛が宝探しに似てるなぁと感じていました。


自分の心を紐解いて、心にある宝箱に気がつくプロセスが恋愛なのかもなぁと感じます。


突然ですが、貴方は人に見せたくない、自分の一面や、コンプレックスってありますか???


私は数年前までコンプレックスを固めに固めて、さらにどれが最初のコンプレックスだかわからなくなるくらい、


そのコンプレックスを隠すために、いろいろな武装をした、複雑な感情や捻くれてとらえた想い出などをさらに絡めつけて、


『心の傷』のような、なんだかわからないどろっとした感情をいつも胸に抱えていたような気がします。

そしてそれはパンドラの箱のように、どんどん暗い感情を溜め込み、自分ではみないよう奥にしまってきたものでした。


ちょうど最近、恋愛や人生に疲れて

心を病んでしまっている友人の相談を受けてる間に、このパンドラの箱の事を思い出したので話したいと思います。


もう私の中ではすっかり忘れ去られたパンドラの箱。昔は重たく心にのしかかっては、その時々の恋愛の邪魔をしてきました。


時には自己嫌悪、時には自己卑下という形で。

それならまだいいですが

しまいには相手を攻めたり、相手の事を考えずに行動してしまう要因となっていた

そのどろどろとしたパンドラの箱。


最初は全て、何かに傷ついた思い出から始まった簡単な傷やコンプレックスやトラウマだった気がするのですが、長い間を経て、

どろどろとしたパンドラの箱のようになっていた気がしています。


実は、そのパンドラの箱を開ける勇気を持つ事が恋愛や人生をうまく活かせる方なのかもなぁと最近ふと思いました。


人には見せたくない、その嫌な感情がぎっしり詰まったような、心の片隅にある箱を


ちゃんと自分で一つ一つ開けていき、整理する事で、「その感情がどこから生まれてきたのか?」

「どんな感情なのか?」とかを知っていく事が

自分を知っていくという事で。


自分を知っていくと、そのパンドラの箱が

どんどん開いていって中身が見えてきて、

「実は同じような思いなんて、誰でも経験してる事だったんだ」という事実を知ったりして。

今まで傷ついてたのも、案外根拠のない感情を自分が勝手に受け取ってた傷だったことに気づいたりして。

そしてそんな自分を愛くるしく、愛しく感じることができた時に、その箱は厄介な箱から、宝箱にガラッと姿を変えるのではないか?と感じたのです。


大人になっていくと、当初心に傷をつけた時には

考え付かなかった思考が出来るようになってるので、「傷をずっと抱えようとしてたのは自分自身だったんだ」、「本当はもうとっくに手放してよかったんだ。勘違いだったんだ。」


と思えるようになってることも、多いのではと思います。


私は最初、そのパンドラの箱を

なんだか存在を感じつつも、自分でも開きたくなく、当然好きな人に見せたら嫌われると思い込んでたのですが、

「その箱を、嫌っていたのは私だった」

そして、

「見せたら嫌われるのではなく、むしろ愛される要因になるのかも」という事実に気がついた時すごく心が軽くなりました。


そう、パンドラの箱はいわば自分の個性。

自分を知るための、自分のコアの部分。

そしてそれはネガティヴなものではなく、

むしろ相手に開示できると、実は愛される要因にすらなり得る、宝箱にすらなり得るものだと思ったのです。


人は弱さを、自分では好きになれなくて

隠したりしますが、


実は他人から見ると、人が弱さを曝け出して=パンドラの箱を開けた、すっきりした素の状態を見せてくれた時に愛しく思えたり、

本当の意味でその人を愛せるのではないかな。と。


隠してたのは自分で、周りの人達はもっとそんな感情も含めて、貴方を知りたいんだよと。


そして本当は貴方が1番、貴方を愛する事が大事なので、その箱の中身を紐解いていく事、全部愛していくことが大事なのだなぁ。と感じています。


心にしまってる感情は、一度、色々理由を考えてみたり、イメージの中でその感情を抱きしめてあげて、当時の感情を感じ切ることがすごく大切だと思うのですが、


そうやっていくつものシーンを思い出したり、感情を抱きしめてみると、だんだん自分のことが愛しくなってきます。


そうやっていくと、そういう弱い部分も自己で認識したり、開示できるので、

その状態になってくると、その箱を隠すために自己防衛したり相手を攻撃することなく、


ただ愛を感じ取れるようなコミュニケーションができるようになるのではないかな。と思います。


私はこれに気がついた時、ああこれは宝物だなぁと感じて。


たくさんの感情も色々出てくるのですが、その一つ一つを感じ切りながら、整理していってます。

お陰で今は閉じたままの箱はもうなく、存在を忘れるくらい、自分の一部として吸収してしまいましたが


箱を開けていく作業は、しんどくもありつつ

自分を知っていけて、途中から心地よく、

気がついた頃には自分のことを弱点含めて愛せてました。

弱点と感じてたものをさらけ出せるようになったこともあり、相手にとってそんな事は大したことないと知ったりする機会もあったり、

時には弱点と感じてたのに相手からは魅力と思ってもらえたり。


どんどんとその部分を受け入れていくことが出来たのです。


心の傷としまいこみがちな、箱。

紐解くと、それは実は宝箱かもしれません。

久しぶりのブログになってしまうのですが、

過去を振り返って書いてみようと思います。

20代で付き合った、2人目の彼とのお別れを迎えた時の話です。

彼とは半年も経たないうちに振られてしまいました。理由もわからず、ただ急に仕事に集中したくなったと。急に別れを告げられました。

会社の同期で、新人時代を支えてくれた彼だったので、理由もわからずの別れが非常に辛かったのを覚えています。
いっそ浮気されてたとか、酷い理由が明らかになってれば諦めようもあったと思いますが、その後2年くらい彼のことをひきづったのを今でも覚えています。


彼は学生時代も成績優秀、顔もかっこよくて異性にモテてただろう人でした。
私は自分の学歴やら顔やらにコンプレックスを持っていたこともあり、別れた後はずっと彼のSNSで、綺麗な女の子達が出てくるたびに
自分と比べて悲しくなっていました。

いわゆる陽キャな彼との別れ。
それまで表向きは明るく振るまってた、
実は根が暗い当時の私にとっては、自分の中身と向き合うとってもしんどい時期となりました。


元々コンプレックスになってた、美人で明るい妹の存在もあったので、とにかく自分のコンプレックスを乗り越えるために、
妹を含めて、周りの明るい人達の考え方をひたすら吸収しようと励んだことを今でも覚えています。

毎日とにかく日記を書いて、
自分の感情を掘り下げました。
今考えるとそのやり方がただしいのかわかりませんが、自分がどういう考えを持っているのか、をはっきりさせたくなったからです。

自分の醜い感情、嫉妬や羨望、自己卑下、罪悪感も全部書き出しました。

たまに振り返ると同じ考えに囚われ続けてる自分に気がついたり、
書いた日から時間が経つと少し客観的に見られたり、日記にすることで自分の感情の言語化が上手くなっていきました。

最初は自分の嫌いな部分を
たとえ自分しか見てないにしてもノートに書くなんて、ネガティヴな自分を認めてるみたいで
恥ずかしく、嫌でしたが
しばらく続けてみると、私はネガティブな感情を感じてること自体をネガティヴには捉えてませんでした。
なんだか、他人に嫉妬や羨望をもって悩んでる
数週間前の自分が愛しく感じてきたのです。

「数週間前の自分に、今の自分だったらどうアドバイスしてあげれるか??」

「私がもし、女優の●●さんならどうアドバイスをするか?どのように振舞ってただろうか?」などを考えていくと、だんだん悩みを解決するのが楽しくなってきました。

そして、当時は「なるべくポジティブでいるのがモテる秘訣であり、ポジティブな自分なら振られなかったんじゃないか。」と妙な思い込みをしていたのもあり、なるべくネガティヴな気持ちをポジティブに変換しようとしていたのですが、
捉え方次第で、ネガティヴな事象も、前向きに捉えられると気がついたのでした。

気がつくと、ポジティブであろうとする自分はいなくなり、ネガティヴな自分も許している自分に変わっていきました。

そして今では
「ネガティヴな自分も許している状態こそ、自分に対するポジティブな反応」だと考えています。


どんな自分のことも好きでいる。
=自分の嫌いな部分も愛すること。だと思っています。




たくさんの失恋をして
まじめにぶつかっては傷ついて。

なんだかずっと恋愛が上手くいかなかったのに、
今は大好きな旦那に愛されて毎日を幸せに暮らしています。

まるで、今までのことが嘘のように。

でも、今から考えると
あの遠回りがあったから、今こうやって旦那を大事にできるし、
傷ついた日々があったから、今ある愛を十分に受け取ることができるのかもしれない。

そう思うと、本当に全ての事に感謝が生まれてきます。


どうしてこうなれたのか。
考えるとやっぱり1番は、自分を許してあげたこと。自分の全てにYESと言えるようになった事だと思います。

それは例えば、顔が美人だとか不細工だとか
テストの点数がいい悪いだとか
会社での成績がいいだとかわるいだとか
そういった小さい全ては関係なく。

私という存在の素晴らしさを実感できて初めて
人の素晴らしさも受け止められるようになったのではないかと思います。

自分の事が好きな分だけ、
相手のことも好きになれる。

自分のことを許した分だけ
相手のことも許せるようになる。

それは能力は必要ない。
ただ、自分を好きと思うこと。
自分のダメな部分もいい部分も
全てにオッケーを出してあげること。

そうすると、不思議と、
そんな素敵な自分と同じように
素敵な人と出会えるようになっている。

そういう世の中になっているのではないかなぁと感じています。

あなたはどれだけ、自分の事を知ってますか。
あなたはどれだけ、自分の事がすきですか?

愛を与えることができる

それってすごい才能だと思っています。


人には、愛を受け取ったり、感じたり、そんな事ができる器があると思っていて。


例えば、誰かの優しさや、思いやりも
自分にも同じような優しい面がないと小さな気遣いには気がつけないと思うし


例えば、誰かが優しさでしてくれた行為を、捻くれたものの見方をせずに素直に受け取ることも、やはり愛のセンサーがないと出来ないことで。


受け取る愛はもちろんですが、
与える愛の大きさや量も、その心の器に応じてどんどん大きく大きくなっていくのではないかなと思います。

私は、その心の器を
大きく大きくしていく事こそ、生きていく意味だと感じていて。

小さい頃は傷ついていたことさえも、
大人になるとそんなことも愛しく思えるのは、その傷にさえ愛を感じたりすることができるからだと思っています。


悩んでいたり、何か辛くなってる人は、その愛のコップが空っぽになっていて
人からの愛をもらわないと空っぽの状態なのかなと思います。

逆に、落ち込んだ時や辛い時に
あの人に会いたいなぁと思うような相手って、多分この愛の器がとても大きくて、いつでも愛を分け与えてくれる人なのではないかなと本当に思うのです。


私はある時さらに考えたのですが、この愛の器にある愛は、
愛が欲しい欲しいとなってる人は

「人から愛をもらおう」とするのですが、

本当は自分自身で自分の中の愛の器を大きく、そして中身も増やすことができるのではないかなぁと感じています。

心の中で、好きな人を思う時。好きなものを想像する時。楽しいこと愛しい事をしてる時。

この愛の器の中身はどんどん増えて膨張します。

するとそれは人に与えることもできて、愛を与えることができる人になれます。


そして、それを与えていくと、
やがては他のルートからまた新しい優しさや愛が回ってくる。

そうやって幸せが循環する。

逆に愛をくれくれとなっていると、
受け取れない時に、妬みや嫉妬や、落ち込みや、執着、辛さが出てしまう。

本当は、外に求めることではなく、内側から湧き出るもの。

愛はうちから湧き出るもので、そしてそれを与えることでさらに大きくなっていくものなのだと感じています。

今日は愛をどれだけ周りに与えられたのかな?

夜寝る前にみんなが考える世の中では、きっと戦争もなくなるなぁと感じています。