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Future Cafe

音楽レビューのようなもの〜TECHNO、JAZZ、BREAKBEATS etc

「Inner Worlds」Soccer96

 

 

 何事においてもコンプライアンスが優先される社会状況を反映した結果でも無かろうが、健全な音楽が増えた気がする。その一方で、いかがわしく、怪しい、ストレンジな音楽に出会う機会はめっきり減った。そんな時代にあって、ひときわ異彩を放っていたのが、ザ・コメット・イズ・カミングのアルバム『Trust In The Lifeforce Of The Deep Mystery』(2019年)だった。UKの新世代ジャズを代表するサックス奏者、シャバカ・ハッチングスのメンバー参加が話題になったユニットだが、アナログ感覚とデジタル技術が融合したサウンドが新鮮だった。そのドラムを担当していたベータマックスと鍵盤楽器を担当していたダナログによるエレクトリックミュージックプロジェクトがサッカー96である。筆者はノーマークだったが、アルバムデビューは10年前の2012年。これまでに4枚のアルバムを出しているというから、こっちの方がシャバカ・ハッチングスとのユニットよりも遥かに古い。そして、最新作となる『Inner Worlds,Outer Worlds』がリリースされた。ジャケットのアートワークや曲のタイトルから伝わってくるのは、人工知能が支配するディストピア(B級SF映画のノリ)のイメージだ。

 まず、クラフトワークのようなシンセサイザーのリフが印象的な表題曲①「Inner Worlds,Outer Worlds」は、生演奏ドラムのオーガニックな響きにフューチャージャズ以降のビート感覚を感じる懐かしくも新しいテクノチューン。ミュンヘンディスコを彷彿とさせる垢抜けなさが逆に魅力だ。ユニークな電子音からはじまる②「Speak More Love」はカラーズ・ザット・ライズのボーカルをフィーチャーしたノスタルジックな楽曲。ダイナミックで肉感的なドラムがジャズを感じさせる。③「Crystal Pyramid」はアシッドな重低音ビートが強烈。メロディがコルトレーンの「ナイーマ」に似ているのは偶然か?ボーカルにウィスパーボイスの歌姫サラミ・ローズ・ジョー・ルイスを起用した④「Yesterday Know me」はエレガント。エンディングのサイケデリックなシンセがプログレっぽく、崇高な教会音楽のようだ。ハイハットと性急なテンポがサスペンスを盛り上げる⑤「Adrenalin」は、曲名そのままのトラック。緩急を付けた変態的なビートがもたらすスリリングな展開にアドレナリンの放出が止まらない。⑥「Underwater Cities」はインタールード的な小品。1分36秒と短いが、アート・オブ・ノイズの「モーメント・オブ・ラブ」のように美しい。エキゾチックな女性ボーカルと魅惑的なメロディが、聴く者をエレクトロの深淵へと連れ去る⑦「Gatekeepers」もまたサッカー96の真骨頂。銅鑼のようなビートが心地よい。ラストに配された⑧「Trip Helix」は、人工自然の如きサウンドスケープでレトロフューチャーなテイストを持つこのアルバムのエンディングにふさわしいトラックだ。

 不覚にもこれまでスルーしていたサッカー96だが、テクノ、ハウス、ラウンジ、ジャズ、サイケをのみ込み、再構築し、プログレさながらの世界を現出させるやり口は、あざとくも、カッコイイ。ザ・コメット・イズ・カミングのいかがわしさをプログラミングしていたのはこの二人なんだと実感した。南ロンドンのユセフ・デイズをはじめ、一昔前のインナーゾーン・オーケストラやP’taahあたりの名前も思い浮かんだが、本当に比較すべきは、エマーソン、レイク&パーマーやキング・クリムゾン、或いはブラック・ミディなのかも知れない。

 

 

 

 

「Growing!!」なんキニ!

 

 

 アイドル・グループ、26時のマスカレイドが解散を発表した。コロナ禍にあって思うような活動ができない中で、メンバー、スタッフの間に齟齬が生じたというのが理由らしい。確かにコロナ禍はきっかけだったかも知れないが、アイドルブーム衰退の兆候は既には見えていたのではないか。AKB48の登場以降、“会いに行けるアイドル”をキャッチフレーズに雨後の竹の子の如くアイドルグループが生まれ、その全貌を把握できないほどシーンは肥大化/細分化され、バブルの感を呈していた。その一方で、BE:FIRSTやJO1など、BTSの流れを汲む実力派ボーイズグループの台頭や、米津玄師やYOASOBIなどボカロP出身者、yamaやまふまふなど歌い手のメインストリーム化、あいみょん、優里、川崎鷹也などシンガー・ソング・ライターのブームにより、選択肢はさらに広がりを見せている。キンプリやスノーマンなどジャニーズの最近の傾向からも、正統派、実力派が求められる時代であることが読み取れる。女性アイドルに目を向けてみても、先駆者であるAKBグループの停滞ぶりとは対照的に、坂道グループが堅調なのは、アイドルバブル崩壊に伴いマーケットが縮小していく中で、よりプロフェッショナルなアイドル像が求められるようになった結果だろう(AKB48も最近ではダンスに力を入れているようだが)。26時のマスカレイドはどちらかといえば、坂道系なのだろうが、いかんせん存在がニッチすぎた。とはいえ、アイドルを〈推す〉のではなく、〈聴く/観る〉という行為には、はかなきものへの愛着があることも否定できない。

 そこで、なんキニ!である。グループ名は“なんか気になる”から来ているとか。これまたニッチなグループで、とてもブレイクするとは思えないのだが、ファースト・アルバム『Growing !!』収録の「アオハル」という曲がとてもいいので、ピックアップしてみた。まさに、刹那の輝きに溢れた楽曲といえるだろう。アルバムを1枚通して聴くには少々一本調子だが、冒頭のインストゥルメンタル①「OVERTURE」から始まる、青春組曲として聴くのも悪くないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Drive My Car Oridinal Soundtrack」石橋英子

 

 

  私は村上春樹の新作が出るたびに購入しているけど、ファンを公言するほど誠実な読者ではないし、ましてやハルキストなどではない。それなりに毎回面白く読ませていただいているのだが、喪失感を抱えた主人公がヒロインの母性によって救われるといういつもの展開が苦手で、いまひとつ生理的に好きになれず、主人公が抱えている喪失感にしたところで共感できず、ナルシスト臭さが鼻につくというのがその理由だ。「ドライブ・マイ・カー」は、短編集「女のいない男たち」(タイトルからして既に喪失感を織り込んでいる)から同タイトル作を含む複数の小説を抜粋して組み合わせた物語を原作とする映画だが、喪失感のオンパレードかと言いたくなるほど登場人物の一人ひとりが孤独を埋め合わせようともがいている様子が描かれる。妻を亡くした主人公の“家福”、どこまでも満たされることのなかった妻の“音”、家族と家とお金の一切合切を失ったドライバーのミサキ、あらかじめ声を奪われている韓国人の女優、恋愛対象である“音”を亡くした若手俳優の高槻・・・。普通ならうんざりさせられるところだが、濱口竜介監督による抑制の利いた演出には好感が持てた。

 ビートルズの曲と同じタイトルを持つこの映画は、タイトルから受けるイメージとは違い全編に音楽が流れるような映画ではないが、エンドロールに流れる70年代シネジャズ風のテーマ曲にはしてやられた。主人公の家福から譲り受けた赤のサーブと共に韓国に渡ったドライバーのミサキは、実家のあった北海道から遠く離れることにより、喪失から再生へと向かうのだが、自分のためだけにハンドルを握る歓びが伝わってくるようなラストシーンには心が躍らされた。

 映画の中ではカーステレオにカセットテープを入れるシーンが何度か描かれるのだが、車内で音楽がかかったためしはない。つねにスピーカーから流れてくるのは亡き妻である音が、演劇人である夫のために生前に録音したシナリオを読み上げる声である。妻の名前が音であったのは皮肉だが、結婚して〈家福音〉となった妻の声音は夫にとっての〈福音〉となるべき宿命を負っていたのかも知れない。一方、劇中劇に登場する韓国人女優は発声ができず、手話で演技をする。声音で結びついた主人公夫婦と、仕草で結びついた韓国人夫婦は対照的に描かれている。その他にも、劇中劇であるチェーホフの『ワーニャ叔父さん』の中では俳優同士が異なる言語で会話をするなど、異世界のコミュニケーションが軸になっている。

 カーステレオから音楽が流れないどころか、妻の声や劇中劇の台詞ばかりが目だつこの映画において、果たしてサウンドトラックは成立するのか?サウンドクリエータの石橋英子は、そのような問いに対して感情を排したアンビエントという絶妙な答えを導き出している。ラストにかかるテーマ曲のように明るく軽快な曲もあるが、山本達彦のドラムやジム・オルークのギターをフィーチャーしたその音楽は、暗くはないが内省的なものだ。音響派やポスト・クラシカルのような味わいもある。どの曲も美しく、静かなのにとてもドラマチックだ。主人公たちの喪失感が再生へと変化していくイメージがある。普通にアルバムとして楽しめる作品になっている。

 チェーホフのほかに劇中劇として、映画のはじめの方で、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』が出てくるが、不在の中心=喪失のテーマは既に暗示されていたのだ。ラストのテーマ曲は、あたかも映画が向かうべき中心=再生としてそこにあるようだ。

 蛇足になるが、いつも後部座席で妻の声を相手に台詞を読み上げていた家福が、初めて助手席に乗り込むシーンは再生の始まりを暗示している。スレ違いやディスコミュニケーションにまつわる表現が多い本作の中で、家福とミサキが歩み寄りを見せる希有なシーンといえるだろう。天上窓から空に向かって突き出された二本のタバコは、まるでトーチのように力強く、優しい。

 

 

 

 

 

 

 

「Motherland Journey」BLUE LAB BEATS

 

 

 ジャズの名門レーベルとして誉れ高きブルーノートの歴史は、そのままモダンジャズの歴史を体現していると言っても過言ではないだろう。バーブやインパルス、リバーサイドも重要だが、ブルーノートにはかなわない。1939年にドイツ系移民アルフレッド・ライオンの手によってニューヨークで設立された同レーベルからは、気鋭のジャズメンがリーダー作をこぞって世に送り出し、フランシス・ウルフの写真を使ったその印象的なアートワークやルディ・ヴァン・ゲルダーによる録音技術の高さも相まって、数々の名演・名盤を生んできた。

 しかし、それはあくまでも百貨店的な品揃えであり、とりたてて革新的なラインナップというわけではなかった。意地悪な見方をするなら、コルトレーンの『至上の愛』も、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』も、オーネット・コールマンの『フリージャズ』も、ウェザーリポートの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』も、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』も、アイラーの『グリニッジビレッジのアルバートアイラー』も、エリックドルフィーの『ファイヴスポット』も、キース・ジャレットの『ケルンコンサート』も、ビル・エヴァンスの『ポートレート・オブ・ジャズ』も、詰まるところエポックメイキングな作品はブルーノートからは生まれなかった。逆に、ハイヒールジャケで有名なソニー・クラークや、レアグルーブとして後に再評価されることになるジミー・スミス、ルー・ドナルドソン、ジャズ・ジャイアンツと呼ぶには小粒なハンク・モブレーやリー・モーガン、ジャッキー・マクリーンといった通俗的なジャズメンにスポットを当て、ジャズの素晴らしさを最大限に引き出すことに成功したことこそが、ブルーノートが残した真の功績といえるだろう。

 もうひとつ、ブルーノートの功績を語る上で忘れてはならないのは、1993年にハービー・ハンコックをサンプリングしたUS3の「カンタループ」をリリースしたこと。この大ヒットによりヒップホップジャズはジャズ界からお墨付きを与えられることとなった。その後もブルーノートフランスから人力ドラムンベースのエリック・トラファッズやハウスミュージック・クリエーターのサンジェルマンが作品を出したり、イタリアのクラブジャズを象徴するニコラ・コンテがモーダルジャズを取り入れた傑作をリリースするなど、クラブジャズの重要作に関わってきた。日本に目を向ければ、ミニマルテクノのジェフ・ミルズに影響を受けたというサックスプレイヤー藤原大輔率いるファットもテクノジャズ作品を出している。近年ではヒップホップ/R&B色の強いロバート・グラスパーやヴォーカリストのホセ・ジェイムスもCDをリリースしており、相変わらずブルーノートから目が離せない。

 だからといって、ジャズの概念の積極的な〈破壊〉と〈拡張〉などという間章や中上健次が喜びそうなワードに回収できないところが、ブルーノートの面目躍如たるところ。ヒップホップもブルーノートのラインナップになってしまえば、百貨店の商品棚に並ぶ商品のひとつに過ぎない。ジャズであるか、非ジャズであるかは問わず、ことさら特別視しないことが、いつのまにかジャズの本流から承認を与えたことになっているというのがブルーノートのシステム。ジャンルの境界の外を内へと招き入れながらも、そんなことには興味がないという無自覚なそぶりが素晴らしい。

 そんなブルーノートからUKの2人組ユニットブルー・ラブ・ビーツによる『Motherland Journey』が

発売された。意外なことかも知れないが、ブルーノートにはクラブミュージックの総本山とも言うべきイギリスのクラブジャズをスルーしてきた経緯がある。ブルー・ラブ・ビーツは、ヒップホップ/ブロークンビーツ/ネオソウル/R&Bに、フュージョンを絡めた極めてUK的なクロスオーバーが特長で、筆者がロバート・グラスパーのブルーノート作品に感じる生真面目さ、グルーヴの弱さという不満な点(?)を補って余りあるダイナミックなサウンドに身も心も踊る。イントロがサンダーキャットに似ているのは確信犯か(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Laroye」アベイス

 

 

 90年代はじめと00年代のはじめにハンガリーのブダペストを訪れた。いずれも旅の途中で、特別な思い入れがあったわけではない。それでもドナウ川を挟んで王宮エリアの丘と旧市街地が広がる光景はドナウの真珠と呼ばれるだけあって、今でもはっきりと覚えている。2002年に訪れた際には、エディターの故阿木譲氏がネットで紹介していたZappaという一度聴いたら忘れそうもない名前の円盤屋に立ち寄って、クラブ系のCDを物色したのだが、ドイツ・コンポストレーベルの看板オムニバス、フューチャー・サウンド・オブ・ジャズにインスパイアされたであろう『フューチャー・サウンド・オブ・ブダペスト』というシリーズが置いてあって、スタイリッシュなジャケットデザインだけでも魅力的なのに、ブダペスト出身のジャジーなクラブ系アーティストの曲がコンパイルされており、「もはや東欧ではない」と強く意識させられたのだった。今、改めて世界地図を見てみるとハンガリーの東の隣国はウクライナであり、ウクライナ版の「フューチャー・サウンド・オブ・シリーズ」はあったのだろうかと考えてしまう。意外にそんなところに、見えない壁が存在しているのかも知れない。とはいえ、ハンガリーはEU加盟国の中では最も親ロシアで、強権政治の国といわれているのだが・・・

 アベイスはブダペスト出身のサボルチ・ベルナールによるアフロブラジリアンプロジェクトであり、鍵盤奏者のサボルチを軸にフルートやトランペット、マリンバまでさまざまな楽器の演奏者が集まって構成されている。最新作の『LAROYE』は、前作に引き続き伝統的なブラジル音楽やアフリカ音楽をハウスやテクノ以降の解釈とテクノロジーで現代に蘇らせた作品だ。とはいえ、本作においては、ダンスフロア寄りの要素よりも、土着的な要素が強く、そうした意味ではUKのシャバカ・ハッチングス率いるサンズ・オブ・ケメットのアプローチに近いといえるだろう。①「Exu」や③「Ile Ye」、⑤「Agangatolu」など、パーカッションが生み出すグルーヴは、このアルバム最大の聴き所。ジョイスを彷彿とさせるアコースティックナンバー②「Oya」やマルコス・ヴァーリのようなモダンブラジリアンサウンドが眩しい⑬「Salasiano」など、歌モノも非凡な仕上がりだ。エレクトリック含有量多めの⑩「Ife L'ayo」、ディープ・ハウスやミニマル・ダブを取り込んだ⑪「Onire」などは、クラブミュージックにつながるアベイスのもひとつの顔といえるだろう。ハンガリーからブラジル、アフリカへ。音楽に国境は無いなんていえば陳腐だけど、アベイスの音楽を聴いているとつくづくそう思う。欲をいえば、もう少し新しさが感じられる部分があれば良かった。アベイスの現在の活動拠点はベルリンだそうだ。