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Future Cafe

音楽レビューのようなもの〜TECHNO、JAZZ、BREAKBEATS etc

「Love's Last Chance」TAYLOR MCFERRIN

 

 

 2014年に〈ブレインフィーダー〉からアルバム「Early Riser」により本格デビューを果たしたブルックリン出身のトラック・メイカー兼プロデューサー、テイラー・マクファーリンのおよそ5年ぶりとなる2作目がリリースされた。「Early Riser」は、サンダーキャットをはじめ、ロバート・グラスパー、ハイエイタス・カイヨーテ、マーカス・ギルモアなど、新世代ジャズを代表するミュージシャンを起用し、いかにも〈ブレインフィーダー〉らしいケレン味溢れる一枚だったが、本作は〈ブレインフィーダー〉ではなく、自主レーベルと覚しき〈フロム・ヒア・エンターテインメント〉からのリリースだ。 デビュー作はLAビートやテクノ、ヒップホップ、ソウル、ジャズなど、様々なジャンルからの影響を意欲的に採り入れている割には、全体的に小粒な印象で、テイラー・マクファーリンというアーティストの本質が見えづらい作品だった。インストゥルメンタルが中心だった前作と比べると、本作「Love's Last Chance」は、自身のヴォーカルも含めて、大胆に歌をフィーチャーすることで、際だってポップな作品に仕上がっている。

 プロローグ的な①「Her Entrance」に続くミディアムバラードの②「All I See Is You」は、80年代シンセポップを彷彿とさせるサウンドとメロディーで、ヨット・ロックのムーブメントと共振するかのような楽曲だ。③「Love and Distance」はカーペンターズのバラードのようなイントロが郷愁へと誘うA&M風ナンバー。④「Now That You Need Me」も②同様に80年代を意識したかのようなきらびやかでリズミカルなシンセポップが印象的だ。ソニームーンのアンナ・ワイズをゲストに迎えた⑤「Memory Digital」はプログレ風の深遠なイントロから一転してソウルミュージックに変化する技ありのナンバー。フルート奏者のエレナ・ピンダーヒューズが参加する⑦「As You Are」は、軽やかなラテンサウンドが耳に心地良い小品だ。ラストの⑩「So Cold in the Summer」は、本アルバムの白眉。サンダー・キャットがケニー・ロギンスとマイケル・マクドナルドを迎えて制作した「Show You The Way」へのニューヨークからの回答ともいうべきAORナンバーだ。

 80年代の焼き直しを良しとするかどうかでこのアルバムの評価も大きく変わってくるのだろうが、トラック・メイカー兼プロデューサーだけあって、楽器やシンセの使い方に独自のセンスを感じるし、ビートミュージックも頭打ちの現在、こうしたアプローチはありだろう。〈ブレインフィーダー〉からのリリースではないのに、サンダー・キャットをはじめ、ルイス・コールなど、最近の〈ブレインフィーダー〉勢の音楽性とどこか重なり合っているのも、80年代リバイバルやヨット・ロックとしてのAOR再評価など、時代の流れなのか。新しい音楽を求める向きからはノスタルジーのそしりをまぬがれないだろうこうした動向も、ポップス遺産の再構築と考えれば無視するのは勿体ない。

 

 

 

 

 

 

「SEIKO JAZZ」 松田聖子

 

  

 

 ジャケ買いをしたことはあるが(ストリーミングサービスの登場によってほとんど無くなったが)、タイトル買いをしたという記憶はない。しかし、世の中にはタイトルだけで聴いてみたくなるアルバムも存在するのであって、この『SEIKO JAZZ』は、ストリーミングサービスがなければ間違いなくタイトルだけで購入していたアルバムだ。筆者は別に松田聖子のファンではないし、アルバムだって一枚も持っていない。それでも、「SWEET MEMORIES」にリアルタイムで触れた筆者にとって、“SEIKO“と“JAZZ“の組みあわせには、何とも魅惑的な響きがあって、心のどこかで待ち侘びていたような気がするのである。

 シンガーは、年齢を重ねるに連れて歌い方のクセが強くなり、ねちっこくなるのが一般的だ。久しぶりにテレビに出演した歌手が、かつてのヒット曲を披露する際に、キーが変わるのは致し方ないとしても、メロディまでも変わってしまっていて、「もう少し原曲に忠実に歌ってくれよ」と思うこともしばしばあるのだが、松田聖子とて例外ではない。数年前の紅白で聴いた「あなたに逢いたくて」は、節まわしが独特で、原曲とは似ても似つかない別バージョンになってしまっていた。

 その点、崩して歌うことが当たり前のジャズなら安心だ。実際、『SEIKO JAZZ』での松田聖子の歌唱法は、ジャズシンガーとしてはクセは軽めで、往年のハイトーンボイスではないものの、松田聖子らしい爽やかさを堪能することができる。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」のように、今の松田聖子にしか表現できないと思われる楽曲もあり、そういう意味では絶妙なタイミングでのジャズアルバムリリースといえるだろう。

 1&2に収録されている楽曲は「スマイル(モダン・タイムスより)」、「追憶」、「アルフィー」、「恋の面影(007 カジノ・ロワイヤルより)」などの映画音楽、「イパネマの娘」、「マシュ・ケ・ナダ」、「ワン・ノート・サンバ」などのブラジル音楽、「遥かなる影」や「星に願いを」、「虹の彼方に」、「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」などのポップスまで、誰もがどこかで耳にしているであろうメジャーナンバーばかりだが、筆者はそれで正解だと思う。ひねりのきいた選曲のジャズアルバムなど、誰が松田聖子に期待するだろう。ウィズ・ストリングス的なアレンジも悪くない。そんな中、マイルス・デイビスが自身のアルバムで取り上げたことでスタンダードになったマイケル・ジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」が、唯一意外性のある選曲といえるが、それにしたって驚くほどのことではない。

 『SEIKO JAZZ』は、「SWEET MEMORIES」とは少し違う大人のジャズアルバムになってしまったが、このシルキーな味わいの松田聖子もなかなかどうして悪くない。むしろ、ヘビーローテーションするならこちらだろう。これを聴いて英語の発音がどうとか言い出す輩もいるだろうが、そんなことはどうだっていい。私たちは上手な英語が聴きたいわけじゃなくて、魅力的な歌声が聴きたいだけだから・・・。

 

 

 

「Ancestral Recall」 Christian Scott

 

 

 昨年、ジャズ生誕100年を記念して、3枚のアルバム『Ruler Rebel』、『Diaspora』、『The Emancipation Procrastination』を立て続けにリリースするなど、破竹の勢いで快進撃を続ける新世代トランペッター、クリスチャン・スコット。最新作の『Ancestral Recall』は、2015年リリースの『Stretch Music』以来、プログラミングミュージック、インディロック、ストリートミュージック、ベースミュージックなどジャンルの異なる音楽を積極的に導入することで、ジャズの進化/拡張を試みてきた彼の音楽の集大成ともいえるアルバムだ。自然とテクノロジー。荒野と都市。狂騒と静寂。大地と宇宙。原始と未来。あらゆる要素がここにある。

 まず、オーガニックでありながらメタリックな西アフリカ起源のポリリズムが炸裂する②「I Own the Night」に息を飲む。クリスチャン・スコットのトランペットに加え、シャウトするロックテイストのボーカル、ポエトリーリーディング、ラップが高速ビートに乗って展開していくのだが、トラップなど先端のビートをイニシエーションした強烈なアフリカンリズムはスリリングで中毒になりそうだ。④「Forevergirl」は、ドラムン・ベースとインド音楽の融合という昔からの定石パターンだが、繊細なビートと荒削りなラップの取り合わせが新鮮で心地いい。祭り囃子のようなリズムが印象的な⑧「Ritual」や表題曲の⑫「Ancestral Recall」をはじめ、本作にはアフリカをルーツとする楽曲が多いが、その一方で西洋音楽と民族音楽を折衷させたような室内楽調の楽曲も何曲か収録されている。ジャズ自体がアフリカのリズムとクラシックのハーモニーの融合によって成り立っているのだから当然といえば当然なのだが、クリスチャン・スコットのそれは融合というよりは衝突といった感じで野生の中に香り立つ洗練がカッコイイとしかいいようがない。たとえば、ミニマルなエレクトロニカにブルースフィーリングのトランペットが絡む⑨「Prophesy」や、無機的な機械音に乗ってトランペットとフルートが美しい旋律を奏でる⑩「Before」などは、アフリカンミュージックやストリートミュージックからの影響を云々するだけでは語り尽くせないナンバーだ。そんな中、ノスタルジックなメロディを前面に打ち出した⑦「Songs She NeverHeard」だけが、アグレッシブな楽曲群にあってひときわ異彩を放っている。

 新たなビートとジャズの融合という意味において、本作を一聴するなり、同じトランペッターであるマイルス・デイビスを思い浮かべるジャズファンも少なくないだろう。エレクトリックマイルスとクリスチャン・スコットを比較すると、楽曲が醸し出す緊張感やトランペットのひずんだ音色には確かに似ているところもあることは否めない。しかし、演奏者である前に、バンドリーダーであり、サウンドデザイナーであったマイルスに比べて、クリスチャン・スコットの方がより純粋に演奏を楽しんでいるようなところがある。マイルスは“間“や“余韻“を重視し、トランペットをあえて吹かないことで自らの存在感を強烈に浮かび上がらせる天才だったが、クリスチャン・スコットは饒舌に吹きまくることで、あらゆるスタイルのサウンドにジャズの生命を吹き込んでいるかのように聞こえる。演奏スタイルは違うが、フレディ・ハバートのCTI作品を聴いているときの高揚感のようなものがクリスチャン・スコットの音楽には存在するのだ。ヒップホップやテクノなどのビートをジャズに取り入れる場合には吹きすぎない方が映えると言うのは否めず、そうした観点からすると、クリスチャン・スコットの演奏は反動的とも言えるかも知れない。ところが、アルバムを聴く限り、そこに古さは微塵もなく、コルトレーンのシーツ・オブ・サウンドとは異なる過剰さでジャズを更新しようという姿勢さえ感じるのだ。これからも、この孤高のトランペッターから目が離せない。

 

 

 

『When I Get Home』Solange

 

 

 この魅力的な声を持ったボーカリストがビヨンセの妹であるということは、ひとまず忘れることにしよう。前作『A Seat at the Table』(2017年)は、デニース・ウィリアムスにも似た透明感のあるボーカルとシンプルなサウンドが調和する傑作だったが、所謂R&Bとしてはブラックミュージック色が薄く、あえてサウンドの簡素化を図ったようなサウンドスケープが印象的だった。そのソランジュの2年ぶりとなる新作『When I Get Home』を聴いてみて思ったのは、儚くも優美な世界がエレクトリックサウンドやビートミュージック、ヒップホップなどの廃材によって組み立てられているようなアルバムだと言うことだ。つまり、楽曲を構成する一つ一つのサウンドは、雑多であり、実験的であり、無機的であるのに、それらによってトータルに表現される曲はエモーショナルであり、エレガントであり、時にポップですらある。そこには、前作で聴くことのできた耳になじみやすいメロディーはほとんどない。サビを欠いた歌の断片が、繰り返され、現れては消えていくのだが、これがエクスペリメンタルなサウンドとじつに相性が良く、ソランジュの魅力的な声を際立たせている。音楽の方向性は異なるが、近年、アルカをはじめとする先鋭的なサウンドクリエーターとタッグを組みメロディーからフレーズへと歌の分節化を推進しているビョークの制作スタンスを思い出さずにはいられない。

 本作ではゲストとしてファレル・ウィリアムス等と共に、ヒップホップミュージシャンのタイラー・ザ・クリエイター、新世代R&Bバンド、ジ・インターネットのギタリストであるスティーヴ・レイシーの名前がクレジットされているが、この2人は昨年このブログでも取り上げたカリ・ウチスの『isolation』にも参加している。そうした視点で聴くと、なるほど『When I Get Home』を包み込む美しく官能的なトーンは『isolation』と通底している。その他にも、エリマージとしても活躍するLAのジャズドラマー、ジャマイア・ウィリアムスやフランス人コンポーザーであるクリストフ・シャソルが参加するなど、ヒップホップやテクノ、R&Bのみならず、現代ジャズや現代音楽への興味も見て取れる。6曲にも及ぶインタールード/インターミッションの導入はシャソルの作品を連想させるが、ミュージック・コンクレートを意識してのことだろう。こうしたさまざまな音楽のエッセンスが注入されることで、本作はジャンルを超越した作品になっている。

 例えば、フィルムノワールのサウンドトラックのように不穏なシンセが緊張感を煽る③「Dawn with the Clique」、J・ディラやブレインフィーダー周辺のベース・ミュージックのような打ち込みが特徴的な④「Way to the Show」、ジューク/トラップ風のビートメイクがチャイルディッシュ・ガンビーノの「This Is America」にも共通するセンスを感じさせる⑨「Almeda」、怪しげな電子音が90年代エレクトロニカの代表レーベル、ミル・プラトーに在籍したミクロストリアやオヴァルを彷彿とさせる⑮「Beltway」など、マニアックなサウンドが途轍もなく巧妙に仕組まれているから何度聞いても飽きることがない。インタールードも多彩で、⑱「Not Screwed!」などは、お笑いコンビ、キツネでおなじみの効果音からニューウェーブ風のギターへと展開していくわずか数秒の作品だが、奥が深いというか、底知れなさを感じさせるナンバーだ。ソランジュは、本作を通じてビヨンセの妹というアドバンテージだけに寄りかかっていては到底実現できない場所へと辿り着こうとしている。前作リリース以降は、ニューヨークのグッゲンハイム美術館やイギリスのテート・ギャラリー、シドニーのオペラ・ハウス、ロサンゼルスのアーマンド・ハマー美術館でビデオアートの展示会やインスタレーション、ライブパフォーマンスを行うなど、その活動も多岐にわたっているソランジュ。別にアーチストを指向すればよいと言うわけではないが、音楽/ダンス/女優と相場が決まっていたR&B/黒人ミュージシャンの活動領域にも幅が出てきた印象だ。

 チャイルディッシュ・ガンビーノの「This Is America」の時もそう思ったが、アメリカのメジャーシーンが侮れなくなってきている。メジャーな音楽に疎い筆者が知らなかっただけかも知れないが、このことは、あらゆる音楽をそれが属するジャンルや文脈から切り離してミックス/コラージュする、かつてのハウス・ミュージックの手法が、一部の音楽マニアのものではなくなりつつあることの証左なのかも知れない。前作『A Seat At The Table』は全米アルバム総合チャート1位を獲得し、第59回グラミー賞で収録曲の「Cranes In The Sky」は最優秀R&Bパフォーマンス賞を受賞している。本作もエクスペリメンタルな作品にはあり得ないほどのセールスとポピュラリティーを獲得するだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『HERITAGE』Mark De Clive-Lowe

 

 

 90年代後半から00年代前半にかけて、ウェストロンドンを拠点にブロークン・ビーツのシーンを代表する鍵盤奏者/コンポーザーとして、世界に名を馳せたマーク・ド・クライヴ・ロウ。ブロークン・ビーツ後は、アメリカLAに拠点を移し、渡英する前はアコースティックジャズの演奏者であったという自身の原点へと回帰しながら、ブレイクビーツやヒップホップ、べースミュージックなどクラブミュージックで磨き上げた手法を本格的なジャズへと溶かし込むような活動を続けてきた。とりわけ2014年にリリースされた『CHURCH』は、そうした活動の集大成とも言える作品で、クラブミュージックとジャズの垣根を軽々と越える楽曲の数々は、ブロークン・ビーツ以降やや低迷気味だった印象を完全に払拭するだけのクオリティを備えていた。その彼が日本をテーマにしたアルバム『HERITAGE』を発表した。

 マーク・ド・クライヴ・ロウは、ニュージーランド人の父と日本人の母との間に生まれたハーフであり、10歳の頃から母の故郷である日本を度々訪れ、高校時代には横浜の住職の家にホームステイしていた経験もあるというから日本をテーマにしたアルバムを作っても不思議ではないが、正直、南ロンドンの移民2世〜3世たちによるルーツ回帰ブームに便乗しているように見えなくもなかった。「Bushido」、「Memories of Nanzenji」、「Niten-Ichi」など、いかにもなタイトルは、日本もどきを扱った粗悪なハリウッド映画じみているし、日本では超ポピュラーな「Akatonbo」をカバーしてみたり、宮本武蔵の兵法である二天一流を「Niten-Ichi」と表記してしてみたり、日本への理解の浅さの表れではないかと勘ぐりたくなるところも多かったからだ。ビルド・アン・アークを指揮するカルロス・ニーニョ(パーカッション)をはじめ、テラス・マーティンやロバートグラスパーとの共演歴も持つブランドン・ユージン・オーウェンス(ベース)など、LAのジャズシーンにおける重要人物をゲストに招いて録音された本作を実際に聴いてみて、そうした疑念はまったくの杞憂だったと思い知らされた。作品自体は決して奇をてらうことなく、すみずみまで丁寧に作られた良質な現代フュージョンと言った趣で、喩えるならMAIISHAあたりのテイストに近く、日本云々を抜きにしても、魅力的なアルバムといえるだろう。

 確かに、カリブ海育ちのシャバカ・ハッチングスやカリブ海系移民のモーゼス・ボイドを意識していないと言ったら嘘になるだろう。ディアスポラである自らのルーツを振り返ったら、そこには特異な歴史を持つ東洋のエキゾチックな国、日本があった。しかも、日本の音階は多くのディアスポラにとってルーツのひとつであるエチオピア音楽の音階に近い(本人談)。これをテーマにしない手はないというわけだ。12〜3年前にクラブシーンで和ジャズがブームになり、尺八奏者である山本邦山の『銀界』(1974年)、ピアニスト菅野光亮の『詩仙堂の秋』(1973年)、サックス奏者宮沢昭の『木曽』(1970年)、ピアニスト板橋文夫の『渡良瀬』(1981年)など、邦楽とジャズをミックスした作品が注目されたが、そうした作品を彷彿させながらも、これ見よがしに尺八や琴などの和楽器を使っていないところも良い。山本邦山はマーク本人も参考にしたと語っているそうだが、少なくとも表面的なエキゾチシズムに安易に寄りかかった作品でないことは確かだ。「Bushido 1」の冒頭で聴ける打ち込み風パーカッションや、「Memories of Nanzenji」や「Mizugaki」のシンセなど、ところどころ現代のサウンドが隠し味的に使われているのも面白い。欲を言えば、ブレイクビーツやベースミュージックの要素がもう少しあっても良かったかなとは思う。しかし、なんだかんだ言っても、耳を傾けるほどに発見がある聴き応えのあるアルバムだ。