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Future Cafe

音楽レビューのようなもの〜TECHNO、JAZZ、BREAKBEATS etc

「Home」Rhye

 

 

 こと音楽に関していえば、かなり前から“ステイ・ホーム”ははじまっていた。2011年にデビューしたジェイムス・ブレイクや2015年に活動を開始したビリー・アイリッシュなど、パーソナル・コンピュータを最大限に活用し、宅録を行うミュージシャンは今では少なくない。言ってしまえば、“引きこもりの音楽”だが、ミュージシャンによってはプロデュースからプログラミング、レコーディング、ミックスまでを自己のコントロール下に置くことで、誰にも邪魔されることなくサウンド作りに没頭できる環境は何にも代え難いものだろう。ベッドルームテクノやチル・ウェイヴに代表されるように、引きこもりの音楽は、リスナーが引きこもるための音楽でもある。もちろん、ジェイムス・ブレイク以前にも宅録は存在した。しかし、その多くは機材の限界ゆえに、ローファイ・ミュージックに分類されることが多かった。ハイファイな楽曲制作を可能にする宅録の進化は、音楽のあり方を根本から変容させようとしている。

  コロナ禍のニューノーマルな日常にふさわしく『HOME』と名付けられた本作は、実際にマイク・ミロシュがロサンゼルス郊外の自宅に作ったスタジオでレコーディングされたようだ。楽器演奏担当のロビン・ハンニバルが抜け、ボーカル担当だったマイク・ミロシュのソロ・プロジェクトとなったライだが、2013年にリリースされたファースト・アルバム『Women』の頃からそれほど大きくは変わっていない。デビュー時からライのサウンドは夜のしじまでこそ照度を増す音楽だった。しかし、本作は過去2作に比べるとグルーブや官能的な表現、シャーデーにも比較されたソウルミュージックとしての艶みたいなものが抑えられ、⑧「Black Rain」など一部の例外を除けば、室内楽や聖歌のように静謐でフラットなサウンドが目立つ。弦楽器やピアノ、コーラスなどの編成もこぢんまりとした室内楽風だし、ビートもどこか控えめだ。たとえば、ビートはあるものの⑪「Fire」はサティのようだ。ジャケットのアートワークも、見ようによってはエロチックということもできるが、過去作品のようにあからさまに裸体をモチーフにすることもない。⑦「Helpless」のようにとろけるような柔らかさを持ち、それでいて刺激のある楽曲がもう少し欲しかった気もするが、『HOME』と名のっている以上、サウンドの中心に安らぎや癒しを置きたい気持ちは理解できる。コロナ禍におけるホーム・リスニングに宛てたかのように、最小の音で最大に感情を揺さぶるライならではの繊細な曲作りは、唯一無二だとも思う。

 ライは、UK出身のDJ/シンガーソングライター、SG ルイスのファースト・アルバム『TIMES』に、ナイル・ロジャース等とともにゲスト参加している。フィルターハウスやフレンチハウスの影響を受けて制作されたアルバムだが、マイク・ミロシュのユニセックスな声はハウス・ミュージックとも相性が良く、新境地を見せてくれる。アルバムの完成度も高く、久々にアップリフティングなダンスサウンドを堪能することができた。

 

 

 

 

 

「CAN YOU WALK WITH ME??」柏木由紀

 

 

 AKB48の柏木由紀が7年ぶりにソロシングルを発表した。柏木由紀というアイドルには特に思い入れがあるわけでもないのでスルーしていたが、あのBiSHを生んだWACKとのコラボ作品と知って俄然、興味がわいてきた。さっそく聴いてみると従来のAKB48のイメージを覆すラウドなロックナンバーだった。わざわざWACKにオファーをしたのだから当然の結果なんだろうけど、30歳までは絶対に卒業しないと豪語する柏木由紀という存在に対する先入観が強すぎて、お局様のイメージを逆手に取った自虐的なアイドルソング(「上からマリコ」のような)か、SKE高柳明音の卒業ソングのような優等生的な大人のバラードを想像していた。作曲を手がけたのは、これまでBiSHやBiS、EMPiERなどのWACK系アーティストの曲はもとより、でんぱ組INC.の名曲「ブランニューワールド」まで、数多くの楽曲提供をしてきた松隈ケンタ。「CAN YOU WALK WITH ME??」と題されたこのソロ曲は、ノイジーなのに甘酸っぱいサビが文句なくカッコ良い。オケだけ聴くとブリット・ポップやシューゲイザーの多幸感、そしてフリッパーズ・ギター的なオシャレさもある。カップリング曲もイエロー・モンキーやデビッド・ボウイを連想させるロック調で、いい意味で“らしくない”。もちろんAKB48にも「ヘビーローテーション」や「GIVE ME FIVE!」というロックナンバーがあるけど、どこかガチではない歌謡ロックだった(どちらも大好きだが)。

 柏木由紀といえば、2017年にリリースされた「11月のアンクレット」のカップリング曲「予想外のストーリー」の歌い手として、歌が上手いメンバーで構成された”AKB48ボーカル選抜”に抜擢されていたが、この時も、AKB48の峯岸みなみ、横山由依、田野優花、岡田奈々、SKE48の高柳明音、NMB48の山本彩、白間美瑠とともに、AKBグループには珍しいアダルトオリエンテッドなフュージョンナンバーを披露していた。ヨット・ロックとしても良くできた名曲なので、ぜひ聴いていただきたい。

 このところ柏木由紀をバラエティ番組で見かけることがちょいちょいあるが、シングルの宣伝だけではなく、卒業後への布石といった側面もあるのだろう。バラエティといえば、元BiSのメンバーで、豆柴の大群ともコラボするなどWACKとのつながりも深く、テレビでも引っ張りだこのファーストサマー・ウイカが、同じようなタイミングで、阿部真央が楽曲提供をしたソロシングル「カメレオン」をリリースしたが、こちらもロックだった。柏木由紀がWACKからロック調のソロを出して、WACKとなじみのあるファーストサマー・ウイカも同時期にロック調のソロを出す。それは、ただの偶然ではない、柏木由紀の卒業後を睨んだ秋元康の戦略のようにも思える。ネットで検索してみると両者の顔が似ているという意見も多く見られた。柏木由紀のバラエティ力は未知数だが、姉御肌のキャラとして開き直って勝負すればポスト・ファーストサマー・ウイカもありかなという気もする。しかし、指原莉乃や峰岸みなみのような対応力が無いので実際には難しいと思う。でも、この曲は本当にいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「AAI」Mouse on mars

 

 

 ドイツ、ベルリンを拠点に活動する電子音楽デュオ、マウス・オン・マーズ。ヤン・ヴェルナーとアンディ・トーマによって90年代に結成された古株ユニットだが、最新作の『AAI』を聴いて、その感性の若々しさには驚かされた。かつて先鋭的といわれた多くのミュージシャンが年を重ねるほどにエッジを失い、自己模倣の陥穽にはまり、時代遅れになっていくのを散々目にしてきたが、マウス・オン・マーズに関しては、まったくあてはまらないといえそうだ。実験的でありながらも決して難解ではなく、むしろポップですらあるのが彼らの特徴だが、結成から25年以上を経た現在もその姿勢には何ら変わりはない。とはいえ、筆者はクラブジャズ/ミニマルダブ/ポストインダストリアルにのめり込んで以来、彼らの音楽からすっかり遠ざかっており、2000年代に入ってからの彼らの活動はノーマークだったことを告白しておかなければならないだろう。今作をきっかけに遡って聴いてみて、改めてその先見性と普遍性に感心してしまったというわけだ。

 本作はエンジニアやプログラマーと共同で新たに開発したAIによる作曲をベースに、第3のメンバーとしてマウス・オン・マーズの活動に度々関わってきた黒人ドラマーのドド・ンキシのドラム・パーカッションをフィーチャーして製作されたという。アルバム・タイトルの『AAI』は〈Anarchic Artificial Intelligence〉の頭文字を取ったもので、〈無秩序な人工知能〉とでもいったところか。人工知能による曲作りとはいかなるものなのかは分からないが、アルバムを聴く限り、AIという言葉が喚起させるイメージとは反対に人間味を感じるサウンドになっている。まず、イントロダクションに続く②「The Latent Space」におけるパーカッションの嵐が土着的なアフリカの祝祭を想起させる前半部から、マイルス・デイビスの『オン・ザ・コーナー』をより奇天烈に電子化したしたような後半部へと曲調が大胆に変わる展開にノックアウトされた。そう、このアルバムの根底には、おそらくAIによる始原=アフリカの解体/再構築を図るというもくろみがある。『AAI』のAはAfricaのAにもかかっているのではないかと邪推してしまうが、ここで聴くことのできるアフリカンリズムやダンスホールレゲエのようなサウンドは、完璧に制御されたハイレゾリューションな音構造ではなく、むしろローファイな感触に溢れている。彼らの持ち味であるユニークなサウンドやとぼけた感じのフレーズも健在だ。AI を標榜するサウンドが、マウス・オン・マーズ史上最もひずみが多く、ノイジーに聞こえるのは、いかなるマジックによるものなのか。アルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)や池田亮司などの〈ラスター・ノートン〉勢やオヴァル(マーカス・ポップ)の手がけるエクスペリメンタル・ミュージックと比べてみても、遥かに肉感的で、その違いは明白だ。本作では全編を通してAIによって合成された声がアクセントになっているが、そのひとつが 米ボストン大学の教授であり、アフリカン・ディアスポラの文学、政治、文化の研究を専門とするLouis Chude-Sokei氏の声だ。作品中にテクストや朗読する声をランダムに引用/挿入するアイデアは、前世紀に映画監督のジャン・リュック・ゴダール等がすでに実践しているので、さして真新しい試みでもないが、AIによる始原=アフリカの再構築において声をひとつのパーツとして機能させたいというコンセプチュアルな意図は理解できなくもない。テクストには政治的なメッセージも含まれているのだろうが、あくまでも素材として用いており、変に頭でっかちになっていないところも好感が持てる。

 本作はエネルギーに満ちており、とても聴きやすく、難しいことは分からなくても十分に楽しむことができる。南ロンドンの音楽シーンをはじめ、UKシェフィールド在住のライアン・トレイナーによるアフロ・テクノなど、近年アフリカが注目されているが、ドイツ/エレクトロニカというアフリカから地政学的にではなく、心理的に遠い場所からアフリカに辿り着いたマウス・オン・マーズの時代の先端とシンクロするセンスには驚嘆せざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

「Flor」Gretchen Parlato

 

 

 エラ・フィツジェラルド、サラ・ヴォーン、ビリー・ホリディ、ニーナ・シモンはおろか、アニタ・オディさえも苦手と公言してはばからない寺島靖国氏なら、彼女のことをどう評価するだろうか?豪快にスイングするわけでもなく、可憐に歌い上げるわけでもないグレッチェン・パーラトは、聴く者の細胞にじわじわと染みてくるようなタイプのシンガーである。その浸透圧は極めて高く、コンテンポラリージャズとの相性もすこぶる良い。ダイアナ・クラールに代表されるように、ジャズにおけるヴォーカルスタイルの主流は限りなくポップスに近づいているが、歌い過ぎないジャズシンガー、グレッチェン・パーラトも今という時代の申し子といえるだろう。

 プロデューサーにロバート・グラスパーを迎えた前作『ロスト・アンド・ファウンド』(2011)では、ピアノにテイラー・アイグスティ、ベースにデリック・ホッジ、ドラムにケンドリック・スコットという豪華な布陣を組んだ上で、さらにベーシストのアラン・ハンプトンをゲストとして招くなど、USジャズ新世代の才能を惜しげもなく投入し、現代ジャズにおけるヴォーカルアルバムの最高峰を見せてくれた。続くライヴ盤『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ』(2013)は、『ロスト・アンド・ファウンド』の世界を、よりディープに、よりメロウにバージョンアップさせた、凄味さえ感じさせる内容で、前記のメンバーに加え、現在の夫であるドラマーのマーク・ジュリアナも参加するなど、当時のシーンの勢いや熱気をそのままパッケージしたような臨場感がたまらない一枚だった。

 その後、結婚と子育てのために活動を休止、スタジオ録音のアルバムとしてはじつに10年ぶりとなるのが本作『Flor』なのだ。ライブ盤からも8年の月日がたっている。8年のブランクを経ての現役復帰。その間に、ジャズを取り巻く状況も変わり、イケイケだったロバート・グラスパーの周辺も大人しくなってきた感がある。そうした動きに同期してか、8年に及ぶおうち時間による心境の変化か、『Flor』はプライベートな印象のアルバムになった。

 冒頭を飾るのは、チェロを導入し、ブラジル風味を抑え気味にしたジョアン・ジルベルトのボサノバスタンダード「三月の水」。ずいぶんと薄口のアレンジで、1曲目にしては地味過ぎるような気もしなくもない。ピアニストのジェラルド・クレイトンが参加した2曲目「スイート・ラブ」は、言わずと知れたソウルシンガー、アニタ・ベイカーの名曲。③「Magnus」と⑦「Wonderful」には子どもたちの合唱がフィーチャーされており、母親としての幸せを表現しているかのよう。室内楽的な④「Rosa」、⑤「What's Does a Lion Say」に続いて流れるのは、ブラジリアン・レジェンドのアイアート・モレイラが参加したロイ・ハーグローブの⑥「Roy Allan」。2018年11月に49歳で急逝したジャズ・トランペッター、ロイ・ハーグローブへの鎮魂の気持ちを込めたチョイスかもしれない。リオの海風さながらに清涼感たっぷりの演奏が聴ける。⑧アカペラではじまる「J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲 第1番ト長調BWV1007 メヌエットⅠ/Ⅱ」は、声を楽器に見立てたような作品だが、1曲目の「三月の水」など、チェロの存在は本作の聴きどころのひとつと言えるだろう。そしてラストに配された⑨「No Plan」はデヴイッド・ボウイの最後のスタジオ録音曲。原曲に参加していた夫のマーク・ジュリアナが、ここでもドラムを叩いている。途中からピッチを変えるなど、オリジナル曲とは異なるプレイが聴けるのがうれしい。『Flor』のために新しく考えたアイデアなのか、原曲の時点であったアイデアをデヴイッド・ボウイが採用しなかったのか、ベテランへの忖度が働いた結果なのかは分からないが、原曲よりもこちらの方がマーク・ジュリアナらしさが出ていて好きだ。グレッチェン・パーラトの歌声は、ミステリアスで終盤はビョークのように聴こえる。

 〈ボサノバ〉、〈ポップス〉、〈子どもたちの声〉、〈クラシック〉、〈バロック音楽〉、〈今は亡きロイ・ハーグローブ〉、〈故デヴイッド・ボウイと夫のマーク・ジュリアナ〉・・・愛しきものたち。現役復帰のウォーミングアップも兼ねているから、作品としての統一感よりも自分の興味を優先したのだろう。お気に入りの音楽や大切な人を想う気持ちをコレクションするかのように詰め込んだプライベートなアルバムだから、とりとめが無いのがあたりまえ。ラスト曲は「No Plan」だし。もちろん8年待たされた身としては、そこに不満を覚えないこともないのだが、本当のリスタートは次のアルバムかも知れない。歌唱の表面的なテクニックよりも、ニュアンスの深さで聴かせるグレッチェン・パーラトなら、寺島靖国氏もきっと気に入るのではないだろうか。

 

 

 

 

 

「ぐされ」ずっと真夜中でいいのに。

 

 

 最近、ここのところ個人的に追いかけてきたUKジャズをはじめ、ミュージシャンによるバンド形態でのアルバムのリリースがめっきり減った。ロックダウンにより、レコーディングはおろか練習も困難なイギリスでは盛り上がりを見せていたサウスロンドンのジャズシーンも休業状態にあるようだ。ここ日本でも活動を余儀なく制約されているミュージシャンが多いという。そんなミュージシャンたちの悲痛な叫びを尻目に頭角を現してきたのが、ボカロPの手がけるユニットやソロミュージシャンであるシンガーソングライターだ。

 彼らにとっては、もともと主戦場が自宅やレコーディングスタジオ、インターネットなので、自粛要請の影響は少ない。その筆頭がYOASOBIだが、彼らのデビューは3年前だ。ずっと真夜中でいいのに。(以下、ずとまよ)も、デビューは3年前の2018年だから、メジャーになるのに意外と時間を要している。そのことを考えると、ここへ来てのブレイクはコロナ禍の影響を受けないマイペースな活動のたまものと言えるのではないだろうか。

 ずとまよはメジャーになったと言うには立ち位置が微妙ではあるが、セカンドアルバム『ぐされ』の堂々たる出来ばえには目を見張るものがある。チープと言ってもいいほどシンプルなYOASOBIのサウンドに対して、ずとまよのバックトラックはゴージャスとさえ言えるもので、アレンジも凝っている。③「お勉強しといてよ」のジャジーなピアノや④「勘ぐれい」に登場するマーカス・ミラーばりのベースプレイ、⑥「機械油」の琴を導入した和風アレンジのラップミュージック、⑦「暗く、黒く」のビートがドラムンベースに変わる瞬間の躍動感、⑪「過眠」の繊細なストリングスアレンジなど、予定調和を覆す創意と工夫がすみずみまで漲っている。①「胸の煙」には、〈どうして 予定調和に過ぎない無意味たち〉という歌詞も出てくるが、本人たちは予定調和から逃れることの難しさを恐らく自覚しているに違いない。それでも、予定調和にあらがう先の読めないメロディ展開は、ずとまよの大きな魅力であり、個性だと思う。

 ACAねの伸びのあるヴォーカルも、歌詞の晦渋な表現を忘れさせるほど、ポジティブなオーラに溢れている。②「正しくなれない」を聴いているとJ−POPのど真ん中である西野カナやmiwa、YUIが頭をよぎるときがあるが、それくらいヴォーカリストとしてのレンジが広いということだと思う。Aメロ、Bメロ、サビという区分けをなし崩しにするかのごとく、一筆書きさながらに紡がれる言葉からは抽象的なイメージが立ち上り、気がつけばACAねの世界に引きずり込まれている。

 米津玄師を第1世代とすれば、第2世代とも言えるずとまよだが、yamaやAdoのようにプロモーションやマネジメントという中間業者をすっ飛ばして匿名のままメジャーになっていくシステムは、今後なかば常態化していくのだろうが、もしかすると、こうした動きは世界でも最先端のシーンを形成することにつながっていくのかも知れないと、わずかながらの期待を込めて思うのだ。