「Happy Music」Supershy
東浩紀氏の最新作『訂正可能性の哲学』を読んでいたら、とても興味深い一文と出遭った。鈴木健という物理学者がその著書『なめらかな社会とその敵』(2013)のなかで分人資本主義を提唱したというのである。これを受けて東氏は続ける。「分人」は鈴木の造語で、個人よりも小さな単位を意味している。個人は英語でindividualという。これは、ひとつの身体をもった人間=個人が意思決定の単位として、それ以上に小さく分割(divide)できないものであることを意味している。 けれども、意思決定が個人より小さな単位に分割できないというのは、最新の脳科学や精神医学に照らすと幻想にすぎない。ひ とりの人間は矛盾した複数の思考を抱くことができるし、複数の共同体に属することもできる。
分人という言葉は、わたしの知る限り、作家の平野敬一郎氏に
よる造語だが、東氏の指摘が興味深いのは成田悠輔氏『22世紀の民主主義』に代表される「アルゴリズム的統治性」や「人工知能民主主義」などといった「デジタル至主義」批判の文脈で引用しているからだ。
これを読んで、わたしが思ったのは、人間の複数性がアルゴリズムによっては容易に回収できないどころか、むしろ、デジタル世界のあり方が分人化に拍車をかけているのではないかということだ。確証バイアスに向かう人も多いだろうが、SNSやデジタルアーカイヴ、サンプリングマシーンなどの多様化は多勢の分人を産み落とすだろう。
ジャズが注目される南ロンドンからロック・ギタリストとしてすい星のごとく現れたスーパーシャイことトム・ミッシュもそんなミュージシャンのひとりだ。『Geography』(2018)は、ロックとヒップホップ、フュージョンの混成アルバムでそのミクスチャー感覚が高く評価された。『What Kinda Music』(2020)では、同じ南ロンドンを代表するジャズ・ドラマーのユセフ・デイズとのコラボレーションにより、音楽ファンを魅了し、『Quarantine sessions』(2021)ではニルヴァーナやジェイムズ・ブレイク、ソランンジュのカバーを中心にギタリストとしてのサウンドを追究しつつ、ブラジルのマルコス・ヴァ―リとの共演も果たしている。
スーパーシャイはトム・ミッシュのダンス・ミュージックプロジェクト。、ロバータ・フラックをフィーチャーした「Feel Like Makin' Love」をはじめ、ダフトパンクやカシアスなどのフレンチハウスを彷彿とさせるナンバーが楽しい。ここまでプログラミング・にミュージックに精通していたとは驚きだ。コロナ禍やウクライナ戦争に翻弄される世界をしり目に、「Happy Music」というど直球なタイトルを持つこのアルバムは多幸感の一撃を放つことだろう。