思い切り泣けたので、すぐに気分は落ち着きました。




夫が傍に居てくれて本当に良かったです。感謝しています。




被災地の惨状はテレビで見るより遥かに酷く、




実際その地へ足を踏み入れると、




恐怖や行き場のない悲しみ、憤りが沸々と込み上げてきます。




ただ様子を見に行っただけの私がそう思うのですから、




被災者やボランティア、自衛隊の方々の精神的疲労は、




想像を絶するものでしょう。




アルフィオーレの目黒シェフがおっしゃっていました。




「震災直後、まずは食が求められていましたが、今はそれもだいぶ落ち着いてきました。でも皆、フラストレーションが溜まってます。次は音楽が必要になってくると思います。音楽って人の心をフッと軽くしたり包んでくれるでしょう」と。




ちっぽけな私に何が出来るか、




まだ具体的には計画出来ていないのですが…(-_-;)




私の中にある音楽が、少しでも何かのお役に立てるよう、活動していきたいです。




力を取り戻したら、少しずつ前へ。皆で力を合わせて。
日和山の坂を下ると南浜町に着きます。



祖父母のお家へ向かう、いつもの道。




こちらも、坂道の両サイドの家々は大丈夫そう。良かった。



道の途中にある学校では、生徒たちが野球をしていました。



いつもの風景に安堵しながらも、




やがて現れる風景に身を強ばらせます。




そして。





坂道をあと少しだけ残して、突如現れた灰色の街。




そこには、見えることがないはずの



道の向こうの向こうまでが見える、



高さの無い風景が広がっていました。




胸がえぐられるように感じました。




坂を下りたところには大伯父の家があったはずでした。




ですが、そこには粉々になった瓦礫とヘドロが平たく広がっていました。




おじさんもおばさんも、どこに行ってしまったの?




痕跡を捜そうとしても、知らない人の写真や、誰の物か分からない洋服があるだけ。



大伯父家族はこの近くに居るかもしれないのに、見つからない。無念です。




そこを通って祖父母の家へ。




道だけは残っているので、なんとか辿り着くことができました。





自衛隊の邪魔にならないように車を止め、




祖父母の家と思われる所の前に立ちました。
ogyappaさんのブログ-110604_1426~01.jpg




見覚えのある門や壁。



お庭の池のそばに生えていた木が、




灰色になって立っているのが見えます。




これが小さい頃から慣れ親しんだ祖父母の家でしょうか。




こんなにも無惨な形で思い出は止まってしまうのでしょうか。




覚悟はしてきたつもりでしたが、もう心が限界。




私は夫の腕の中で、子供のように泣くことしか出来ませんでした。
お墓参りの後、日和山公園へ。




日和山にある家々は特に被害は無さそうでした。



実際は分かりませんが…



日和山公園には、石巻の様子を見ようとする沢山の人が居ました。



日和山公園の横の神社は、



小さい頃に元朝参りで訪れていた場所です。



祖父母の家がある南浜町から神社へ続く階段は、本当にハードで。



小さい頃は父親の背中を追って、頑張って登っていました。



途中で休んでは後ろを振り返り、



背後に広がる街や海の景色を楽しんだものです。




津波の時、その階段は生死を分ける階段になったと、



神主様がテレビでお話されているのを見ました。



今、そこにはブルーシートがかけられ、行き来は出来なくなっています。



日和山公園の、海側の街を展望出来る場所には沢山の献花がされていました。




そして私たちはそこから街を見渡しました。




私の知ってる街じゃない、



灰色でぺしゃんこになった街が広がっていました。




自衛隊のトラックが走っているのが見えます。




聞こえてくるのは瓦礫を撤去する金属的な音だけ。




実際、無くなってしまった街を目の当たりにしているのに、


実感がわきません。


それなのに涙が出そうになります。



何だろう、この気持ち。




心は混乱したまま、


私たちは南浜町の様子を見るため、




山を降りることにしました。