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ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ

 

 

実はサラエボは

1984年の冬季オリンピックの

開催地だったそう。

 

 

そしてここには

世界一悲しいオリンピック会場があります。

 

 

オリンピック開催の7年後の1991年からの戦争で

サラエボでの犠牲者は1万人を超え・・・

このオリンピックの補助グランドを

墓地としたのです。

 

ボスニアってもともとは

3つの民族と

3つの宗教が共存している

世界でも稀な国だったそう

 

民族を超えて結婚する、とか当たり前の

全然民族の違いとか気にしない国家だったらしい

 

それが「大国に対抗しよう」ということで生まれた

周辺国6つと合体して出来た旧ユーゴスラヴィアの誕生、

その後、1995年まで続いた崩壊の混乱の中で

今まで共存していた民族同士が争うようになったらしく・・・

 

その犠牲者は国全体で20万人、

200万人以上の難民とかを生んでしまったらしい

 

事実今もボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と

セルビア人共和国に分かれている

 

20年くらい前までは

各民族ごとに車のプレートが違って

どの民族かが一目瞭然

危ない感じだったらしい

 

没年として1992~1995年までの文字が刻まれた

真っ白な墓標がどこまでも広がっていて。

お墓に亡くなった方の写真が貼られているんだけど

おじいちゃん、おばあちゃんから

若者、赤ちゃんまで本当に様々・・・

 

 

昨日まで家族だった人たち

「民族が違う」ってだけで

銃を向けなきゃいけなくなったなんて

 

最初はみんな嫌だっただろうし

反対しただろうし

傷つけるなんて出来ない人もいっぱいいただろうに

どのタイミングで、何が契機となって

憎しみ合うようになったんだろう??

 

 

そして街中には

「世界一悲しいバラ」と呼ばれるものもある。

 

これ。

 

 

これは、戦争中に街に落とされた爆弾の後に

こうやって赤いインクを流し込んだものなんだって。

 

だいぶ数は減ったそうだけど

それでも街の至る所に

この赤いバラがあって

 

今私が当たり前のように歩いている「ここ」に

爆弾が降っていた過去が正直想像つかないし

 

だけどそれが、

私がすでにこの世に生を受けていた時に

行われていたことに本当にショックを受ける

 

街には砲弾跡が残る建物もたくさんあって。

 

 

 

 

だけど、そんな悲しい過去を包み込み、

街はどんどん新しい時を刻んでいる。

 

2009年に完成したアヴァズ・ツイスト・タワー!

 

 

ボスニアで1番高いビルで142mあるらしい!!

登ったよー!

 

 

山肌に広がる

同じようなオレンジ屋根の家々

あの家1つ1つに家族があって

その人だけの人生を作ってるんだよな~

誰かがそれを奪うなんてやっぱりダメだよね、って

目の前の土地に沈んでる色んな歴史に思いを馳せてみた

 

 

そして、サラエボには

あの第一次世界大戦の引き金となった

オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子殺害現場の橋まである。

 

 

あの大事件のきっかけとなった場所、

一体どんな場所なんだろうと思いきや

幅8mほどの小さな橋でびっくり!!!

 

 

馬車で移動してたんだっけ?

護衛とか手薄になりそうな狭さだし結構地味な場所で

「えーーーここがあの教科書にも

載ってた歴史的な場所!??」

びっくり。

 

引いた引き金が大きすぎるよね・・・

 

 

すごいオシャレな国立図書館や

石壁の洞窟みたいな店が立ち並ぶ旧市街、

教会やモスクが街中にあって

かつての共存を思い起こさせたり

歩いているだけで

過去の歴史に思いを馳せずには居られなくて

「来てよかったな~」と強く思った場所でした

 

 

 

 

 

 

 

 

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