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いつか行きたい、と思っていた

ポーランドにある

「アウシュビッツ強制収容所」

やっと行くことができました。

 

 

きっかけとなったのは

10年近く前に聞いた叔母の言葉

 

叔母は結構世界いろんな場所に行っていて

「世界色々行っていると

あ~同じような景色だな、って思うことがたくさんある。

教会とか自然とか。

だけどアウシュビッツは全然違った。

あそこが世界の中で

1番感じるものがあった場所だった

 

そんなにすごい何かがそこにあるのか、って思ってた。

 

ポーランド行きも結構3日前とかに決めちゃった我々。

実はアウシュビッツにはチケットが必要なこととか

(10時~15時の間に入ろうと思ったら必要)

チケットは予約制なこととか

まっっっったく知らなくて

 

アウシュビッツ行きの起点となる

クラクフの町に着いた夜にそれについて調べてみると

10日後まで英語のツアー、

全て埋まってる・・・雷雷雷

 

さらにさらに、

最初は「行けたらいいや」と思っていたんだけど

調べるうちに「中谷さん」という

唯一の日本人ガイドさんの存在も知り・・・!

 

連絡を取ってみると

「7日後なら空いていますよ」と!!!

 

ということで

アウシュビッツで中谷さんの解説を聞くため

クラクフに7泊することになったのでした笑

 

そんな強い思いの下訪れたアウシュビッツ。

厳重な荷物検査の後、敷地内へ。

 

収容所の入り口の門が見えてきます

「働けば自由になれる」とドイツ語で書かれた門

左から3つ目の「B」の文字が逆さまで

収容者のせめてもの抵抗の表れ、といわれています

 

 

1度入ると2度と出られなかった外の世界。

この門をくぐった80%の方が亡くなったそう。

 

 

その境目には高電圧が通る有刺鉄線が張り巡らされていて

だけど生きるのが辛い人々は

ここに飛び込んで自殺する人も多数いたのだとか

 

 

煉瓦造りの建物に緑あふれる敷地内。

かつての出来事が嘘のような平和な雰囲気なんだけど

ここで

28民族、150万人以上の人々が

殺害されたといわれているそうです

 

 

そうそう、アウシュビッツって、

ユダヤ人が虐殺された場所、だと思っていたんだけど

反ナチス派や共産主義者、同性愛者など

「大多数ではない」人々が虐殺されていた場所らしい

 

で、それぞれ

なぜここに収容されたか分かるマークが

服に付けられて(太ももの所にあるワッペンのようなもの)

 

 

 

収容者同士でも

差別意識をもたせ、

団結させないようにしていたんだって・・・

 

意味の分からない、全く意味のない理由で

収容される理由なんて誰1人なかったはずなのに

それでも「違い」というもので

この狭く理不尽で死と隣あわせな環境ですら

収容者同士で差別が起こるんだな・・・

人間の性をみた気がした

 

ここは銃殺に使われていた壁。

 

 

ドイツ国旗の献花もあったりして・・・

世界中の国旗が1つの場所に集まり

今、過去の過ちに心を痛めている。

この花束みたいに、

世界が1つになったらいいな

 

そして、建物の中へ。

そもそもアウシュビッツは

ポーランドの政治犯を収容するために作られたそうで

 

アウシュビッツは世間的には

「悪い人の矯正の場」ということだったから

外部の人たちが来る時とか

外部にアウシュビッツのことを伝える際には

音楽隊が出迎えたり、

音楽隊の写真を撮影したりして

「人道的な取り組みをしています」と

世間にカモフラージュしていたそう

 

 

でも反対に

収容者が必死の思いで撮影した

世に出てはいけない写真も残っていて

女性が裸で立たされているブレた写真とか

 

 

これも

医者が「働けるか否か」を

命ある収容者をただの目視で左右の列に分けて

片方はガス室行きという、

生死を分ける瞬間の写真。

 

 

実際に行われていたことと

世に「アウシュビッツってこういう場所ですよ」と伝えられていたのは

全く実情が違って

だけどそれは今の世の中も大差ないから

与えられる情報だけを信じるのはやめよう、ってここでも思った

 

ヨーロッパ中から連れてこられた人々は

何日間も狭い列車の中にギュウギュウに詰め込まれてここに

連れてこられたそうで

列車の中で亡くなる方も少なくなかったそう

 

そもそもみんな「東ヨーロッパに移住できる」ということで

ここに連れてこられているらしく

これは列車から降りた人々のお顔なんだけど

どんな気持ちなんだろう?

新しい生活や人生が始まる、っていう期待なのかな?

本当は全てを知っている運命を受け入れた顔なのかな・・・??

 

 

なんでこんな顔になるんだろう??って分からなかったんだけど

建物を進んでいくうちになんとなく思ったことがあった

 

収容所に連れてこられた人々から剥奪した

彼らの私物のたった一部。

 

 

これは食器だそうなんだけど。

アウシュビッツの生存者の証言で

「ここに来たら殺されることは分かっていた。

だけど子どもを不安にしないために

次の生活が想像できるように、

食器などの家具をカバンに詰めた」というものがあるそうで。

 

知らずに来た人もいたんだろうけど

きっと最後はみんな知ってたんだよね

だけど

愛する子どものため。

列車に同乗した、何も知らない誰かの未来ある子どものために

本当の先の話なんてせずに

みんな見えない「未来」ってものを想像しながら

アウシュビッツに到着したんじゃないのかな?

 

だから全てを受け入れたような

だけど悲観してない顔だったのかな??

最後の最後まで

人は自分や周りの大切な人を守るんだなあ・・・

 

展示の中には

高さ2m、幅25mくらいの

部屋一面の大量の髪の毛もあって。

(ここに来た人は全員丸坊主にさせられたらしい)

 

「150万人」と聞いてもパッと分からないけど

実際にあの量の髪を見たら。

自分にもある髪の毛が

あんなに無造作に積み上げられているのを見たら

嫌が応でも150万人それぞれに

名前があって、1人1人違う人生があって、

愛する人もいて夢があって・・・ってことを

思い出さずにはいられない。

 

数字ってなんか感覚を麻痺させるよね・・・

 

そして人々から奪った靴。

 

とってもお洒落な靴が多くて

人生再スタートだ、

もしくは人生で履く最後の靴だ、と思った時に

彼らは1番のお気に入りを履いてきたんじゃないのかな・・・

 

これを履く人々1人1人に

彼らの人生があったんだ、と思うと

もう今思い出しても息が吸えない気持ちになる

 

 

ニベアの缶とかもあったりして・・・

この惨劇は本当少し前に起きたことなんだ、って

痛感させられる(第二次世界大戦中の話)

 

 

毎日超重労働なのに

食事はこれだけ。

 

 

ここの所長には

子どもも妻もいたらしんだけど

同じように家族がいるここの収容者に対して

残虐なことをすることは

なんとも思ってなかったらしい

 

洗脳なのか

洗脳されたゆがんだ正義感、ってものだったのか・・・

本当、怖いよね

所長とか

ここで働くドイツ人が

めちゃくちゃ特殊で極悪人だったわけじゃないと思うんだよね

 

ただの普通の人々、

きっと私と同じような人々が

それでも「環境」とか「当たり前」とか「みんなやってる」とか

そんなものの中で

少しずつズレて、麻痺して・・・

その積み重ねが結局こんな風になったんじゃないかな・・・

 

そしてガス室。

今はもう破壊されてしまったけど

「シャワー室に行きますよ」って言っていたから

一応水が出ない蛇口は付いていたらしい

 

 

ポン。と放り込まれたガス1つで

人々が殺され、

そして死体を処理していたのが

なんと同じ収容者だったんだって

(その収容者も口封じのために

数ヶ月後に殺されるらしいのだけど)

 

服のワッペンもそうだけど

収容者同士で監視しあったり

上下関係を生ませたり

辛い仕事や罪の意識を生ませる仕事をさせたりと

人々の心の闇とかスキに漬け込むのが

上手な政党だったんだろうな、と思う

 

「アウシュビッツ」と一言で言われるけれども

実は「アウシュビッツ」では2つの収容所を見学することができる

 

 

こちらの収容所は

まだまだ増設するつもりだったようで、

戦争が終わらなかったら

一体どのくらいの人を殺すつもりだったんだ?とゾッとした

 

 

収容所に入っていく鉄道の線路。

本当、死の道だよね・・・

何人の人がこの片道切符の鉄道に乗ったんだろう

なんで私は

またここから当たり前のように出ていける運命なんだろう?

何が彼らと違ったんだろう??

もう、意味が分からない

 

当時のままの内部が残されている収容所。

冬は大量の雪が降るほどの施設で

暖炉も十分な布団もない中

こんな硬くて狭くて冷たいベット・・・の上に

2~3人寝ていたのだとか

 

 

 

これは、女性専用の棟にあった

手洗い場だったかな?

 

 

トイレの使用回数も決められていて

だけどみんなそれだけじゃ足りないから

こっそり茂みに隠れて用を足していたんだって

 

そういうことが

彼ら彼女らから

人間としての尊厳を奪っていっていたらしい。

 

そしてここで、

私が本当に「アウシュビッツ」というものについて

「過去の歴史」ではなくて

「自分のこととして」考えられた出会いがあった

 

イスラエルから来ていた学生さんたちとの出会いだ。

出会いというか

見ただけなんだけど

 

100人くらいで来ていた彼ら彼女らたちは

芝生の上で

それぞれ号泣してた

 

 

私たちですらとても苦しいのに

彼らにしたら

ここで殺された人はおじいちゃん、おばあちゃんたち。

もしかしたら

写真も残っているかもしれないし

ここで殺された「150万人」が

リアルに想像できてしまう彼ら。

胸に感じる痛みは、私たちの比じゃないんだろうと思う。

 

あまりに辛くて悲しくて苦しそうで

ここで初めて涙が出たのが彼らを見た瞬間だった

 

イスラエルの建国には

もちろん各国の思惑もあるけれど

 

ホロコースト(この大虐殺)、という

大事件抜きでは語れないらしい。

 

当時ヨーロッパには900万人のユダヤ人がいて

そのうち600万人が虐殺されたそうなんだけど

 

2000年も国を持たず

国籍を持たず

たくましく生きてきたユダヤ人たちが初めて

「このままだったら民族が滅ぼされる」

危機感を持って生まれたのが

イスラエルなんだと。

 

そのくらいホロコーストがユダヤ人に与えた影響は大きくて

「ユダヤ人とは何か」と自分のルーツを考えるために

イスラエルの学生たちはこの地にやってくるのだとか。

 

それは私たちの思う

「歴史授業」とか「課外活動」を超えたものらしく

「祖国・日本」という、

見えないけれど大きな後ろ盾を持った私たちには

きっと想像しきれないものがあるのだと思う。

 

第二次世界大戦は原爆のこととかもあって

やっぱり敗戦国としての「されたこと」がクローズアップされやすいけれど

その影にはこんな歴史もあったんだ、って。

 

ホロコーストの成り立ちが語られる時

「独裁者であり、圧倒的なリーダーシップを持っていたヒトラーが

今ドイツがこんなに苦しいのはユダヤ人のせいだ、と人々を洗脳したから」と

教えられることが多いし

私もそう思っていたんだけど

実はヒトラーが大統領になった時の

彼の得票率?は30%程度だったらしい。

 

じゃあなんでホロコーストが起こったのか。

最初「ユダヤ人を追い出すぞ!」と言い始めたのは

ヒトラーではなく

 

街角でひそひそと囁かれる

「今ドイツって不況だよね。

なのに勝手にドイツにいるユダヤ人は金持ちだよね。

あいつらムカつくよね」っていう

国民1人1人の

フラストレーションだったのだとか。

 

それを声を大にし実行したのが

民主主義によって、

国民から選ばれたヒトラー、というだけだった、とここで教えてもらった。

だから民主主義においては

「第2のヒトラーを生み出さない」よりも

「ヒトラーを支える人々を生み出さない」という方が大切なんだと思う

 

このホロコーストは

民主主義国家である国で行われていたことなんだ、って思ったら

なんだかすごく怖くなった。

 

それって現代でも

日本でも起こりうることだと思うから。

 

「~が悪い」という風潮を生み出せば

「そうだよね」っていうのが国民の総意になってしまうし

それに反対すると白い目で見られる

 

最初の音楽隊と

裸でガス室に連れていかれる写真のように

「私は今どちらの写真を見ているんだ」っていう視点を

忘れないようにしないといけない。

 

だけど同時に

自分の弱さも見えて来る。

 

「じゃあ私がもしホロコーストの真っ只中にタイムスリップしたら

ドイツの政策に反対できたか?」

っていうと、どうかな?

 

強制収容所で人々を支配する「ドイツ軍兵士」

政策に反対し最後には収容所に入れられる、当時の言葉では「政治犯」

政府が何をしているか知っていながらも黙って知らんぷりをする「市民」

運命を受け入れざるを得ない「ユダヤ人」

 

どの立場になりたいか、ってカードを差し出されたら

私はそっと「市民」を選ぶと思うんだ。

 

その市民が増えるから

ホロコーストは止められなかったんだよね。

 

民主主義においては

「大多数」でいるのが絶対

安心安全。

 

こんなに平和で守られている現代の日本でだって

政治活動している人って少ないのに

かつてのナチスみたいな政党が生まれたら

人々は一体どうするんだろうね?

 

 

 

人って結局、

自分の何かを守るためには

人を押しのけたり、傷つけたりせずにはいられないのかな、と

この場所に来て考えるようになった

 

今イスラエルは

かつて自分たちがされてきたように

パレスチナの国土を奪い

人々を監視したりしているし

 

日本も北朝鮮に制裁を加えているし

 

「平和な地球」なんて

宇宙人が地球を侵略しようとしてきて

「地球人」として一致団結する時まで

来ないんじゃないかと思ってしまう。

 

 

かつての「虐殺された」ユダヤ人の歴史

そして今の「自国を守るために他国を支配している」イスラエルの歴史

 

歴史の移り変わりを見たときに絶望的な気持ちになるけれど

 

この時間軸の未来に

今までの歴史にはなかった、

平和な選択肢を加えたい。

 

その歴史は

役人が作るわけでも

首相が作るわけでもなく

結局市民1人1人が作り、

選択できるはず、っていう希望を

無理やり作ってアウシュビッツを後にした。

 

アウシュビッツで見たものは

かつての辛い歴史ではなく

 

「どんな未来を作りますか?

そのためにあなたは何をしますか」という私たちへの問いだった。

 

「過去に大変なことがあったんだね」

「これからはこんなことないようにしようね」

そんな言葉では終わらない

今まさに必要とされていることを

この悲しい歴史は教えてくれた。

 

3時間のツアーの内容が濃すぎて

私に知識がなさすぎて

まだ頭パンパンで文章も意味不明なんだけど

今思うアウシュビッツの感想でした

 

 

あ!

アウシュビッツは

ぜひ中谷さんのツアーに参加することをお勧めします

 

アウシュビッツって「博物館」と思っていかない方がいいと思う。

展示品はたくさんあるし

当時のものがそのまま残っているんだけど

 

説明文とかってほとんどなくて

ほんと「そのまま置いている」という感じ。

 

だから知識もなく行っても

そこにあるものがなんなのか分からないと思うし

 

1人でいったら

自分の今までの考えの中で

「アウシュビッツとそこで起こったこと」を判断しちゃうけど

中谷さんが話の中で

色々と考えるきっかけをくれて

それこそがアウシュビッツで感じるものだと思うから。

 

中谷さんは毎日朝晩1回ずつツアーしているみたいだけど

旅行会社とかが1年ほど前から日程抑えているみたいで

個人旅行者がツアーに参加しようと思ったら

結構タイミングとか大切みたい

(私たちも1週間待ったし笑)

 

だからポーランド行く、って決めたら

とりあえず中谷さんに連絡とってみて

ツアー開催に合わせて日程組む、くらいがいいかもしれない。

 

ツアーはマックス30人らしくて

人数でツアー代金を割ります

 

私たちの時は20人で1人50でした

 

\★★絶景担当はインスタグラム★★ /

  

 

 

 

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【9月18日家計簿】

1ZT=33円で

2人合計ざっくり計算

 

アウシュビッツ行き帰りバス:56ZT 1848円

アウシュビッツ中谷さんツアー代:100ZT 3300円

晩御飯(レストランでカツみたいなのとポテトを揚げたもの):35ZT 1155円

宿泊費:1550円

 

 

合計:7853円

 

内訳

宿泊費:1550円

移動費:1848円

娯楽観光費:3300円

飲食費:1155円