5月28日(水)
アルバイトの現場で、伸び放題になった垣根の枝や葉っぱをキレイにカットしてくれと言われて驚いた。
ケーブルなどを切るゴツいハサミでチョキチョキ木の枝を切った。
これは植木屋ダナ、と思った。植木屋初体験。
植木屋といえばバカボンのパパだ。宇宙で最も好ましいキャラクターだ。だから悪くないフィールなのだ。
A型の気質が出るのか、枝葉がスーッと真っ平らになるまで丁寧にチョキチョキした。かなりキレイにできて満足だった。没頭した。
垣根の葉っぱも切ってると花粉みたいなのが飛んでくる。たくさん浴びて腕がかぶれた。カユイ。
足元に山のように積もった枝葉をかき集めてゴミ袋に詰める。整理整頓カタルシスが満たされる。
チマチマ小さな事ばかりにカタルシスを感じる。
これじゃ大成デキナイ。
しかし僕は脳ミソが感じるままに喜ぶノダ。これでいいのだ。
家に帰って、阪神-巨人戦。
延長12回、サヨナラ満塁ホームランで阪神が勝った。
こちらのカタルシスの方がはるかにデカかった。六甲おろし、狂乱絶叫。単独2位!
阪神、応援してるけど、勝ったら嬉しいけど、負けたチームがションボリしてたり、エラーした選手や、火だるまになった投手を見てると可哀想にナル。
火だるまになってる人間に自己投影するの、一生治らないのか。
僕も植木屋になった。
またなれたらいいナ。
植木屋と言われて連想するのは、やはり植木等であり、クレージーキャッツである。
クレージーキャッツの曲はどれも宇宙の宝だと思うが、中でもすごい「五万節」。
まるでココロの賛美歌だ。
飲んだビールが五万本。
この歌がこの世にあってよかった。安堵。
アデュー。しあわせは、そこかしこにある。
あるなって脳が感じるだけで、見えなくても、しあわせ。