菜月の問わず語り -4ページ目

菜月の問わず語り

気ままにゆったり更新します。
内野聖陽さん、新納慎也さんに関するものが多くなる予感。


今までtwitterで見たことのない写真の数々。 ありがとうございます。

先ほどブログを上げたばかりだけど、書き直したくなってしまいました。

書き足りなかったことが次々に思い浮んで・・・。

ああ、ほんっとうに素晴らしい舞台だったなぁ。 

7人の出演者は三谷さんが選び抜かれた役者さん。プロフェッショナル選抜チーム!

そんな中に新納慎也さんがいることの幸せ! 

そしてプラチナチケットを取って下さった新納さんとROUTE216スタッフの皆様に

心から感謝いたします。 自力だけでは1枚取れたかどうか・・・。ありがとうございました。

 

さて新納さんの未発表のお仕事は何でしょうか!? 
「生きる」の稽古から「日本の歴史」大千秋楽まで走り詰めだった新納さんに
先ずはしばらくゆっくりお休み下さいと言わず、次の仕事を聞きたい酷なファンでごめんなさい。

 

「日本の歴史」をミュージカルで…、しかも出演者人で50を超える役!?

他の脚本家、演出家なら「じょーだんでしょ!」と言うところだが、何せ三谷幸喜先生。

どんな「びっくり箱」の蓋が開くのか楽しみにしていた。
そして初見で感じたことは、三谷さんの「思考カイロ」はどうなっているのかという果てしない疑問()。日本の歴史にテキサスの一家を持ち込んで、気がつけば何の違和感も感じさせない説得力。ストーリーの流れと、歴史は「因果」の繰り返しというテーマが大変分かりやすいと思った。

 

出演者人の皆様。
もう素晴らしいとしか言いようがない!

この人にこの役をと、三谷さん配役するの楽しかっただろうなと思う。 

実力者揃いだからどんな期待・難題にも応えてくれると確信していらしたことだろう。

皆様の演技を見ていると一切迷いがない。少しでも演技者に妥協が見えると観客も居心地が悪くなるものだが、心置きなく笑えて泣けた。本当に楽しい舞台だった。
香取慎吾さんは映像も良いけれど、私はやはり舞台をお勧めしたいな。あの華のあるオーラは舞台でさらに輝くと今回あらためて感じた。

 

そしてやはり新納さん。

人物に応じた的確な演技、癒される歌声・キレッキレのダンス、加えて抜群のスタイル! 

この舞台でもまた役者「新納慎也」を堪能させて戴いた。
カッコ良いスタイリストも可愛い残念君カールも、ビシバシ唄い踊る仲麻呂も素敵だったけれど、私が一番心惹かれたのは家重だった。

何だろうなぁ、あの透明感。 儚げで哀しくて…ピュア。
笛を袖から出すのもおぼつかなくて。大岡忠光の言葉に一瞬輝く笑顔。言語不明瞭な家重の言葉を笛に託すなんて三谷さんの発想が凄すぎる。ピュアな家重だから、ピュアな心を持つジュニアと時を超え国を越えて共鳴し幻を見ることが出来たのだろう。

同じように笛(鼻笛)を愛用するジュニアも家重様の気配を感じていた。 

偉大な父親・吉宗の跡を否応なく継がされた家重。しっかり者の父親・ノエルを継ぐ者として期待されていたジュニア。 

笛を愛する二人は「僕には無理なんだ」と嘆いても因果の波にさらわれていく。

 

アメリカと日本、今まで遠く離れていた場所と時間が交わる時、これまでの因果を集約するかのように悲劇は起きる。新納さん扮する日本兵とジュニアが戦場で対峙する。 

日本兵を演じるのは家重を演じた新納さんでなければならなかったのだ。三谷さんが組み上げて来たピースがビシッと決まったと(私が)感じた瞬間、心が震えた。
日本兵が最後に呟く「お母さん!」は、カールが残した「母さん、ごめん!」にリンクする。

本当はしたくなかったことをやらざるを得なくなってしまったカールと日本兵、切ないなぁ。

 

本当にたくさんのことを感じて勇気をもらった。平成最後の師走にこの作品を観ることが出来たことを心底幸せに思う。

 

なんだかんだと足掻いても歴史は続いていくのだ。 だったら私たちは「何とかなると思ってりゃ、何とかなるもんだ♪」とオブライエンソングを応援歌にしっかり前を向いて生きよう。 そう思わせてくれた舞台だった。

 


新納さんの感動的なブログを読み、私の千秋楽は終わった。

私のブログなど必要ないと思っていたが、この素晴らしいミュージカル「生きる」に出会えて感じたことを備忘録として残しておきたい気持ちになって来た。 

多分2年後くらいに再演されると固く信じている。 その時が来たら初演と再演を私自身どのように感じたのか比べてみたい。

 

鹿賀さん演じる渡辺勘治の完璧な役作りと共に、新納さんが創り演じた小説家の醸し出す魅力に感謝と賛辞が心に溢れてくる。

脚本は原作にはあまり出てこない小説家像を丁寧に魅力的に描いている。 

新納さんもまた鹿賀さんとバランスを取り合いながら、丁寧に繊細に時に奔放と思えるほどの自在な演技で具現化して見せてくれた。


この舞台は主人公「渡辺勘治」を中心として、役人もヤクザも黒江町のおばちゃんに至るまで、個々に名前がついている人もいない人も個性を持って咲き乱れる花のように素晴らしかった。

そして新納さん演じる小説家の存在が、まるで花々を花束にするリボンのような役割を果たしていたのではないだろうか。

名前を付けられていない「小説家」は軽やかなストーリーテラーであり、一方では渡辺の魂に寄り添い舞台を鮮やかに纏め上げていた。

 

小説家が「みんな高尚な小説より俺の三文小説の方を読んで(くれる・・・)」と言い淀んだ口調で、今の自分自身への不満、やるせなさを見せてくれた。

彼はそれを睡眠薬と酒で心の中に閉じ込め、巷で快楽を拾いながら三文小説を書き続けていたのだろう。

そんな時に短い期限ある命を前に、過去の自分と決別しようとしている渡辺と出会う。 

だらだらと流されるままに生きている自分と、これまでと違った生き方をしようと決意した渡辺。 小説家にはそんな渡辺がとても眩しく映ったのではないか。


小説家は渡辺がくれると言う睡眠薬をタダで貰うつもりはない。金は要らないと言われれば酒代を支払うと言う。 渡辺がテーブルに置いた睡眠薬が自殺用だったのではないかと気付いてそっと袖にしまい込む。 大金を前にちょっと怯んだりもする。 

この酒場のシーンで小説家が単なるたかり屋でないことを脚本は明らかにして見せる。 

それが後のお金を返すシーンに繋がり、表面の自堕落さと違ったピュアで優しい人柄を表し、生きた証を残したいと住民のために公園造設に奔走する渡辺に魅かれ取り込まれていく小説家の姿に無理なく共鳴することが出来た。

 

夜の街を案内して回る小説家。
人にぶつからないように庇い、トラブルに巻き込まれないようにひたすら渡辺の世話を焼く。 自分が楽しむことより渡辺が楽しんでいるかどうかを常に気にかけている姿が微笑ましい。
 あれもダメ、これもダメ、一向に乗ってこない渡辺を見て成すすべもなく、ついには混乱して
しゃがみ込んだ渡辺の前に、そっとお金を返して立ち去る小説家。 

その時のあぁ参った、失敗したなぁ、どうしようごめんね…というような彼のオロオロした姿が心に残る。

 

渡辺は仕事を休んで若い女性トヨに癒しを求めるようになる。 彼女の生命力、明るさに救われているのだが、他人の口は「若い女に狂っている」「老いらくの恋」などと姦しい。

一人息子光男は父親が「大金を下した」「会社を休んでいる」「若い女と付き合っているらしい」というこれまでの渡辺らしからぬ行動に動転して、父親の話を聞こうともせず「みっともない!」一言で切り捨てた。 

その時の街の人と息子を見る小説家の目は、怒りと悲しみと侮蔑を含んで氷のように冷たかった。


巷での快楽に馴染めなかった渡辺は、人のために何かを残すことこそ自分の生きた証だと気付いて、黒江町の人々が望む公園建設に残りの命全てを賭けようと決意する。

鹿賀さんの「二度目の誕生日」は心を決めた者の高揚感が溢れて、8回観て8回とも号泣した。 まさに鹿賀丈史ここにありという絶唱だった。

 

アントラクトに現れた小説家は「渡辺勘治は生まれ変わった!」と高らかに宣言する。 客席からは拍手と歓声。 渡辺の変化に高揚する小説家と続きを待ち望んでいる観客の一体感。 素晴らしい作品は舞台と客席が反応しあって思いがけない「瞬間」を作り出す。 あの場に立っていた新納さんも幸せだったろうが、観ている私たちも幸せだった。  

 

面倒なことから逃げ回るだけの助役以下お役人。 嘆願を繰り返す渡辺に辟易した助役は卑怯にもヤクザの手を借りて渡辺を痛めつけ、トヨと賛成派の主婦たちを追い散らす。 それにも負けない渡辺は小説家に「力を貸して欲しい」と訴える。 

どうしてもここに公園を造りたい思いを込めて渡辺が唄う「青空に祈った」は、息子が幼少の頃の思い出と共に、未来の希望へと繋がっていく子供たちに寄せて切々と響き渡る。 

小説家は「病気のことも、公園の事も息子にいっていないのか?」とあきれるが、「病気を知れば、息子は入院させるだろう。 ベッドの上でただ死を待つのはイヤだ。 公園が完成したら何もかも話す」と渡辺の決意はかわらない。 

しかし渡辺に残された時間は少ない。

 

助役とヤクザの密会の場に踏み込んだ小説家は、その場の写真を撮り「年内に公園を造り上げると一週間以内に新聞に公表しなければ、ヤクザとの密会の写真を新聞に載せる」と宣言した。 縁側に腰かけて余裕ありげに見える小説家だが、口調は早く強くなっていく。 渡辺の命の期限を前に彼も切羽詰まった状態にあることが伝わってくる。

一見強引な作戦ではあるが、義侠心に富んだ小説家の振る舞いは本当に頼もしくかっこいい。

 

小説家の思惑通り助役は態度を一変し、公園が造られることになった。

渡辺は弱ってくる身体に鞭打ち目標に向かって最後の力を振り絞る。 役所の壁の時計が物凄い速さで回り続けるのを私は固唾をのんで見守っていた。 皆が待ち望む公園の完成が近づいてくる嬉しい時間、しかしそれは渡辺の命を削る時の動きでもある。 やがて時計の針は静かに止まった。


渡辺勘治の葬儀の場面・・・。

公園完成披露式の前日に公園で渡辺が亡くなったことを葬儀に訪れた役人の雑談で私たちは知ることになる。 とても渡辺のことを好意的に思っていたとは考えられない口ぶりに、事情を知らない光男は迷惑をかけたと平身低頭するばかり。 それをいいことに助役はじめ役人たちは公園造設を自分たちの業績のように話す。 お焼香に来た黒江町のおばちゃん達もとよも、渡辺の苦労を良く知っているだけに手柄を持って行こうとする助役や役人たちに憤りと侮蔑の目を送っている。

途中から現れた小説家は渡辺の遺影を語り掛けるように見つめていたが、役人たちの言いたい放題に怒りの声を上げる。

 

「親父は病気のことを知らなかった。 もし知っていたら俺に言わないはずがない」「親父はあの女の所為で変わってしまった」と言い募る光男に小説家がブチ切れる。

「親父のことを何も分かっていない、こんなどうしようもない息子を残しやがって」と強引に渡辺の最後の場所公園のブランコのそばに引きずって行く。 そこで小説家は渡辺の気持ちをしっかりと光男に伝えた。 話始めてからの小説家の息子を見る眼差しはとても優しく温かい。

ここで聴く渡辺の「ゴンドラの唄」と「青空に祈った」は振りそぐ雪に飾られ、やっと父親を理解することが出来た光男の嗚咽と小説家の静かな涙に送られて昇華されていった。

 

新納さんは本当に良い作品にキャスティングされる思う。 そしてきっちり作品と向き合い魅力ある人物を創り出して期待に応える。 その努力と献身が次の仕事に繋がっていくのだろう。 新納慎也のファンで良かった! 今回もまたファンであることを誇りに思える舞台をありがとうございました。