凄い舞台に出会ってしまった。 思い出しては今も涙ぐんでしまう。
解釈は個々人で異なるだろうが、その人が感じたことがその人にとっての正解で良いのではと思う。
そしてある日挫折や閉塞感を覚えた時、「hymns」が我々に伝えたかったのはこのことではないかと
改めて思い直しても良いのではないか。
幕が上がり対峙する二人、オガワとクロエを見て、さらに黒い絵とクロエのコートの共通点を見た時、
クロエはオガワの分身、オガワの押し殺した自我だと思った。
若くして周りの賞賛を浴び、当然のようにオガワを利用しようとする人達が現れる。
でもその人達(世間)はいつまでもオガワを自由にさせてはくれない。
ナナシは言う「(一般受けする)絵で稼いで、描きたい絵をかけばいい。
皆そうして自分の本当に描きたい絵を守っている」
ムメイは言う「お前が大賞を取ったの10年前か・・・もう若さは売りに出来ないな」
一般的には正論だろうが、オガワには受け入れがたい話だろう。
オガワ自身も何とか殻を破りたいと足掻いている。
だから冒頭でクロエにペインティングナイフを突き立てようとする。 それをクロエに阻まれた時、オガワはやっと自分の中のもう一人の自分と向き合うことにしたのではないか。
オガワの想念のなかに息づくクロエは自由だ。
自らをギャンブラーと称し、言いたいことを言い、やりたいことをやる。
絵を描くこともギャンブルも同じようなものと言うクロエは、オガワが知りたがるギャンブル必勝法を、
お前が信用出来てお互いが別の道を生きると決めた時に教えてやると嘯く。
本当は何がしたいのか、どうしたいのか、悩み続けるオガワに対して、クロエは何故心のままに動いてはいけないのか、と問い詰める。
描きたいものがあったら描けばいい。 褒められなくても自分が納得できればそれでいいはず。
お前は自分のゴールが分かっていないから見当違いのことばかりしている。
オガワが押し込めている思いをクロエは鮮やかに暴き出し論破していく。
クロエはナナシとムメイを撃ち殺した。 もちろん本当に殺人が起きたわけではないだろう。
煩わしい世間を代表している二人をオガワの意識の中からクロエは取り除いたのだ。
残るはクロエだけだ。
若いオガワの成功の証、オガワはそこから抜け出せないでいる。
オガワはクロエをどうしたいのか。 そこから二人の壮絶な駆け引きが始まる。
オガワを演じる佐藤アツヒロさんと、クロエの新納慎也さん。
私には二人の俳優の魂が対峙しているように思えて身体が震えて来た。
ロシアンルーレット、無茶な勝負を仕掛けるクロエは狂気じみているが不思議に美しい。
お前は絵を描くことを賭ければいい。 生き残れたら神様が好きに絵を描いていいと言ったと思え。
オガワがオガワであるために容赦なく追い詰めるクロエ。
オガワはクロエを抹殺することで今の自分を乗り越えるのか。
それとも共存することで画家として生きる意義を見つけるのか。
最後に1発残った拳銃をクロエはオガワに向ける。
私には強い口調で煽り続けるクロエがオガワを突き放すのではなく、まるで寄り添うように見えてきた。
オガワはここで逃げたら一生後悔するように思えると、静かに抵抗をやめる。
オガワの心が定まったのを見たクロエは、ギャンブル必勝法は「勝つまで止めない」忘れるなと言い残し、銃口を自分に向けて引鉄を引く。
最後にオガワに向けた笑顔があまりにも優しく無垢のうえに、それを見つめるオガワの溢れる涙で
私の涙腺大崩壊・・・。
全ての精神的な柵から解放されたオガワは、真っ白いキャンバスに向かって絵を描き始めた。
きっと「勝つまで止めない」を心に自分自身に挑戦し、描きたい絵を描き続けるだろう。
しかし人生は長い。 繊細なオガワが再び創作に迷うことがあったらどうなるのだろう。
叱咤激励してくれたクロエはもういないが・・・オガワの心に戻って来ることが出来るのか。
答えのない答えを探すようで、この後を考えるのは野暮かな?とウダウダしていたら・・・。
東京千穐楽の夜に明るい未来が見えて来た(笑)
佐藤アツヒロさんはとてもピュアな人(by 新納さん)。
だからこそあの繊細なオガワ像が創れたのだと思う。
そして「狂気と正気、悲劇と喜劇を自在に行き来する俳優」と評された新納さんは、
存分に持ち味を発揮してクロエを生きてくれた。 ファンとしてこんなに嬉しく誇らしいことはない。
この舞台はこれからの新納さんにとって、大きな力になったのではないだろうか。
これからも役者同士の真剣勝負のようなストレートプレイをまた見せて欲しい。
そして歌に不得意感があるとインタビューで語った新納さんだが、切れのあるダンスを含めて
ミュージカルも絶対続けて欲しい。
久しぶりに濃密な心理劇を観た。 観る度に深く深く心にしみ込んでくるようで物凄く疲れる。
しかし、背筋を伸ばしてしっかり生きようと思える舞台だった。