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菜月の問わず語り

気ままにゆったり更新します。
内野聖陽さん、新納慎也さんに関するものが多くなる予感。


 

大人の魅力にあふれたソロライブだった。
「BALLAD de NÎRO」大人のたしなみセットをいただきながら、
のんびりゆったり、至福の時間を過ごす。
なかでも「愛と月と君と」「鱗」が聴けたのが嬉しかった。

 

「愛と月と君と」を聴いていると、大好きな李白の「静夜思」を思い出す。

無関係なんだけれど・・・。
「静夜思」の「挙頭望明月 低頭思故郷」の中に、
今は遠く離れた恋人を思う心を感じるからなのかなぁ。


「鱗」はNÎROCK!Vol.9でこの歌を聴いた時、
ボーカリストとして新納慎也の凄さをあらためて感じたのだ。
このライブでも息をのんで聴き入ってしまった。

ほんと鳥肌ものの圧倒的歌唱力!

 

「BALLAD de NÎRO」は今までのやんちゃなNÎROから
落ち着いて艶やかな大人のNÎROへの分岐点なのかもしれないと思う。
それでもトークのなかに、やんちゃなNÎROの片鱗を見られたのが

それはそれで嬉しかった。

 

「BALLADE de NÎRO」が毎年の恒例公演になりますように!
来年の初詣には、新納さんのご活躍と共に、このことをお願いしよう。


 

何が現実に起きているのか、ついに最後まで「これが正解」と思える結論に辿り着けないまま舞台は終わってしまった。

 

そのためなのかモヤモヤ感は後を引き、何時まで経ってもこの舞台のあれこれが思い出される。

制作者・キャストの皆さんの術中にハマったかも・・・と苦笑してしまう。

 

DVDが来る前に、とにかく、何としてでも、無理やりにでも、「私の思う正解」を覚書にして、DVDとの答え合わせに臨みたいと頑張ってはみたけれど・・・。

相変わらず脳内大混乱は収まりそうにないので、今まで考えてきたことを記録しておこう。

 

初見の時はケビンの衣装で分けて、Tシャツを着ている初めの部分と最後の部分が現実で、

その他は小説の中と単純に考えた。 でも自分自身でさえまったく納得できない。

 

一番気になるのがラストのパートなのだ。
あのパートの登場人物は、ケビン、ラルフ・ブース、花屋のレイモンド、管理人のおばさん。
レイモンドはケビンの小説を読んでも別に驚く様子もない。レイモンドが連続殺人の犯人なら
驚愕するだろうし、ましてやおばさんにその小説をみせることなどあり得ない。

 

ここからは私の妄想炸裂。

 

小説家を夢見るケビンは、隣人のラルフ・ブースという小説を書くのを趣味にしている年配の男性を

参考に「アンクル・トム」の人物像を創り上げる。

そのトムおじさんを狂言回しに、ケビン自身の今まで体験してきたことや現在起きている連続殺人事件のニュースをヒントに推理小説を書き始める。

もちろん主人公はケビン自身。 友人のレイモンドとのやり取りも小説の中に取り入れる。

 

ケビンは幼いころ酔っぱらっては虐待する母親を殺したいと思ったことがあったかもしれない。

母親が娼婦なら、潜在的に女性不信に陥っていても不思議ではない。 

現在進行中の女性殺人事件は小説のヒントになり、現実にはできなくても、想像の中、自分の小説の中では殺すことが出来る。

「操られた殺人」は「アンクル・トム」の小説中の小説ではないのか。
女編集長は現実に行われた連続殺人
の中にそれらしき人がいて、その犠牲者をヒントに創られた人物かもしれない。

 

日頃酒を飲まないケビンが隣人のところからくすねたアブサンで妄想を膨らませたら、殺人の描写など
容易いのではないか。レイモンドのお前の小説には刺激がない(意訳)という弱点も、アブサンの力を借りてならどんな残酷な殺しの場面も書けるのではないか。
さらにトムおじさんが実在の人物なら、殺人の現場写真を簡単に手に入れるなど出来ないと思うし、
ケビンの両親のことをケビン以上に知ることは無理だろう。

ケビンの最後の仕上げは、自分が創り上げたアンクル・トムを消し去ること。


酒を飲み妄想と現実をさまようケビンが、隣人のラルフ・ブースを自分が殺したはずのトムおじさんと
混同して怯えたのだろう。

つまり最後の場面に出てきたのが現実で、その他は全てケビンの小説の中での出来事。

 

こうして大混乱の中、取り敢えず考えてはみたが、DVDを見てもなおさら混乱するような気がする。 

うーん、下手の考え休むに似たり・・・だよね。

 新宿・上野と汗だくになって通った舞台。

でも終演後は心がほっこりし、何があっても頑張るべしと自分を鼓舞しながら帰途につけた舞台だった。

最近落ち込むような出来事があれこれ降りかかって来て、心身共に泥沼にはまったような状態が続いていたが本当に観に行ってよかった。 

思い切り笑って最後みんなと唄って、さらに行き帰りの噴き出す汗でデトックス出来たみたい。

 

舞台装置といえば帽子をのせた机が二つに椅子が一脚、ダンボール箱が2個。 二人の役者が20ほどある帽子を取り替えながら登場人物を演じて成立する、いや成立させてしまう舞台。 
歌ありダンスあり、もちろん演技あり。 <漫才師と化す素の新納さんと原田さん> <脚本家と音楽家として登場するデ・ニーロとハワイ生まれの日系ハラダ君> <二人が演じる20人の役> 多重構造の舞台が破綻なく楽しく進んで行く様子は圧巻だった。新納さんはこれを10日間の稽古でやり切ったのですね!
 
腕のある役者、しかもその二人の間に信頼関係がなければ収拾不可能な舞台になってしまっただろう。 新納さん、原田さんの俳優としての類まれな技量とトーク力。
フリートークには瞬発力が必要と思うのだが、特に新納さんの切り替えしの見事さに、爆笑しながら圧倒されてしまった。 本当に聡いひとなんだなぁと感心する。
 
「笑って笑って心が緩んでいるところにメッセージがスッと入る」 新納さん、その通り!
爆笑して心が無防備になったところに、私たちが考えなければならない多くのことが飛び込んでくる。
周りの人への無関心、排他的な考え方がやがて大きな渦となって憎しみを育ててしまう。 それはほんの些細なこと、不満や不安から始まるのかもしれない。 自分に夢があるように他の人もそれぞれ夢や願いがある。 しかし憎しみに支配された心ではそのことを考えることが出来なくなる。 
特に私は自分の考えに囚われて俯瞰して物事を見ず、最悪面倒だと逃げ出してしまうことが多い。
最後にみんなと一緒に歌いながら、自分の夢を大切に思うなら人の考え方、夢も理解できるような人になりたいと思った。 今年後半の課題である。 う~ん難しい。