父親を嫌いな息子が父親の存在を認めたとき。 | 「男性はもっと女性のサポートをしよう」僕にできること。

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みなさんこんにちは


お助け男子のたっちゃんです


僕の両親は僕が小学校2年生の時に離婚しています。


理由は度重なる親父の浮気。


親権は親父にあったものの
帰ってきたり帰ってこなかったりの日々。


たまに帰ってくると
調理師だった親父の夕ご飯が楽しみでした。


プロのご飯が家で食べれる
ようなものです。


すごく楽しみでした。


特に好きだったのが「鍋焼きうどん」


ちゃんと出汁から作ってるから格別に美味しい。


他愛もない料理でも
親父の料理は美味しいという
先入観のせいかどんなご飯でも美味しかった。


親父が家に帰ってくる日はハッピーでした。


しかし、帰ってこない日もありました。


女の家にいたんですね。


帰ってこない日はやっぱり寂しい
朝親父の部屋を覗いても
いるのは空っぽの部屋だけ。


当時は親父のことを憎んでいました。


お袋に酷いことをし
家族を崩壊させた張本人ですから


「こんな家庭を絶対に作らない」


それは子供ながらに心に決めたこと。


「こんな家族になったのもすべてあいつのせいだ
あいつが悪いんだ」


親父のことをそう思っていました。


僕は非行に走り親父との衝突も増えました。


状況は悪化
親父はさらに帰ってこなくなりました


「あいつなんかいなくたっていい」


そう思っていました。



僕が23歳の時親父が血を吐いて倒れました。


胃潰瘍でした。


生死をさまよい胃を全摘しました。



あんなに大きくて怖かった親父が
痛いと泣いている姿をICUで見たときに
衝撃が走りました。


「死んじゃダメだ

まだ死なないでくれ」


って


この人は僕の親なんだと
その時に改めて気がつきました。


どんなに嫌な奴だって 
どんなに嫌いな人だって


死んだら悲しいです。  


生きているだけで価値がある。


そう思ったら過去のことなんかどうでもいい


生きていてくれさえすればそれでいい。


僕の親父としてこの世にいてくれる


それだけでありがたい事でした。


怒ったり泣いたりできるのも
相手がいてくれるから


親父と過ごす時間はあとどの位あるかわからないけど


その時間を噛み締めて会おう。


いつかまた
鍋焼きうどんまた食べたいなぁ


今日もありがとう。