ギャンブルで破滅するか否かの分岐点は、借金して賭けるか?
私のようなギャンブルジャンキーはギャンブルで勝つことの難しさを知っているから、借金してまではやらない。
イッペイちゃんはギャンブルへの免疫がなく、暗黒面に堕ちてしまったのだろう。
今後の焦点は、大谷が合意の上でイッペイちゃんの借金の穴埋めをしたのか?
人生、どこに落とし穴があるか、わからない・・・
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暫く間が空いてしまいましたが、今年1月の九州旅行の続きです。
前日は 九州国立博物館 の常設展を観覧した後、久留米に移動して宿泊しました。
1/8(月) 旅行5日目。
西鉄駅前から路線バスでJR久留米駅に移動し、JRに乗って佐賀県に位置する 吉野ヶ里遺跡 へ向かいました。
平日ということもあって、人もまばら
歴史公園センターから「天の浮橋」を渡った所(遺跡の入口)
私は古代史にも関心があって、若い頃に「邪馬台国」に関する本を結構読みました。
吉野ヶ里遺跡は弥生時代最大の環壕集落の遺跡であるし、昨年、邪馬台国と同時代に埋葬されたと考えられる石棺墓(遺骨は無かった)が発掘されて大きなニュースにもなったので、今回立ち寄って、見物することにしました。
(高階層の人々の居住区であったと推測されている南内郭)
復元された物見櫓
復元された王の家
↓は青森の三内丸山遺跡(縄文時代)の竪穴建物(復元)
比べて見ると進化を感じる
↓北内郭にあったと推測されている政治や祭祀の中心施設
↓卑弥呼を思わせるシャーマニズム
北内郭の更に北に小さな丘のようなものがありました。
邪馬台国の時代からは約300年前の弥生時代中期頃(紀元前1世紀頃)に造られたもので、首長や高い身分の人達が葬られたと考えられている 北墳丘墓
南北約40m、東西約27mの長方形型で、幾層にも土が盛られています。
現在は高さ約2.5mですが、往時は4.5mほどあったようです。
現在、中は施設になっています(入口は反対側にある)。
有力者が葬られた巨大な墓(14基の甕棺が発掘された)
甕棺↑とその復元↓
北墳丘墓 の南には 甕棺墓列 のエリアがあります。
↓市が開かれていたと推測されている高床倉庫群
↓復元された環濠
総面積117ヘクタールの歴史公園内には遺跡の他にも森、遊具エリアや芝生広場、バーベキューができる野外炊事コーナー等もあり、広大です。全てを周ろうとすると一日がかりになりそうです。今回は復元された弥生時代の遺跡を中心に見物し、3時間ほどで撤収しました。ニュースになった石棺墓を見物できなかったのは残念でしたが(常設展示になるのは数年後?)、邪馬台国の世界・雰囲気を体感できて楽しかった。実際の弥生時代の建物・住居はこれほど綺麗ではなかったでしょうけどね。
吉野ヶ里は現在まで発見されている弥生時代の集落跡としては最大規模ですが、ここを邪馬台国と比定する研究者は少ないようです。邪馬台国については、17日に放送された NHKスペシャル「古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る」 が興味深い内容でした。しかし、疑問点も多々ありました。
邪馬台国の位置問題は古代史最大のミステリーと言われる通りの難問です。
番組では九州説・大和説について断定はしていませんでしたが、印象としては大和説寄りで、箸墓古墳を卑弥呼の墓とイメージ付ける内容でした。しかし、疑問点は数多くあり、随分思い切った内容にしたなあというのが率直な感想。
まず、魏志倭人伝 の背景説明が不十分。恐らく、多くの人は魏志倭人伝の記述を魏使による邪馬台国への出張報告のように思いこんでいるでしょうが、実際は卑弥呼が邪馬台国の女王であった時代(240年頃)から約50年後に西晋の役人であった陳寿が残っていた複数の資料を元に書いた魏の史書のごく一部です(その時代には魏も滅亡していた)。書いた目的の中には政治的な意図もあったと思われます。
また、魏使が邪馬台国を本当に訪れたか否かも不明です。途中の伊都国まで訪れたのは確実と考えられていますが、その先の行程(方角・距離等)については倭人からの伝聞であるという説も有力です(伊都国から先の行程の記述の仕方が、伊都国までと全く違っているから)。それらの事柄を説明しておかないと誤解を生じます。
番組では 前方後円墳=邪馬台国の古墳 という前提で推論を展開していたことにも疑問を感じました。邪馬台国と同時代に大和で大規模なクニが繁栄していたとしても、そこが卑弥呼が統治していたクニであったという根拠にはなりません。
狗奴国東海説もちょっとビックリ。私は九州中南部説支持なのですが、現在は東海説が優勢になったのでしょうか? 前方後方墳=狗奴国の古墳 を前提とした推論でしたが、これも根拠は薄いという印象でした。邪馬台国が大和にあったとすると、狗奴国の位置を東海と考えるのが都合がいいのでしょう。魏志倭人伝には狗奴国は邪馬台国の南とされているのですけどね(ちなみに、魏志倭人伝には邪馬台国の東には海があると書かれている)。
邪馬台国論争は学閥争いという側面もあり、概して東大系研究者は九州説、京大系研究者は大和説という色分けです。アマチュア研究家は九州説が多いですね。松本清張も九州説でした。
突き詰めると「魏志倭人伝の記述をどの程度信じるか」でしょう。それによって、比定する位置が大きく異なってきます。例えば、魏の資料には、洛陽から大月氏国までの距離が邪馬台国と同じ数値で書かれているそうです。つまり、どちらも「途方もなく遠い」という意味であり、数字は正確ではないということです(大月氏国も邪馬台国も遠方にあって、魏の敵ではない国)。
そうした点を重視するならば、魏志倭人伝に書かれている位置情報を信用するのは危ういということになります。しかし、伊都国までの行程は現実と合っている上に、魏志倭人伝以外に邪馬台国について記した資料が一つも存在しないというのが悩ましいところです。
結局は、魏の皇帝から授受されたという金印が発見されない限り、論争は決着しないでしょう。日本と言う国の成立過程を究明するために、箸墓の発掘調査を是非許可してもらいたいですね。宮内庁や右翼勢力が反対するでしょうけど。
24日には続編として「古代史ミステリー 第2集 ヤマト王権 空白の世紀」が放送されます。第1集の流れから、大和王朝は邪馬台国の後継という説が展開されそうです(狗奴国が邪馬台国を滅ぼしたという説もあるのですが)。「空白の4世紀」をどういう論で展開させるのか、楽しみ。また、大和王朝の誕生に触れるならば、本当の初代天皇は誰か、神武東征は史実なのか、神武天皇と欠史八代の実在性等についても避けることはできないと思うのだけれど、どうするのだろう? 記紀は完全無視というスタンスかもしれないなあ。
サビのメロディーは ボン・ジョビの「Bad Name」