お盆の休みに京都の三十三軒堂を訪れました。このお寺はお正月に通し矢の競技大会があるので有名ですね。特に若い女子の選手が真剣な表情と華やかな袴姿で臨んでいるあの光景です。南北に伸びる本堂は120mと長く入り口の北側から軒下を通して南側の端を目指すと何と遠近画法のスケッチを見るような端然とシンプルな木造建築です。弓の競技会に選ばれる理由が一方の軒下から眺めることでよく解ったような気がします。

お寺の正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と呼ばれています。平安時代の後白河上皇が、当時、権勢を誇った平清盛の資財協力によって長寛2年12月17日( 西暦1165年1月30日)に完成したといいます。そのお堂は建長元年(1249)、市中からの火災により焼失し、鎌倉期・文永3年(1266)に再建されたのが現存のものです。朱塗りの外装で、堂内は、花や雲文様の極彩色で飾られたといい、今もわずかにその名残を停めています。

最初の建物が建立され焼失するまで約80年間という結構長い期間どのような役割を果たして来たのでしょうか? そして約15年後に再建されたものが現存するものであるということは、今から約850年前のお堂であり仏様であるということになります。850年間もの長い間、何世代もの住職の下で守られてきたことを思うと頭が下がります。しかし拝見するたびに素晴らしい仏様でありご自分の命に代えても守らねばと教育されて来た事でしょうし関わる人々全てが心の底からそう思って守護してきたのでしょう。

外は40℃にもなろうかという猛暑日でした。本堂の中も日陰というだけでエアコンも入っていない様子です。しかしひな壇に整然と立っている1000体の千手観音像が120mのお堂の向こう側まで続きます。涼しげな表情をした1000体の千手観音様のこの眺めは圧巻というしかありません。

千手観音について調べました。胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手がそれぞれ25の世界を救うものであり25×4=1,000であるということです。つまり人間の苦悩を解消しどんな望みもかなうスーパーパワーのある仏様ということになります。実は40本の余分な手がニョキニョキでている様はカニのようでもあり失礼ながらその姿に違和感を抱いていました。しかしこうして説明を受けると人によりいろんな悩みや障害を抱えていることは千差万別でありそれを解決する仏の手が千本(あらゆる解決策)で対応してあげますよ・・・という大変わかりやすいものでお祈りすることで多くの人々が救われたことと思われます。

参拝者からすぐ前(手を伸ばせは届きそうな距離)には28部衆に風神・雷神を加えた30体の等身大の尊像が千体観音像の前に安置されています。通常こうした尊像は一箇所で3体くらいではないでしょうか? 30体ということは本堂の長さが約120mですので約3m間隔でこれでもかと言うほど並んでいるのです。

実は今回訪問する最大の目的はこの28部衆にお会いすることでした。今回で三十三軒堂は5回か6回目の訪問だと思います。20代の頃は両親が京都見物をしたいということで連れてきたのが最初です。理想的な親孝行の姿だったと思いますが本人は連れてくるのが精一杯で自分の仕事や個人的なことなどが気がかりで全く落ち着いて参拝した記憶がありませんでした。その後、商社に勤めていましたので、外国人と仕事をする機会が多くサービスの一環として京都観光を提案し、その案内ルートのスポットにしてたお寺でした。

落ち着いて参拝した記憶は無いのですが、このお寺のパワーというか高い天井と1000体の千手観音そして28部衆の表情と立像の絶妙なバランスの素晴らしさなのでしょう、訪問の都度いいかげんな姿勢の自分にも無意識の中に何物かを感じさせてくれたに違いありません。つまりもう一度見たい参拝したいという気持ちを持たせていただける大変ありがたく奥の深いお寺が三十三軒堂なのです。

28部衆は仏を守る異教の神々ということです。私の好きな28部衆の中から今回2像を写真付きでご紹介します。

1) 弁天功徳天像(べんてんくどくてんぞう)
財富神に連なる福神です。毘沙門天の妃とも伝えられる女神です。最も女性らしい美しさと威厳を感じさせる像だと私は思います。そして左右の耳の上で結ばれヒラリと長く下がるリボンが大変オシャレだと思うのです。制作された当時は色がしっかり塗られていたでしょう、コンピューターなどで再現した綺麗になった弁天功徳天像を一度見たいですね。また何といってもふくよかな表情、手と指先のラインは指で押したら凹んでゆくような、まるで血が通っているようにも思えます。

弁天2

 
2) 金色孔雀王像(こんじきくじゃくおうぞう)
除災・祈雨法の本尊である孔雀明王として信仰されます。鼻と目と結んだ口の表情がいいですね。刀を持った太い左手と肩や胸の分厚さは鍛えられたアスリート以上です。お腹や腰は今も動いていて一瞬止まった姿を表しているようです。オシャレなブーツを履いた足は浮き足立った感じを全く見せず地に着いてしっかりと重力を感じさせます。甲冑も皮や金具で出来ているように感じます。まるで西洋の古代の戦士そっくりです。

金色1

 


私はイタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館を数回訪問した経験があります。これまたビジネスの一環でイタリアでの仕事が続き、フィレンツェに近いボローニァが拠点だったので、休日に日本のお客様を連れて有名な美術館に行く機会があったからです。大理石を彫刻したダビデ像やビーナス像など素晴らしいものが沢山ありました。

作者はミケランジェロやレオナルドダビンチなどが有名ですね。しかし今思うに三十三軒堂の28部衆の木製の彫刻もまた全く引けをとらないと言えます。しかも肉体に血が通っているのかと錯覚させる点においては西欧の彫刻よりも28部衆の像が数段優れているのではないかと思います。

28部衆像に関わった中心の制作者は、康慶(コウケイ)彼は運慶の父、有名な運慶、そして運慶の子供である湛慶(タンケイ)です。この一族は奈良の東大寺の建立の中心でもあります。彼らは天才の中の天才だったのでしょう。

現代建築家の安藤忠雄さんは京都や奈良のお寺を研究したと言います。また若い頃にイタリアをはじめヨーロッパの建築を見に訪問しております。私は思うに、ヨーロッパの有名な現代彫刻家の多くが日本の三十三軒堂を訪れてこの28部衆像を見て同じ様に研究されたのではないかと想像します。本物は誰が見ても味わい深く人を酔わせるに違いありません。

ミケランジェロやダビンチにも勝るとも劣らないこの当時の日本の彫刻家も学問をし訓練を重ね、そして実践を行ってきたことでしょう。いったい彼らが若かった頃の生活様式や学びの原点は何だったのか知りたい気持ちになってきました。

 

 


 

 


 

 

 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 


 

 

 

弊社は今月4/27(土)に移転することになりました。


ちょうど一週間を残した現在、全員が荷造りに着手し始め不要な書類や商品サンプルなどで廃棄置き場を山にしています。それでなくても4月は展示会や入社式、神戸税関のあまり歓迎しないご訪問?などが続きめまぐるしい中での実施となりました。


事務所移転といっても同じ市内にもとからあった倉庫に事務所を併設して集約します。弊社の体力と実力、そしてビジネス環境に合わせなければならず、強いられてそれに従うのが事の発端でした。 思えば今いる場所もまだ2年間しか経っていません。


しかし書類をひっくり返しカタログや商品サンプルを廃棄を前にして思うことは、この2年間が10年間にも思えるような出来事、事件? いろんな会社や人との出会いと別れがほんとに多かったということです。普段は気持ちだけで過去を想像しています。しかしその当時の証拠でもある手書きの書類や写真、カタログを実際に手にとれば本当に過去が甦りその実感が数段異なります。もっとも感傷に浸っては整理が進みません。(笑い)


そして今回の引越しは、社員と一緒にジャングルに道無き道を作り前方のみを見つめて一途にやってきたことを振り返る良い機会でもあります。当然のように毎日やってきたことが実は惰性を含んでいたのではと思えたり、斬新なこと思っていたことがいつしか錆付いていたのではと反省してしまいます。


「整理整頓は空きスペースを作ることです。空きスペースが無いと新しい物が取り入られません。」という考えがあります。人の心も同様に新しい考えを導入するために開放感を創造する必要があります。常に、過去にとらわれた心を捨て去り、改めて前向きに舵を切っていく自由な心を育む必要があります。


このような言葉は本の中に何度も何度も出てきます。私もこうした言葉が好きなので、そのたびにそうせねばと思います。局所的な整理整頓は実行できてもなかなか会社全体のレイアウトを変更したり自ら積極的に引越しをしよう・・・などというのは相当なエネルギーを要しますのでなかなか平時では出来ないのが事実です。


「移転決行」となったことにより書類の整理と廃棄で強制的に過去の出来事を振り替えさせられ、あんな大事件も時間の経過とともに小さい思い出になっている事実を確認し、ある意味それすらも捨てることができるというのが引越しの醍醐味です。良い意味で過去との決別をして新たなチャンスをつかめる未来の理想像を描く機会でもあります。


掃除や整理整頓のすごさは単に物理的な美しさを獲得できるだけではありません。とにかく実行した人の気持ちがすっきりし、何かを新たに生み出す意欲ある環境を作れることです。組織で実行すれば組織全体が体得できると信じたいですね。


5/2日は引越し完了パーティー(バーベキュー)を楽しみにしています。
幹事さんよろしくお願いします。

渡辺先生の「修身のすすめ」という本に、サムエル・スマイルズが著した「自助論」が掲載されいてます。有名な言葉「天は自ら助くるものを助く」はこの自助論から生まれました。社内の2グループで一緒に輪読しており読むほどに味わいが増します。


明治から大正初期にかけて日本の青年たちが自らの力で新しい国家の建設に向け活躍したことは歴史上の事実です。大変革期の環境の中で彼らは何を心の支えとして生きていたのか、その一つがこの自助論であるというのです。また渡辺先生自身も若い頃に出会ったこの本に大いに励まされて生きてきたという内容です。


私は維新の志士や企業家を描いた歴史小説が大好きです。坂本竜馬、高杉晋作、伊藤博文、西郷隆盛、井上馨、桂太郎、大久保利通、岩崎弥太郎、渋沢栄一、福沢諭吉、この中で自助論を殆どの人は読んだのでしょうか? 坂本竜馬は明治政府樹立の前年に暗殺され、また高杉晋作は同年に病死しています。この本が日本で紹介される前と思われるのでこの両人はきっと読んではいないかも知れません。このような有名な人々だけでなく維新後に活躍する科学者や軍人や地方の志を持った若者がこぞってこの本に夢中になり読んだと思われます。このように想像するだけでどんな内容が書かれているか早く知りたい気持ちにさせてくれました。


スマイルズはイギリス生まれで医者でもあります。戦争が一時終わり医者余りの時代環境もあり、一方で文章の才能に恵まれていたことからジャーナリストになりました。そして沢山の企業家のいろいろな成功実話を文章にし本にして出版したのです。当時のイギリスはワットにより蒸気機関が発明され繊維産業を中心に工業生産が飛躍的に伸びた時代です。また植民地政策で原料の調達と工業製品の販売ルートが確立され、最高時は世界の工業生産の60%をイギリスが占めていたという時代です。成功者は労働者階級からミドルクラスの貴族にもなれるという階級移行制度もあり自分で起業する若い青年実業家が生まれ始めた時代でした。


無数の成功事例、そしてどのような心構えで仕事に取り組むべきかを解説した自助論は「志を立て努力して修養を積めば社会から尊敬される」という思想となって若者の間でベストセラーになったのです。


どのようにして日本に紹介されたのかという事についても解り易く解説されています。日本はこのころ江戸幕府が倒れ士農工商という階級制度がなくなり能力のある青年が広く活躍できる環境になってきました。江戸幕府の末期に西洋視察と称して派遣された若者12名のまとめ役として中村正直という当時で35才の秀才が随行しておりました。当時のイギリス国家の勢いを目の当たりにしてその興隆を支えているものは何かを考え続けていましたが理解できないまま帰国の時期を迎えることになるのです。帰国間際に今若者の間でベストセラーだとして手渡されたのがスマイルズの自助論だったのです。帰国の船の中で翻訳し既に自分で見た活気あるイギリス社会と本の内容との結びつきを突きとめ日本語にしたのが「西国立志篇」という翻訳書籍です。つまりこれが別名「自助論」となって明治時代に読みやすく紹介され日本国内でもベストセラーになったのです。福沢諭吉の「学問のすすめ」と両輪のようになって当時の若者の心に火をつけたというわけです。


そして何故約100年後に生まれた私たち世代ではこのようなりっぱな思想を知る機会を失ったのでしょうか?素朴なこの疑問にも解り易く渡辺先生は解説しています。それは社会主義が世界的なブームになったからだということです。当時は世界中で立派な先生や学者も社会主義思想になびいてゆきます。簡単に言えば人民は皆平等であり国家が全てを与えてくれるという思想です。そういえば私が中学生だった頃に歴史の先生に教わったことがあります。「ゆりかごから墓場まで・・・」イギリスという福祉国家は赤ちゃんの時から老人となって死ぬまで国が面倒を見てくれるのです。と先進国の象徴として若い先生がいかにも誇らしげにりっぱな国として紹介していたのです。当時の私は先生の教えが正しいと当然ながら受け入れていたのです。しかし今となりその後の歴史をたどるとイギリスの経済は衰退しマーガレットサッチャー首相になって行過ぎた社会主義の弊害にメスを入れるまでずっ~と蝕まれ続けてきました。


1991年に社会主義の象徴であったソビエト連邦が崩壊したことを契機に、いよいよ自助論が再登場するだろう、世界はその潮流に乗って動いているとのご指摘です。特にデフレの時代には革新的な発明や新ビジネスの誕生を世間が要求します。そこには個人の国家に頼らない旺盛な企業家意識が育まれる土壌=自由な思想が必要です。それが「自助論」だと渡辺先生は言うのです。


また一方でダーウィンの「種の起源」が当時イギリスで発刊されました。「自助論」は奇遇にも同じ年に同国で発刊されていることも調べられています。自然界の生物は環境に適したものだけが生き延びまたそれに合わせるように進化する、と説くダーウィンの進化論は、「自助論」でいう国家や組織に頼らず自らが時代の要求に応える革新的なビジネスを企てることで生き延びて発展する。つまり人間界の進化論といい変えてもいいのではないかと解釈しております。


このように歴史的な思想と学術論を産業革命や明治維新のような国家の大きなうねりの中で結びつけ分かり易くしかも面白く解説できるのは渡辺先生ならではと感心してしまいます。


これからは「自助論」の思想がますます認められてゆく時代であるとのご指摘に私は大いに賛同いたします。ビジネスの環境が悪いとか、この業界が今いちとか言っても始まらないことは言うまでもありません。人々を楽しくさせ、そして便利で夢のある新商品をたゆまず開発し、それを新しい市場に展開してゆくことを続けられるよう組織が進化してゆくならば明るい未来の扉を自らの手で次々と開いて行けるものと信じます。そしてまた社内の1人でも多くがこのような歴史のバックボーンを持つ偉大な思想「自助論」を理解して心の支えとし一緒に仕事をしていただきたいと願うばかりです。


株式会社オーエフティー・代表取締役 若林昇のブログ