4月1日に弊社の入社式を実施しました。事務所では狭いので倉庫の一角に椅子を並べ、花を飾り、式次第や横断幕を手作りしての入社式でした。新卒社員にとっては初めての職場でもありせめて思い出に残るようなものにしなければと在籍社員と一緒に取組みました。


司会、辞令交付、会社の歴史、自己紹介など毎年やってはいるのですが、役割を決めて相当念入りに準備したつもりでした。本番はさすがに緊張を押さえきれずぎこちない流れになりましたが、一週間を過ぎて集合写真を見ながら振り返ると精一杯協力して出来た式典は楽しさもあり、また喜びとなって新人にも在籍社員にも良い思い出となったのではないかと思います。


いつも感じるのは新入社員が入ると何故か会社が明るく変化します。今まで顔見知りの同士だった魚の水槽に新しい生きのいい何匹かの魚が放たれ元気に動き回り、他の魚も引きずられて生き生きと活性化してしまうような、そんな生物学的変化が人の集合体にも存在するのかも知れません。私し自身も挨拶を受けたり笑顔を向けられるだけでこの時期でしか味わえない元気をいただいているような気がします。


この効果は意外と大きいものです。最近は通年採用とか不足した人材を、必要な時に補充するという新しい方法をとっている大きな会社が評判です。人件費の合理性から一理あるとは思いますが、入社式と言う緊張した区切りを設定することの組織への影響はかなり大きいものと実感します。


高揚した組織の高まりは、会社組織として仕事に向かうよう道筋をつける必要があります。これからが本番であることを自覚し、各リーダーは新人共々懸命に仕事術を磨き、果敢に実践ができる心を鍛えてゆかなければならないと思います。

12/23(月)に大阪インテックスで開催された大阪モーターショーに行ってきました。秋晴れになった最高の日和で全館満員の集客です。若者の車離れといわれて久しいですが日本の産業の中でも唯一好調な産業だけに展示会の雰囲気はどんなものかという気持ちもありました。


最近パソコン、携帯電話、音楽プレヤーなどこれ以上の発展はあるのだろうかと思いますし、まして良い車には乗りたいけれどスーパーカーを見てどれだけ気持ちが高揚するのかさほどのことはないいと思っておりました。物質的なものはほとんどの日本人が手にすることができて、さらに心が引き寄せられることなどないのではとも思ってしまうのです。


実際に会場にはいって感じたことは、人間は無限の欲望をもった生命体であり、デザインした担当者と会社もまた販売のためという組織の欲望と担当者の自己顕示欲を発揮する場にもなり、そして来場者もまた更に高みを極める車があるに違いないという、製造する側とユーザー両者の欲望の出会いをつくるステージとしてまさに火花を散らす場にふさわしい展示会でした。


個人的にはホンダが好きです。創業者の本田宗一郎さんのずば抜けた才能がこの会社を作ったのでしょうが、いままで本で知ったエピソードが頭の片隅に残っていてあんな会社がこんな素晴らしい車を生み出すのだと思いをめぐらせています。


知っているエピソードを3つほど拾い上げてみます。


1. 本田社長が小学生のころに生まれ故郷の山梨の田舎に三輪自動車がやってきて、エンジンから出る排気ガスのガソリンの臭いにず~と後ろをついて追いかけたといいます。田舎の子供にとって当時はガソリンの臭いに夢と未来を感じたのでしょうか? 私も少しだけそんな記憶があります。


2. 血気盛んな本田社長が若い頃に言う事が聞けない社員の頭を持っているスパナでコッツンと叩いたといいます。もちろん力の加減もしてのことでしょうが、この話しは思わず笑ってしまいます。


3. 京セラの稲盛会長の本に記載されていた話です。本田社長の講演があるとのことで創業間もない稲盛さんが出かけたそうです。本田社長が会場に入ってきたと思ったら作業着の姿で今工場から駆けつけたようだったとのことです。そして開口一番、「こんな講演に来る暇があったらさっさと帰って仕事をしなさい・・・」と言ったそうです。高い講演料を支払っているので話しはきちんと続いたのだとは思いますがこれまた面白いですね。


このエピソードで本田宗一郎という人物がいかに純粋で物事に立ち向かったのかが想像でき楽しくなります。


私にとってホンダのステージはなかなかの感動でした。真っ白なスーパーカーNSXは今までのスポーツカーを飛び越えた未来のフェイスをもっていました。実物を見て感じることは、映像やモニターのみでは味わえない感覚があるように思います。写真ではなく美術館で生の彫刻や絵画を見て感動することと似ています。スマートな白い流線型の中にもしっかりした重量感もありタイヤのホイールやバックミラーの形と角度など細かいところも独特の主張が感じられました。この繊細さはどちらかと言うと日本人向けなのでしょうか? 他社の車に対して日本らしさを最も感じさせてくれるのがホンダなのではないでしょうか?


見終えて感じることはデザインの力、それを操る日本人(人間)のすごさ、それを形に作り上げるエネルギーに感服しました。弊社も商品の開発部がありますので、この感動を発奮材料に参考にして可能性をもっともっと追求してゆきたいと思います。モーターショーではほんとに良いものを体験させていただきました。




追加 :

ホンダジェットというのを知っていますか? ホンダはジェット機を開発してもう直ぐお客に引き渡されるとのことです。特徴はジェットエンジンが普通なら翼の下側にあるのですが、ホンダジェットは何と翼の上に位置しています。昔ゼロ戦が一瞬ですが世界最強のパーフォーマンスを誇りました。そんな歴史的栄光を現代に引き寄せるような快挙になることを期待しています。




彼の名前を知ったのは今NHKの大河ドラマで上映している「八重の桜」を見たからです。山本覚馬は会津藩士です。時代は幕藩体制から戊辰戦争を経て明治へと移行する激動期に彼の青年時代が過ぎてゆきます。明治政府が出来てからは会津に戻ることなく京都に住んで活躍し生涯を終えます。


ドラマの中で西島英俊演じる山本覚馬は素晴らしい魅力的な人物です。彼のことを記した本はないものかと探したところ、歴史家の安藤憂一郎著その名も「山本覚馬」という本に出会うことになりました。今回はその本を読み終えての充実感と感動した気持ちを率直に述べたいと思います。


「八重の桜」の主人公である会津藩の山本八重(女性)の兄がは山本覚馬です。彼ら兄妹の父は会津藩砲術指南役つまり当時、武器として日進月歩で改良され続ける鉄砲のスペシャリストの家庭に育ちます。頭脳および心身ともに聡明な覚馬は東北の地で江戸や長崎から漏れ出る海外の情報を書物から読み取り時代に関わろうとして行きます。


22歳の青年になると藩費で遊学することになります。そこには他藩の同世代のエリートとの交友がありお互いに刺激を受け合ってゆきます。その中には西郷隆盛、桂小五郎、吉田松陰、坂本竜馬、大久保利通など歴史に残る人々との直接もしくは間接的に交流があったと思われます。特に江戸での兵学者・佐久間象山の塾でまとまった学問を受けそれを基に会津で蘭学所を開設しています。


時代の荒波がドーンと押し寄せてきます。京都守護職(京都の警察)に就任した藩主・松平容保(かたもり)に従い上洛(京都)します。彼は自身が勉学に励むことをもふまえ洋学所を開設し、会津藩士だけでなく諸藩士や新選組にも洋式砲術を教授することになります。長州と戦った「禁門の変」では砲兵隊を率いて勲功を挙げますが、負傷し、それが原因なのか徐々に失明することになります。


引き続いて起こる戊辰戦争は薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍と幕府・会津藩の旧勢力が戦う日本の内戦です。会津の鶴ヶ城における一ヶ月にも及ぶ激しい籠城戦の末、力尽きた会津藩は政府軍の前に降伏したのです。城内には五千人余りの会津藩士とその家族がいて領地と城を失った会津藩士たちの長い苦難の日々が始まるのです。


大河ドラマでは鶴ヶ城籠城で銃を撃つ山本八重さんの姿が会津魂として映し出されます。「女性と銃」は一般に有り得ない構図であり突き抜けた力強さと底力を印象づけています。東日本大震災で被災した人々に彼女の姿を通して生きる勇気を与えたに違いないと思います。また歴史的には会津は賊軍と呼ばれ負け戦で終わるのですが、ドラマは会津にも未来を静かに引き寄せ明治という歴史の転換は会津なくして成り立たなかったという見方もできるように感じさせます。


一方で山本覚馬は鳥羽・伏見の戦いで薩摩軍に捕らえられます。幽閉中に新国家の青写真を描いた「管見」を新政府に建白し、岩倉具視、西郷隆盛たちから高く評価されることになります。坂本竜馬の「船中八策」は国のあり方に影響を与えた画期的な条文といわれ有名ですが、山本覚馬が失明のなかで記述した「管見」は同様に近代日本のグランドデザインとなったようです。賊軍藩士ゆえに政府のほとんどの要職に就けなかったことを思うと歴史の中に埋もれることも理解できるのかも知れません。坂本竜馬と山本覚馬に共通しているのは共に横井小楠の影響を大いに受けていることです。政体、議事院、学校、変制、国体、建国術、製鉄法、衣食、貨幣、女学、平均法、醸酒法、軍艦国体、港制、救民、髪制、変仏法、商律、時法、暦法、官医の22項目から構成された具体的な新国家のデザインは目を見張る素晴らしいものでした。


さて、京都には同志社大学があり創立者は新島襄です。ところが山本覚馬がこの設立に大いに関わっているのです。むしろ彼の思いが新島襄の助けによって形になったのかも知れません。



覚馬より15歳年下の新島襄は今の群馬県の安中藩士新島民治の長男として江戸で生まれています。元治元年(1864年)に密航を果たし米国に渡ります。滞在中に幕府が倒れ明治政府が誕生します。当時は通訳の仕事を得たと思われます。そして政府役人の仕事を手伝うことで留学生として認められ密航の罪が解かれます。キリスト教と学校設立を目指し帰国した新島は山本覚馬に出会います。また覚馬の妹である八重さんと婚約し結婚することになりますので彼らは家族同様の付き合いになるのです。


山本覚馬は京都に洋学所を設立したいわば学校創立経験者であり先輩で教師でもあります。新島と覚馬の思いが一つになり自分が所有している5800坪の敷地を新島に譲り校舎を建てることになります。奇しくもこの敷地は覚馬が幽閉されていた薩摩藩の跡地であり西郷隆盛から譲り受けた土地でもあったのです。戊辰戦争では敵同士であったにも関わらず個人的には互いに認め合う間柄であったことを想像させます。


維新のリーダーといえば勝者側の薩摩・長州藩のリーダーばかりであります。西郷隆盛、高杉晋作、坂本竜馬などが代表でしょう。しかし日本の近代化は薩摩と長州だけで成し遂げられた訳ではないことが山本覚馬の人生を辿ることで理解できました。「薩摩だ長州だ会津だと国内で争っている場合ではないと」広い視野で時代を見ていた志士の一人が山本覚馬だったのです。


故郷の会津藩の悲劇を止めることが出来なかった無念さは生涯消えることはなかったと想像します。それにしても失明にもかかわらず京都の地で近代化や同志社大学設立にその学識で猛然と影響力を発揮する姿は、形を変えた彼自身乗り越えなければならなかった戊辰戦争の継続だったのかもしれません。


京都の同志社大学が関東の新島と東北の山本覚馬によって設立されたことも不思議な事実ですね。ドラマでは東北弁が語られ私の故郷もまた東北なので懐かしさを感じています。また歴史上かつて賊軍と称された会津藩にも同様に素晴らしい物語があることを改めて感じました。