彼の名前を知ったのは今NHKの大河ドラマで上映している「八重の桜」を見たからです。山本覚馬は会津藩士です。時代は幕藩体制から戊辰戦争を経て明治へと移行する激動期に彼の青年時代が過ぎてゆきます。明治政府が出来てからは会津に戻ることなく京都に住んで活躍し生涯を終えます。
ドラマの中で西島英俊演じる山本覚馬は素晴らしい魅力的な人物です。彼のことを記した本はないものかと探したところ、歴史家の安藤憂一郎著その名も「山本覚馬」という本に出会うことになりました。今回はその本を読み終えての充実感と感動した気持ちを率直に述べたいと思います。
「八重の桜」の主人公である会津藩の山本八重(女性)の兄がは山本覚馬です。彼ら兄妹の父は会津藩砲術指南役つまり当時、武器として日進月歩で改良され続ける鉄砲のスペシャリストの家庭に育ちます。頭脳および心身ともに聡明な覚馬は東北の地で江戸や長崎から漏れ出る海外の情報を書物から読み取り時代に関わろうとして行きます。
22歳の青年になると藩費で遊学することになります。そこには他藩の同世代のエリートとの交友がありお互いに刺激を受け合ってゆきます。その中には西郷隆盛、桂小五郎、吉田松陰、坂本竜馬、大久保利通など歴史に残る人々との直接もしくは間接的に交流があったと思われます。特に江戸での兵学者・佐久間象山の塾でまとまった学問を受けそれを基に会津で蘭学所を開設しています。
時代の荒波がドーンと押し寄せてきます。京都守護職(京都の警察)に就任した藩主・松平容保(かたもり)に従い上洛(京都)します。彼は自身が勉学に励むことをもふまえ洋学所を開設し、会津藩士だけでなく諸藩士や新選組にも洋式砲術を教授することになります。長州と戦った「禁門の変」では砲兵隊を率いて勲功を挙げますが、負傷し、それが原因なのか徐々に失明することになります。
引き続いて起こる戊辰戦争は薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍と幕府・会津藩の旧勢力が戦う日本の内戦です。会津の鶴ヶ城における一ヶ月にも及ぶ激しい籠城戦の末、力尽きた会津藩は政府軍の前に降伏したのです。城内には五千人余りの会津藩士とその家族がいて領地と城を失った会津藩士たちの長い苦難の日々が始まるのです。
大河ドラマでは鶴ヶ城籠城で銃を撃つ山本八重さんの姿が会津魂として映し出されます。「女性と銃」は一般に有り得ない構図であり突き抜けた力強さと底力を印象づけています。東日本大震災で被災した人々に彼女の姿を通して生きる勇気を与えたに違いないと思います。また歴史的には会津は賊軍と呼ばれ負け戦で終わるのですが、ドラマは会津にも未来を静かに引き寄せ明治という歴史の転換は会津なくして成り立たなかったという見方もできるように感じさせます。
一方で山本覚馬は鳥羽・伏見の戦いで薩摩軍に捕らえられます。幽閉中に新国家の青写真を描いた「管見」を新政府に建白し、岩倉具視、西郷隆盛たちから高く評価されることになります。坂本竜馬の「船中八策」は国のあり方に影響を与えた画期的な条文といわれ有名ですが、山本覚馬が失明のなかで記述した「管見」は同様に近代日本のグランドデザインとなったようです。賊軍藩士ゆえに政府のほとんどの要職に就けなかったことを思うと歴史の中に埋もれることも理解できるのかも知れません。坂本竜馬と山本覚馬に共通しているのは共に横井小楠の影響を大いに受けていることです。政体、議事院、学校、変制、国体、建国術、製鉄法、衣食、貨幣、女学、平均法、醸酒法、軍艦国体、港制、救民、髪制、変仏法、商律、時法、暦法、官医の22項目から構成された具体的な新国家のデザインは目を見張る素晴らしいものでした。
さて、京都には同志社大学があり創立者は新島襄です。ところが山本覚馬がこの設立に大いに関わっているのです。むしろ彼の思いが新島襄の助けによって形になったのかも知れません。
覚馬より15歳年下の新島襄は今の群馬県の安中藩士新島民治の長男として江戸で生まれています。元治元年(1864年)に密航を果たし米国に渡ります。滞在中に幕府が倒れ明治政府が誕生します。当時は通訳の仕事を得たと思われます。そして政府役人の仕事を手伝うことで留学生として認められ密航の罪が解かれます。キリスト教と学校設立を目指し帰国した新島は山本覚馬に出会います。また覚馬の妹である八重さんと婚約し結婚することになりますので彼らは家族同様の付き合いになるのです。
山本覚馬は京都に洋学所を設立したいわば学校創立経験者であり先輩で教師でもあります。新島と覚馬の思いが一つになり自分が所有している5800坪の敷地を新島に譲り校舎を建てることになります。奇しくもこの敷地は覚馬が幽閉されていた薩摩藩の跡地であり西郷隆盛から譲り受けた土地でもあったのです。戊辰戦争では敵同士であったにも関わらず個人的には互いに認め合う間柄であったことを想像させます。
維新のリーダーといえば勝者側の薩摩・長州藩のリーダーばかりであります。西郷隆盛、高杉晋作、坂本竜馬などが代表でしょう。しかし日本の近代化は薩摩と長州だけで成し遂げられた訳ではないことが山本覚馬の人生を辿ることで理解できました。「薩摩だ長州だ会津だと国内で争っている場合ではないと」広い視野で時代を見ていた志士の一人が山本覚馬だったのです。
故郷の会津藩の悲劇を止めることが出来なかった無念さは生涯消えることはなかったと想像します。それにしても失明にもかかわらず京都の地で近代化や同志社大学設立にその学識で猛然と影響力を発揮する姿は、形を変えた彼自身乗り越えなければならなかった戊辰戦争の継続だったのかもしれません。
京都の同志社大学が関東の新島と東北の山本覚馬によって設立されたことも不思議な事実ですね。ドラマでは東北弁が語られ私の故郷もまた東北なので懐かしさを感じています。また歴史上かつて賊軍と称された会津藩にも同様に素晴らしい物語があることを改めて感じました。