スーちゃん、思い出をありがとう! | ゴモラでございます

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「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」は、1976年10月11日から1978年3月27日までNET系列局(一部の系列局を除く、NETは1977年4月にテレビ朝日に社名変更)で放送されたバラエティ番組です。

伊東四朗さんと小松政夫さんをメインに、当時人気絶頂だったアイドルグループキャンディーズを絡めたコントメインのバラエティ番組として立ち上げられました。
ドリフターズとは、また違った面白さがありました。

「悪ガキ一家と鬼かあちゃん」シリーズやしらけ鳥などなどあるのですが、「電線音頭」
が一番好きだったなぁ!
まず、前振りとしてキャンディーズが礼儀作法や日本舞踊を教わるコーナーがあり、そこへ伊東四朗さん扮するベンジャミン伊東と電線軍団?が乱入して電線音頭を踊るコーナーに早変わりするんです。

司会者の小松政夫さんがベンジャミン伊東を紹介すると伊東が
「人の迷惑かえりみず、やって来ました電線軍団!」と口上を述べます。
そしてお立ち台としてセットされた炬燵の上で1人ずつ踊っていく。
キャンディーズメンバーが本当に「生き生きして」踊っていたのが
記憶にあります。
時には、観客席から一般人の方の「飛び入り」のハプニングなんかもあったんだ。
(僕もマネをして実家の炬燵の上で踊って今は亡き母ちゃんに怒られたんだ!)
数人が踊った後にデンセンマンが華々しく登場し、電線音頭を踊って何処ともなく去ってしまう。

そんな、ナンセンスな番組構成だったんですが、当時はすごく人気がありました。
観客との一体感とでもいうんでしょうか、「ライブ」的な楽しさがありましたね。
今の時代のバラエティー番組には、こんな「お茶の間の家族で楽しむ雑多な雰囲気」はそぐわ
ないのでしょうね。
娯楽が、「テレビ」だった頃の「輝いていた」時代であったと
私は思っています。
まぁ、こんな「時代」があったんだと若い方にご紹介差し上げた次第です。

キャンディーズが始めてデビューしたときは、衝撃的だったよ。
1973年(昭和48年)9月1日のこと、 「あなたに夢中」でレコードデビュー
当時のメインボーカル・センター位置はスーちゃんこと、田中好子さん
(一番歌が上手かった!)



皆さんご存知のとおり、田中好子さんは、平成23年4月21日午後7時4分、乳がんのため東京都港区の病院でお亡くなりになられました。

心よりご冥福を申し上げます。

テレビなどで見せた元気な姿の裏で、長年にわたって乳がんと闘っていたそうです。
日本では乳がんを患う人が年々増加しているそうです。
患者は30~50歳代が多いのですが、
早期に発見すれば治癒率が高く、定期的な検診が推奨されています。
僕の母ちゃんも若くして子宮ガンで亡くしているから好きだった田中さんの
死去は他人事に思えませんでした。
おせっかいで無礼だと思われますが、一言申し上げます。
これを読んでおられる各貴女様達、お忙しく、なかなか定期健診もままならない
といった方が多いと思われますが、貴女様ご自身のため、ご家族のため
にどうか万難を排して定期検診を受けて頂けますようお願い申し上げます。

ちょっと暗い話題になって気分が重くなっちゃったね。

でも、田中さんの死を決して「他人事」として「私だけは
大丈夫」だなんて思って欲しくなかったから敢えてこういった
記事を書かせて頂いたことをご了承して頂きたいと思います。

いつまでも、病気なんかに負けず、同じブログ仲間として
楽しく過ごしていけたらいいね。

今度は明るい話題を提供していきたいと思います。


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