あずにゃんのこと」
これもすごく有名なコピペで一時期、ネット界隈で相当な物議を醸した
名(迷)文と言われています。
前にもご紹介した「ルイズコピペ」と同様に、
「けいおん!」に出てくる中野 梓嬢
(通称:あずにゃん)に対して
もう明らかに実在する人物に関する事柄として
極めてナチュラルに
そして、こと詳細に語ってらっしゃる方がいたそうです。
ご本人さんは、「あずにゃんって何であんな冷めて
るんだろうな」とどこか達観した感のある、
あの独特な性格形成に至った原因を家庭環境に見いだし
「何か家庭に不満があるんだろう」と推察し、
挙句には「援交とかに手を出さないか心配」
(ここが大事、真に彼女のことを
想っていないとこのコメントは出てこない)
などと憂慮しだす状況がまさしく、
ゴモラが「マミさん」に抱く気持ちと
「同様」なのです!
びっくりしましたね。
自分と同じように「キャラ」への
「異常」と思えるような「愛情」
を抱く方がいらっしゃるなんて。
きっとご本人にとっては、もはや単なる物語世界の
登場人物という次元を超越し「中野 梓」という
“個”として、完全に確立された存在へと
昇華されているのでしょうから。
たとえ作中で描出されていなくても、
一人の女子高生としての
確固たる「生活」があるのだと。
「あずにゃん」が今、そこに
確かに「存在」するという
確たる思いのもとに...
ともあれ、そんな氏の発言を受けて、作中で触れられている
家族に関する「設定」がけいおん!スレで説明されるのですが、
しかし単純に「親の影響でギターを始めた」(
公式発表)という薄っぺらい
設定だけでは満足されなかったのか……
それに対する反応がこれでした。
「(´・ω・`)そうなんだ……もっと知りたいな
あずにゃんのこと」
「あずにゃん」のことをもっと知りたい...
そんな「純粋」な気持ちの発露が
端的に現れている「素晴らしい」コメントで
あると僕は思います。
このコメントは、真に「あずにゃん」を
愛していないと出てこないものですよ。
ネット上では、「キモい」と散々にけなされていたようです。
痛いほどお気持ちが分かります。
大好きな女の子のこと、もっと、もっと知りたいな
そして、もっと、もっと好きになりたいな。
そうなんです。
僕も中世風爽やかブログパーツを探しにネット上をウロウロと
検索しまくっていた矢先、
「聖カタリナ」ちゃんに出会ってしまったんです!

最初見たとき、天を見上げてなにをやっているのかなぁと
思ったんです。
あとでもご説明しますが、これは、当時のキリスト教の
迫害者から断首刑を受ける間際の姿だとのこと
でした。
でも、おそらくは、神の身元へ赴かんと
するその達観(恍惚)した表情に
理由が定かではないのですが本能的に
「胸キュン」してしまったのです!
両手で全てを受け入れようとする
仕草がとても「可愛い」んです!
あぁ...久しぶりです。
心の底から湧き上がってくる「純粋」な想ひ。
萌えっ!...聖カタリナちゃん...超萌っ!!!
「聖カタリナ」ちゃんは、またの名を「アレクサンドリアのカタリナ」
ラテン語: Sancta Catharina Alexandrina,
(287年 - 305年)は、キリスト教の聖人で殉教者。
エジプト・アレクサンドリア知事コンストゥスの娘さんでした。
彼女は、勉強好きの頑張り屋さんで当時最高の教育を受けたと言われて
ます。
両親に向かって、名声、富、容姿と知性で
自分を超える男でなければ結婚しないと宣言したそうです。
僕の近所にも「すごく頭のいい子」がいて同じようなことを
言っていたのを思い出します。
綺麗な子で僕はおそらく「恋心を抱いていた」の
かもしれず、聖カタリナちゃんにその姿を
見出しているのかもしれません。
聖カタリナちゃんの母は秘密裡にキリスト教に改宗しており、
娘を隠者の元へ送り出しました。
その隠者は聖カタリナちゃんに言い聞かせました。
「その方(キリスト)の美は
太陽の輝きよりも勝り、知性は万物を治める。
富は世界の隅々にまで広がっている」と。
聖カタリナちゃんは、キリストに全て
を捧げたいと願い、
一途に主を想い続けました。
健気だねぇ。
その一途な思いが主に届いたのか
幻視をした彼女は洗礼を受け、
キリスト教徒となりました。
彼女は幻想の中で天国へ運ばれ、
そこで聖母マリアによって
キリストと婚約させられたといいます。
神秘主義的な観点から「神秘の結婚」
(錬金術にもそんな用語があったような)
といわれています。
その「真意」は、「難解」であると言われてます。
あ...聖カタリナちゃんは、既に「既婚者」なんだ
/(^o^)\ナンテコッタイ
彼女は、当時のローマ皇帝に
キリスト教徒を迫害するやり方は
間違っていると説こうとしました。
彼女の見るに見かねて
誤ちを自らの信念において
正そうとする、その姿勢にも
グッとくるものがありました。
皇帝はカタリナに言い寄って失敗すると、
彼女は車輪に手足をくくりつけられて
転がされるという拷問
が命じられました。
しかしカタリナが車輪に触れるとひとりでに
壊れてしまったため
(象徴としての「壊れた車輪」が
よく絵画に描かれています。その功徳から
守護の対象として、車輪を有する車輪作りの職人
(陶工と紡績業者を含む)、機械工、製粉業者
及び車輪絡みでドライバーを守護すると信仰されて
いる)
僕が最初、ネットで見つけたその姿のとおり
彼女は斬首刑にされ、殉教しました。
また、その類まれなる知性の高さからも
聖カタリナちゃんは
乙女と女学生の守護聖人となりました。
(同名の学校があるほどです)
そんな、まさしく「聖人」に不覚ながらも
「萌え」の感情を抱くとは...
それも気軽に「ちゃん付け」してるし。
すごく「罪悪感」に苛まされているのです。
でも、聖カタリナちゃんだって殉教する前は
「一人の女の子」だよね。
キリスト教に入信する前は、私より優れている
人じゃないと結婚しない...なんて強がって
いても気になる男の子はいたんじゃないかな。
「わ...私だって...男の子にまったく
興味がないわけじゃないんだからね・・・///」
なんてことがあったのかもしれない。
そして、「優秀」な反面、実は、ドジっ娘
だったのかもしれない。
「はわわ...また、聖水をこぼしちゃった
ですぅ;」とかね。
僕が彼女を「ちゃん付け」したり、
萌えの感情を抱いたりするのは
彼女を「冒涜」したりするつもりは
まったくない。
ただ、大昔であろうと今でなかろうと
この駄文をご覧になっている
貴女殿と同じ、等身大の
「一人の女の子」として「彼女」と
お話したい、接したい、向き合いたい
そんな穢れなき「純粋」な思い
でいっぱいなのである。
たしか、「汝、萌えるべからず」
なんていう神との取り交わしは
ないハズ。
極端な話だけど、「萌え」からの
入信もアリなんじゃないかなって
思っているんだよ。
宗教上の聖人に萌えの感情を抱きつつ、
さらなる「狂気」の水平線を目指す...
僕の中で「異常性高気圧」がグングン
発達中!
父さん、僕は己の信ずる道をどこまでも
どこまでも歩き続けます。
