聖書における結婚の原理 | ゴモラでございます

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最初の人間とされるアダムは、神によって大地(アダマー)の塵で形作られ、その鼻に命を吹き込ませたとされる。
神はエデンの園を設け、そこにアダムを住まさせた。
エデンの園にはあらゆる木が生えていた。
また、園からは一本の川が流れ出し、それは四本の分流(ユーフラテス川、ティグリス川、ギホン川(クシュ地方、エジプトの南方ヌビア地方)及びビション川(ハビラ地方、アラビア半島の一地理とされる))となっていた。
神はアダムに、園のどの木の実も食べることを許したが、園の中央に植えられた「生命の木」と「善悪を知る木」の実だけは、食べることを禁じた。
この二本の木が、のちに人間がエデンから追放される原因となる。
あるとき、神は言った。
「人が一人でいるのはよくない。彼と向き合う助けをつくろう」
こうして獣や鳥などあらゆる生物がつくられたが、彼と向き合うような助けは見つからなかったという。
そので神はアダムを眠らせて、その肋骨で女(エバ)をつくった。
これを見たアダムは言う。
「これこをは我が骨の骨、肉の肉」
アダムのこの言葉は、聖書において、男と女が父母を見すて、二人で一つとなるという結婚の原理を説明するものとされている。
二人はエデンの園に住んだ。
ともに裸であったが、お互いに恥じることはなかったという。
後日、彼らが犯した原罪(人間のあらゆる罪の根源)について記述したい。