誰かと同じでなくていい | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

わたしは、人は幸せでいるために生きていると思っています。
お洋服や写真を通じて自分を見つけ、あなたの幸せをVIVID(イキイキと鮮やかに)に生きようぜ♪

前田真三さんという有名な写真家の方がいます。

 

彼は、美瑛や富良野の美しい丘の写真で有名なのですが、

(ググると出てきます)

 

現地に行くと、

たくさんのカメラを持った人が

同じアングルでその写真を撮ろうと構えています。

 

私が住んでいたニセコでも

同じような「写真の名所」がいくつかあり、

「その有名な写真」と同じアングルで撮れる地点を探して

同じ場所にごしゃっと人が固まっていたのを覚えています。

 

私も最初のうちは

有名な写真と同じスポットに行ったりもしてみました。

 

だけど、

結局うまく撮れたとしても、

すでにそれを一番美しく撮れる人がその写真を撮っているんだから

私がそれを撮りに行かなくてもいいんじゃないかな、と思って

すぐにやめてしまいました。

 

たしかにその風景は美しいけれど、

わたしにとっては

自分の目でそれを見るだけで充分。

 

同じようなことが世間には溢れていると思います。

 

若い世代の女の子のメイクを見ると、

なんとなく同じような顔に仕上がっていて

それを自撮りで撮った顔もなんだか一律な感じで似ている。

目を大きく、アゴを小さく、みたいな。

 

その写真に写ったそのひとは可愛くなくはないけれど、

そのひと本来のかわいさというものを塗り固めてしまって

その上に「世間で可愛いとされているもの」をあらためて描き直しているような。

 

なにか、「美しさの基準」がまるでひとつしかないかのように

皆が感じているのかなあ、と思ってしまいます。

 

同じことって人生にも言えると思うんです。

 

有名になる

お金を稼ぐ

かっこいい(美しい)配偶者と結婚する

 

なんていうか、「こういうのがいい」というものが

決まってしまっている気がします。

 

多くの人がそう思ってしまっているから

そこから出ることも難しい。

 

写真の話に戻りますが、

私が写真教室をしていた時に

来てくださる方に聞き続けていたことがあります。

 

「それで、あなたはこの風景の中にいて、なにに心動かされたの?」

 

という質問です。

 

「あなた」が「そこ」にいることは

本当に運命的なことだと思います。

 

たまたまそこに生まれて

たまたまその人と会って

たまたま出かけた場所

 

がそこだったかもしれないけれど

 

あなたという一人しかいない人間が

そこにいる瞬間というのは

ひとつひとつ、奇跡のようなものだと思うのです。

 

ここにいて、

私はなにと出会って

どう感じているんだろう?

 

そちらに目を向けることをしていると、

だんだん見えてくるものがあります。

 

あなたがあなたの目を持って耳を持って体を持って

その場所にいることは

とても貴重な、唯一無二の瞬間です。

 

そこで感じることがひとつひとつ宝物なんです。

 

私がいま、心で感じることを

もっともっと感じ取ろうとしているのはそのためです。

 

一人一人違う中身をもらって生まれてきている。

 

だからこそ、

その自分にしかない心で感じた時、

 

自分の周りのものは自分の目にどう映っているんだろう。

 

一人一人が違うふうに造られている以上、それを感じて生きてみることに

意味があるはずです。

 

それでなければ一人一人の中身が違う意味がないですもの。

 

オムニバスのドラマのように

主人公一人一人がそれぞれ主役で

お互いの目にお互いを映し合っている。

 

でもそれは

一人一人が違うから面白いはずです。

 

誰かが作った理想になろうとするのでなく

自分の目にはなにが映って

自分の耳になにが聞こえて

自分の心はなにを感じているのか

 

それをもっと意識して

能動的に感じてみる

 

そんなふうに生きた時、

人生の本当の幸せ、って

見えてくるんじゃないかなと感じています。