いま、わたしは。 | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

わたしは、人は幸せでいるために生きていると思っています。
お洋服や写真を通じて自分を見つけ、あなたの幸せをVIVID(イキイキと鮮やかに)に生きようぜ♪

ちょっと気付いたことがあって書いてみる。

 

ちょっとまだまとまってないんだけど。

あのね。

 

わたし、昨日書いた記事をさっき手直ししたの。

ほんのちょびっとだけど。

 

どこを直したかというと、

人にアドバイスめいたことを書いていたところをなくしたの。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

いま、SNSから流れてくるいろんな人の声を見て。

 

とても怒っていたり。

 

とても行き詰まっていたり。

 

ふさぎ込んでいたり。

 

そういう人がとても多いんだなと感じた。

 

前の記事にちょっと書いたけど

私はこの騒ぎになって自宅にいるけれど

気持ちの上でも実質も実はほぼほぼ変わっていない。

 

でも、なんとなくみんな周りから聞こえてくる声が苦しそうだな?と。

 

で、先日の「いのち はるかに」という、

精神科医をされていた方のブログをフェイスブックでシェアして、

その反響というか、コメントを見て

少し驚いたんだよね。

 

シェアの件数が多いこともだったし

涙がこぼれた、というコメントがすごく多くて。

 

みんな、そんなに・・・そこまで辛い思いをしていたんだ!

と、正直すごくびっくりした。

 

(余談だけど、写真展で写真を見て

なぜかわからないけど涙が溢れる、という人たちがいつも一定数いて。

それがきっとこういうことなんだ!と今更わかった)

 

で、それを眺めてみて、

 

そうかー。。。

みんな、「風船」が壊れちゃったんだな、って思った。

 

多分だけど、

みんな普段、自分の心によるものじゃないものさし、

 

それは例えば

 

親の意見だったり

先生の言ったことだったり

テレビで言ってることだったり

「そうは言っても、こういうものでしょ」という

「常識」とされることだったり

 

そういう、自分の「外」にある「外部のものさし」を

基準にして、それに沿って

生きること、を教えられて。

 

真面目だったり、

優しい人ほど

それを素直に受け取って生きてきてるんだよね。

(私だってそうでしたよっ)

 

で、いろんな心の声を自分の中に閉じ込めて押さえつけて

それが、風船みたいにパンパンに膨らんで。

 

でも、みんなこうやってがんばっているんだから、

だから自分だってがんばらなきゃいけないんだ、と

がんばって、がんばって生きていて。

 

それが、今回の騒ぎで急に風船の中身が増えて。

その風船がはじけてしまったんだね。

 

それが、向けどころのない怒りだったり

涙だったりだったんだろうと。

 

自分のことでいうと

私の場合は、幸いというか(いまはそう思える

おかあさんの締め付けが厳しかったぶん

 

途中で「あれ?」と気づくことがあって。

(いま考えるとラッキー)

 

そこから

「自分の心」に従って生きることって

もしかすると可能なのかもしれない?と思い始めて

試行錯誤やってきた。

 

最初は自分の心の声がどれなのかもわかんなかった。

おかあさんが言っていることが正しいんだと信じて生きてきたからね。

(それくらい清く正しく、そしてトドメに、強い!人だった。)

 

でも、丁寧に丁寧に自分の心の声を聞こうとするうち

耳を傾けるうち、すこうしずつ、小さな声が聞こえてきた。

 

そしてまずは、自分だけは

その声を無条件に認めることをやり続けてきた。

それがどんなに、世間で常識とされることと違っていても。

(他人に対してどうこう、は二の次で

まずは自分にその気持ちがあることを認めることね)←これがなかなか・・・笑

 

何年もそんなことをやっているうちに

 

自分が自分の声を聞いたからこそ

他人は他人の感じることがあるんだなって

思えるようになったし

それを認められるようになったし。

 

すごく生きるのが楽になった。

 

そうしたら自然と、

 

変えられるものは何もないな、って

気づいたんだよね。

変えられるものは自分の心だけ。視点だけ。

 

そしたら、やってくるものがなんであっても

何も怖くなくなった。

 

何がやってきても、

それは「何かがやってきた」だけ。

 

それに対して自分がどうするか、

しか、

自分では決められない。

 

人のせいにしても変わらないし

怒っても自分が痛むだけ。

 

あ、そうは言っても

もちろん、まず、やってきたものに対して

感じることは素直に感じるんだよ?

 

感情は、コントロールできるものじゃないし

湧いてくるものだから。

 

相手が人であれば、

自分のエゴもはたらくし、ハラタツこともある。

 

なのでまず、それを感じて。

それを感じてることを素直に認めて。(認めたくない時も多々ある)

長い時間がかかったとしても、

それをずーっとやってると、その感情は成仏するんだよね。

 

成仏ってどういうことかというと

感情をそのまま感じることに慣れて

その感情をいいとかダメとか言わずにただ、「ある」ことを認めて

感じるときには感じるままにして

 

あと、ちょっとしたコツとしては

自分で自分の体を幽体離脱して自分を眺めて

 

ああ、自分てこの感情を感じてるんだなあ、って

観察する感じ。

感情に振り回される時もあるけど、それはそれでよくて、

枕に向かって「ぐわーい!ぎゃおー!」って吠えればいいし

(なかなか響かなくて良い。)

 

吠えて疲れて落ち着いたら

そういう感情あるのか・・・と眺める。

で、また日々に戻る。

 

また湧いてきたら枕に叫んで(壺でも良い笑)

落ち着いたら眺めて・・・

忘れて日常生活に戻る。

 

それを繰り返しやってると、

いつの間にかその感情が

なんというかスススーっと消えているのに気づく感じなんだよね。

 

時間がかかるし面倒だからあれなんだけど

結局こうやって「処理」をやらないで蓋して溜め込んでいると

溜め込んだままになってしまうんだよね。

う○こ貯めたままみたいな。

 

でも、その溜め込んだう○こって

絶対いつかどっかで暴動を起こすんだよね・・・。

 

で、話を戻すと、

 

感情もそのまま感じていいとなると

怖いものがなくなる。

 

そうすると、来るもの、起こることに対して

 

あ、来た。

 

んじゃ、どうすっかな。

 

っていう感じになるんだわ。

 

実は、さっき出した

パンパンの風船、の例えは

先の「いのち はるかに」を書かれた方がおっしゃってたんだけど

 

そのかたは

 

「そうした人たちが、ちょっとした刺激に反応してみせる、

はじけて見せる(これは適切な表現ではないでしょうが)、さらけ出して見せる、

そんな柔軟性に、私の方が深く感動しております。健気で、いじらしくて、打たれ強くて・・・。
「ああ、日本は大丈夫。こういう人たちが支えているのだから」と思えてくるのです。」

 

っておっしゃってたんだけども、

確かに、その優しさや真面目さが、

日本という国の民の素晴らしさなんだと思う。

 

他の国にもそれぞれの国民性みたいなのがあって、

それぞれ、それが美しいんだと思う。

 

アメリカの人ってスッゲーわがままだし

フランスの人たちってスッゲー個人主義だし

ラテン系の国の人って楽しいけど考えなさすぎて国潰れちゃったりするし

 

でもどれもそれで美しいのだと思う。

 

もちろん、その性質の出方によっては

良かったり悪かったりする(いいとか悪いというのも便宜的な表現でしかないのだけど)

けれど、

物事にはなんであっても多面性があるから。

それ全部があっていいんだと思う。

 

何を言いたいのかまとまってない感じなっちゃったけど。

 

わたしが感じているのは。

 

起こる、ってことは

それはそれでいいから。

 

いまなんか、

前と違うことになってるのは

こんなにこれまでの日常と違うことになってるのは

エポックメイキングなことだと思うのだよ。

 

チャンスだと思うのだよ。

入れ替えとかできるじゃない。

これまでのこと変えるのに言い訳もいらんし。

 

転校したら全部今までのかっこ悪い自分リセットしてもいい、みたいな。

 

見たことない世界はそりゃ怖い。

今まであったもんがなくなるのもいやだ。

 

でも、

これまで見たことないものが見られる。

 

だから、

起こってることは、ただ、起こってるだけ。

 

なので、

自分の仕事は、自分の声を聞くだけ、なんだよ。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

で、なんで冒頭で

前の記事を直したことを書いたかというと

 

どうも私、これまでの癖で

「周りの空気読んだ方がいいかな」って思っちゃってたんだよね。

 

いま、こんな騒ぎだから

みんな心を痛めていたり、塞いでいたりするから。

服のこととか書くの、そぐわないかなとか思っちゃったんだ、一瞬。

 

それで、

「いまこんなご時世だから・・・」みたいなことを書いちゃったけど。

 

いやいや、本当の私はそんなことかまっちゃいないし

関係ねー、って思ってる笑

それが私の心の声。

 

ただただ、ドレスを素敵と思って。

その「あはーん」って気持ちが嬉しかった。

 

それだけ、そのまま書けば良かった。

んだな、ってことに気づいたんだわ。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

私の場合は

私の心をウキウキと動かすものは

服だったり、宝石だったりするけど。

 

美味しいものでもいい、

美しい自然でもいい、

心安らぐ香りでもいい。

 

なにか、心を満足させてあげることを

どんなに小さくても

ひとりひとりがやることが、

 

この局面を進んでいくのに

一番大事なことなんじゃないかな、ってわたしは思ってる。

 

経済動かすことも、

あれすることもこれすることも大事だけど。

 

死ななきゃなんとかなる。

 

心さえ元気ならどうにでもなるんだよ。

何を失ってもやっていけるんだよ。

 

それこそ、すべて手を離して降伏すれば

誰かに助けを求め続ければ

究極、餓死することなんてない。

 

みんなが一生懸命やっている。

 

働いてくれてる人も政治家も医療関係のひとも

そして家にいる人も。

 

その一生懸命が、全部いい方向に

みんなが幸せを感じる世界に進んでいくといい。

 

いや、進んでいくと思うんだよ。

こんだけ大きい変化が来てるんだから。

 

だからみんな、元気でいよ。ね。

 

まず、なにを差し置いても、

自分で自分の、自分だけの面倒を、みよう。