若気の至り、なんて言わないで | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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写真家でファッションコンサルタントのyukko*です。

わたしは、人は幸せでいるために生きていると思っています。
お洋服や写真を通じて自分を見つけ、あなたの幸せをVIVID(イキイキと鮮やかに)に生きようぜ♪

えーお久しぶり。

ニューヨークから戻ってきて、

3日4日でろでろしてました。

 

で、動き出したとこ。

 

私ね、ブログを書く時って

計画的じゃなく、「湧いてきたこと」を書くんで

なかなか不定期で、そして読んでくれてる人に不親切だと思う笑。

 

でも、これしかできないからやっぱりこれで行くしかないのさ・・・

 

でね、今日の「湧いてきたこと」。

 

以前に感じてたことなんだけど、

今日ベッドに入ってたらこの思いがだだだーっと溢れてきたので

起き出してきて今書いてる。

 

えーっとね、私のファッションコンサルのお客様で

以前のコンサルの時に、すごく可愛い靴を買った方がいたのね。

 

それはプラダで、柔らかいピンクでエナメルで、

前にリボンがついた「まさに女の子の憧れの靴」!

っていうもの。

 

で、その時には私もすごく気分も上がって、

二人で手を取り合って喜んだの。

(少なくとも私の記憶はそう)

 

で、そのコンサルから、もう何年経つのかなあ・・・

6ー7年くらいになるのかな。

 

数年前に、その方が断捨離をして

その靴も処分した、ということを書かれてたのね。

 

それはいいの。

人って変わっていくものだから。

似合うものも変わる。エネルギーが変わっていくからね。

そのこと自体は別にどうということはないのですが・・・

 

だけど、そこに書かれていた言葉が

とても悲しかったの。

 

「若気の至りで買った靴でしたが・・・」

ってあったの。

 

「若気の至り」っていうのは、

若い時にノリでやってしまったことを後悔してる、という

ニュアンスの言葉だと思うんだけど。

 

確かに、その靴はもう今はその方のライフスタイルには

合わないものになってしまったかもしれない。

 

でも、決してそのお買い物自体は

無駄なものでもないし、恥ずかしいものでもないと思うの。

 

多分、その靴を結果、あまり履かなかったのかもしれない。

 

だけど、その靴と出会って、

その靴を迎え入れようと思ったこと。

そのことに意味があるんだと思っているの、私は。

 

その靴を見てドキドキしたこと。

その靴を迎え入れるのに「いいの?!」って自問自答したこと。

その靴を眺めて、ニコニコしたこと。

 

それも全部、意味があると思うのです。

 

全てのことに偶然はないし、

ちゃんと巡り合わせてもらっていると思うの。

その時のその人の運命の巡り合わせだと思うのよ、全てが。

 

だから、若気の至り、という言葉を、

私自身はあまり好きじゃない。

 

どんな選択だって、

どんな失敗(と思っていること)だって、

絶対にそれは宝物なの。

 

少しでも胸をときめかせてくれたものならなおさら。

 

こうして体を持って生きて

物理的な「もの」たちと出会えて

惹かれ合う。そんなことって、

本当にこうして体を持っているからできることなんだと思う。

 

人って、忘れちゃうんだよね、悲しいかな、過去のことを。

忘れることができるっていうのはもちろん、いいことでもある。

悲しかったことを少しずつ忘れさせてくれるしね。

 

だけど、「忘れる」ことが悪い方に働くときって(と私は思う)

昔の若い自分より、今の自分の方が賢くなったと

思いこんでしまうことがある。

 

でも、そうとばかりも言えないんじゃないかな?

 

過去の自分は向こう見ずすぎたかもしれない。

今思えば、無駄なこともしたかもしれない。

でも、今よりもっとピュアな気持ちを持ってたかもしれない。

 

それは、誰にも、ジャッジできないことだと思う。

 

ただ言えるのは

 

一つ一つの出会いは

それがどんなものであっても価値がある体験だ、ということ。

 

そうやって生きていると、

すごく幸せな人生になっていく。

 

私は今、それを自分で確信しているところだから。

 

忘れないで。

 

今、どんなところにいようと、

どんな思いをしていようと、

それは必ず、後から輝く宝石だったと、気づけるときがくる。

 

 

 

 

今回私がニューヨークで買ったマノロの靴。

痛くて履けないと思っていたけど、これなら履けた。

嬉しくて嬉しくて、すごいウキウキしたよー・・・