災害について思うことと、祈りについて | 写真家yukko*のVIVIDにゅ~す!

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このところの災害続きで、

いろいろな人のポストを読んでいて感じたことがあるので書いてみようかと思います。

 

災害が起こって、それぞれ被害を受ける、不便が起きる、大変な思いをする。

やりきれない感情でいっぱいになる。

 

私たちが住んでいるのは無人島でもないし、

人とのコンタクトの中で生きているから

やりきれない感情を、SNSや何かで表に出すことになる。

 

でも、やりきれなさを、全面には出しづらい部分がある。

今回の災害でいうなら、例えば関西で台風の被害にあった人は

北海道で地震にあった人はさぞや大変だろうと思うだろうし、

北海道の人は初めて熊本の人や東北の人の大変さをリアルに想像できたかもしれない。

その逆もまたあると思う。

 

だから、「みんな大変なんだから」って

どっかにちょっとした遠慮があるんだと思う。

 

でも、一方では、大変さを分かち合うような場所はあまりないから、

大変なんだよー!っていう気持ちを出したい部分もある。

 

もしかしたら、

あっちだって大変だろうけど、

こっちだって大変で泣きそうなんだよ!

っていう気持ちの人もいたかもしれない。

 

それはすごく自然な思いだと思う。

 

前に、東北の津波にあって家を流されてしまった人に話を聞いたことがある。

 

彼女は、何が一番辛かったかというと、と

ポツリポツリ話してくれたのだけれど

 

家を流されてしまったことは仕方がない。

また一からやっていこう、生きていこうと決めたから。

だけど、一番しんどいのは、このしんどい気持ちを出す場所がない。

周りの人に話すことができないことだ。


知人に会って、ふとため息をついて大変だった話を始めようとすると、

もっと大変な話で切り返されてしまう。

自分は家を流されたけれど、家族は無事だった。

でも、自分の周りには家族を失った人もいる。

そこで、自分の話は引っ込めることになる。

「もっと大変な人」に、自分の大変さを訴えるわけにいかない。

 

だから、外の人に話を聞いてもらえることは本当にありがたいんだ、と。

 

人は、何か辛いことがあった時に、

それを「わかってもらう」ことで、とても心が救われる。

それは災害のみならず、他のことでもそうだと思う。

 

でも、災害の時のような非常時は、

大変な思いをする人が、大変さをわかってほしい思いを出せず、

もしくはわかってもらえないことにやりきれなさを感じる。

 

そして、被災していない人も、何もできないことを歯がゆく思い

自分の喜びの出来事を表現することを遠慮してしまうようなことが起き、

その「思い」が交錯してしまうことを時々感じる。

 

今日、日本時間の朝4時から、グループでの「祈り」をする機会があった。

ニューヨークで受けた「奇跡のコース」。

そのイスラエルの講師のEfratさんという方が呼びかけて、

ニューヨークの香咲やすこさんがそれを受けて

シェアしてくれた祈り。

 

この中で、Efratさんが書き記した祈りの言葉の中に

 

「May this time be a time of peace for my mind,
 A time of peace for my brothers and sisters,
 A time for peace for this land and for the whole universe.」

 

というのがあった。

 

この祈りの時間が、私たち自分自身の心の平和の時間になりますよう。

そして世界中の兄弟姉妹のための平和の時間になりますよう。

そして、この地とこの宇宙の平和の時間になりますよう。

 

今日、まずは自分の心の中を平和にするために祈り、

そして、被災した人、そしてその他のすべての人の心に寄り添えるように祈り、

そして世界や宇宙のために祈る。

それは自分にとってとてもとても幸せなことだったと思う。

 

私は今回被災しなかったけれど

今、一番大変な思いをしている人のそばで(心の中でね)

その人たちを思えることが、とてもありがたい、と思えた。

 

災害を見て心が痛む、というのは、

つながっている、ってことなんじゃないかと思っていて。

でも、そこで物理的に何もできないことを無力と思うのではなくて。

 

思う、ということは、こちらからつながることだと、私は思っているのでね。

 

私は植物に近いところにいる人間だから、

今回、台風でなぎ倒された植物を見て、悲しかった。

でも、倒れてしまった大きな木に対して物理的に自分にできることはなくて。

ただ、寄り添ってその木を、そして、他に同じような状態になった植物を思って寄り添った。

 

被災していないことを申し訳なく思うのではなく、

自分の世界の喜びを抑えることで合わせようとするのではなく、

自分の中を平和にしてから、一緒にいるよ、と祈る。

みんなが自分の光で世界を照らしあう。

 

意識の力は本当に大きいと思う。

自分と世界をつなげる。

それは自分からだな、と思うことができた時間でした。