12月8日乙女座下弦の月。今更だけれど、このサビアンをテーマにどうしてもお伝えしたいことがあり…。実は親戚が亡くなりました。双子座満月の日、先生から電話がありました。もしかすると、明日まではもたないかも、と。

 

実はこちら

満月の前日にアップした記事には

削除した文があります。

 

 

 

 

ここで少し私自身のお話をさせてください。

 

実は私は今

1年前からお世話をしている

遠縁の親戚に

転院して頂こうか

悩んでいる真っ最中。

 

 

現在の病院の先生は

最期まで看て下さると仰って頂き

手を尽くして下さっています。

 

 

けれども

本当に彼女が安らかに

最期を迎えるためには

転院の方がベターな気がしているのです。

 

 

今のところは

その判断が正しいものか

まだ結論が出ていません。

 

 

現在の先生にお任せした方が

本当は良いのかも知れません。

 

 

実際のところは

もう転院できる状況でないかも

知れません。

 

 

先週はネットで調べたり

いろいろな人の話を聞いて回りました。

 

 

そろそろ「決断」のときと感じています。

 

 

そしてその選択は

私の生活にも大きく影響するでしょう。

 

 

けれどもある意味それは

私がどれだけ誠意を尽くせるかの

「お試し」にも感じてしまうのです。

 

 

試しに1枚引いたオラクル・カードは

「恋人たち」。双子座のカードです。

 

 

 

けれども悩んだ末に削除した。



それは今思えば心のどこかで

 

実際のところは

もう転院できる状況でないかも

知れません。

 

ということが、

きっとわかっていたのだ。

 

 

けれども認めたくなかった。

 

 

まだできることはあると思った。

 

 

できることがあるなら

しなければならないと思った。

 

 

ともかく苦しまずに

安らかに逝かせてあげることが

私の債務と思った。

 

 

先生は手を尽くして下さって

いるけれど、他へ移れば

 

 

もっと設備も

人員配置も余裕があって

 

 

優しい言葉を

多くかけてもらえるような気がした。

 

 

他へ移しても

出来ることは限られていて

病状がよくなるわけではないのだと

 

 

どこかでわかっていても

そんな筈はない、と

否定していたのだ。

 

 

先生や病院が

悪いわけではないのに

どこかでそう考えたい

自分があったと思う。

 

 

今どこの病院も

院内感染に

非常に神経を尖らせている。

 

 

こちらの病院でも

面会はひと月に一回

と言われた。

 

 

けれどご配慮頂き

2週に1度に。

 

 

それでも

次にお会いできるかはわからない。

 

 

病室を訪れると

来てくれて本当に嬉しい、と

弱々しい声で

彼女は言った。

 

 

冷たい手ね。

と握り返してくれた。

 

 

じゃあ額にあててね、

冷たくて気持ちがいいわ

…と。

 

 

びっくりするくらい

澄んだ瞳だった。

 

 

老女とは思えない、

少女のような。

 

 

じゃあ、また来るからね。

と言って出る私に

 

 

細い細い手を

振ってみせてくれた。

 

 

それが

言葉を交わした最後だった。

 

 

それでも私はまだいい方で

他の院では現在

 

 

肉親で

親や兄弟でも

手を握ることすらできず

亡くなってゆく方が多いと聞く。

 

 

それを聞くと

自分が母を亡くした時は

 

 

朝から晩まで

付き添ってあげられたのは

何と幸せなことであったか。

 

 

彼女は母よりずっと高齢なので

本当は病気というより

老衰と言っても

いいのかもしれない。

 

 

けれども兆候があったとき

私はまさかそれが

こんな結果を呼ぶとは

思いもしなかった。

 

 

ホームの介護士さんに

 

 

「死んじゃうかもと心配で」

と言われても

 

 

何を大げさな

…と思っていたのだ。

 

 

それが結果的に

対応の遅れを招いたようで

本当に悔やまれた。

 

 

だからなおさら

このまま逝かせてしまうのが

しのび難かった。

 

 

話しを進めていた

家の近くの転院先は

もう少し面会制限も

緩やかだから

 

 

肉親ではない

こんな私でも

喜んでくれるなら

 

 

もっと頻繁に

面会に行ってあげられる。

 

 

何よりこの先

コロナがどうなるかわからない中

 

 

いざ臨終のときに

側に行ってあげられない

可能性が高いと思った。

 

 

 

 

 

双子座満月の夕刻

 

タクシーの運転手さんが

夕方から欠け始めると

聞いたけれど

まんまるですね、と言った。

 

 

病院の前に着いて

空を見上げると

本当にまんまるで

美しい月だった。

 

 

こんな日に逝くなんて

なんだか地上で年を取った

かぐや姫みたい…

と思った。

 

 

けれども

病室に着くと

病状が安定していたので

先生は一度帰るように

と言った。

 

 

長居をして

他の患者さんに

万一コロナがうつっては、と。

 

 

もちろん

検温も

アルコール消毒もしていたけれど。

 

 

でも今帰ると

間に合わないかもしれないですよね、

と先生に言った。

 

 

もしかすると少し

くってかかったような

言い方だったかもしれない。

 

 

そうですね、

申し訳ありませんが

…と先生は言った。

 

 

今から家の近くに

移すことはできませんか?

と聞いた。

 

 

もちろんそんなことは

無理に決まっている。

 

 

そうですね、

今は無理ですね、

と言われた。

 

 

先生だって、

きっとお辛かったと思う。

 

 

それでも

立場上

そうするしかなかったと思う。

 

 

先生のせいではなくて

コロナの中だから

仕方がないことなのだ。

 

 

そうはわかっていても

どうしても

納得しがたいまま

家路に着いた。

 

 

そして帰宅して

翌朝電話があった。

 

 

朝方息を引き取った、と。

 

 

 

 

母の時も義母の時も

そんなに早くはなかった。

 

 

だからそれでも

まだここから4,5日は

病院へ行ったり来たりかな、と

どこかで思っていた。

 

 

母は

「もうすぐご臨終です」

と言われてから

 

 

さらに3日ほど経った。

 

 

死に際の呼吸は

全力疾走する

馬になぞらえ

ギャロップ・ハート

とかなんとかというようだ。

 

 

ホスピスの看護師さんが

教えてくれた。

 

 

全身に血液を送るため

最期の力を振り絞って

心臓が

パワー全開で活動するのだそうだ。

 

 

100メートル全力疾走を

3日間走り切っているような

その様子は

 

 

見ているこちらの方が

辛かった。

 

 

何故は母は

これほど頑張っているのだろう?

 

 

看護師さんが言った。

 

 

何か心残りが

おありなのかもしれませんね。

 

 

心残り?

 

 

考えて、考えた。

 

 

そうだ、

かなり遠方に住んでいる

 

 

兄弟姉妹で

一番仲の良かった

母の姉のことが

頭に浮かんだ。

 

 

数年前に脳梗塞を起こし

リハビリをしながら

施設と自宅を

行ったり来たりしている、

と聞いている。

 

 

もちろん

電車や車で

こちらに駆けつけることは

到底できない。

 

 

私は父に話して

電話を掛けた。

 

 

「お姉さん、ご無沙汰しています。」

父は話した。

 

入院のことは

数週間前に

連絡していたが。

 

 

母の耳元に

受話器を寄せて

お姉さんの声を聴かせた。

 

 

その時はもう

口はきけなかったけれど

 

 

耳元で

故郷の方言が

母の耳に入ったと思う。

 

 

私にも父にも

あまりにもローカルで

聞き取れない方言。

 

 

けれども母が

受話器の向こうにいるのが誰か

はっきりとわかったのは

見て取れた。

 

 

2,3分の会話のあと

 

「お姉さん有難うございます。

どうぞお姉さんもお元気で。」

 

そう言って

父は電話を切った。

 

 

私は本当に安堵した。

 

 

なんだかやるべきことは、

ともかくやった。

 

そんな気がした。

 

 

そして売店に何か買いに行くつもりで

病室を出ようとしたとき

後ろから父が

大声で私の名を呼んだ。

 

 

1度、2度、3度…。

 

 

そう、母は最期の力を出し切って

天に召されたのだ。

 

 

 

先生を呼ぶと

脈を確かめ、

〇時〇分です、と言った。

 

 

電話を切ってから

ほんの数分の出来事だった。

 

 

 

 

そして私は忘れない。

 

 

もう心臓が止まったあと

 

 

そして

 

 

呼吸も止まったあと

 

 

 

 

あとからあとから

 

 

母の目から

 

 

涙があふれて

あふれて

次から次へと

涙が母の頬をつたっていた。

 

 

 

それを見て私は

はっきりとわかった。

 

 

ひとの魂というのは

身体を無くしても

なくなるものではないのだと。

 

 

 

 

 

だから父が亡くなったときも

「そのとき」に

側にいることはかなわなかったが

 

 

父の側に立ち

父に聞こえる声で

はっきりと伝えた。

「ありがとう」と。

 

 

きっと父には聞こえている、

と思った。

 

 

 

今回朝

電話があってから

到着までは

 

 

ずっともっと

時間がかかった。

 

 

けれども手を取ると

まだ温かくて

それがとても嬉しかった。

 

 

父の時とおなじように

はっきりと聞こえるように

 

 

この1年

一緒に過ごした時間は

とても楽しかったね、と。

 

 

おかげでたくさんの

親切な人びとに出会え

 

 

また多くを学ばせて頂き

感謝していると。

 

 

今思えば本当に

かけがえのない時間だった。

 

 

いつもいつも

コロナの影におびえ

思うようにいかないことばかりでは

あったけれど。

 

 

目の前に

大きな壁で立ち塞がれたように

 

 

まるで大きな鎧を身に着け

身動きができないように。

 

 

武漢のニュースが

流れ始めたころ

介護認定の申請。

 

 

ダイヤモンド・プリンセス号の

ニュースの中

ホームを探し

 

下船の頃に引越し。

 

 

旧居の退去の翌日

緊急事態宣言。

 

 

自粛期間になって彼女も

ようやくホームの生活に慣れ

 

 

少し流行が下火になるころ

デイサービスや

ホームの方たちとの交流も深まって…

 

 

秋風が吹き始める頃には

彼女は本当に

幸せそうだった。

 

 

みなさん本当に

良くして下さるの。

 

 

一人でいることはないわね。

 

 

いつも誰かとお喋りして

冗談を言い合っているわ

…と。

 

 

 

 

 

ちょうど去年の今頃に

訪ねた時には

 

 

真っ暗な部屋でひとり

カーテンも開けず

 

 

スタンドの電球だけで

過ごしていた。

 

 

雨の日は足元が滑り

外へ行かれないので

昨日は何も食べれなかったと

語る時もあった。

 

 

 

 

私がこうなってしまったのは

 

ずっと家族の面倒を見ていたから。

 

 

家も売ってしまったわ。

 

一緒に住んで欲しいと

言われたから。

 

 

結婚の申し出も断ったの。

 

だって親や兄弟を

追い出すわけには

いかないでしょう。

 

 

 

 

時には

恨みつらみともいえないような

汚い言葉を吐くこともあった。

 

 

私が

まだまだこれからじゃない?

この先に幸せが待ってるんじゃない?

と言うと

 

 

どうやって?

幸せになりようがないじゃないの。

 

と言うのが、悲しかった。

 

 

 

 

けれどもホームに入って

そんな記憶さえ

消去されたように

 

 

毎日楽しいわ、

と笑っていた。

 

 

まだ暑かったころ。

 

 

それを見るのが

本当に嬉しかった。

 

 

頑張った甲斐が

あったな、と思って。

 

 

 

この記事に

 

私はそのことを書こうと思った。

 

 

 

 

けれども書こうとすると

なんだか彼女に

たしなめられるような気がして

書けなかった。

 

 

 

葬儀の日。

 

 

何となく

書けなかった理由が

わかった気がした。

 

 

僧侶は彼女に

会ったこともなく

私は何かを

伝えたわけでもなかった。

 

 

ただ生前の名前を

伝えてあっただけ。

 

 

お経を終えて

おもむろに立ち上がった

お坊様のお話は

ご戒名の由来について。

 

 

「高い峰に雲が昇り、

慈愛の雨を降らせる様子が

込められています。

 

 

ひとの喜びというものは

楽しい、嬉しいだけではありません。

 

 

高い峰まで

やっと昇った雲。

 

 

その経験が

誰かへの

優しさとなってゆくのです。

 

 

そうして誰かの

お役に立てたとき

 

 

力になれたとき

 

 

それが私たちの

本当の喜びなのです。」

 

 

 

双子座満月の日から

ずっと忙しく

涙を流す暇もなかったけれど

 

この言葉を聞いて

初めて私の目にも

涙が伝った。

 

 

 

だって私は知っていたから。

 

 

四柱推命で彼女の命式は

太陽だった。

 

 

けれどもその周りを

雨雲の雫が

覆い隠していた。

 

 

そのしずくは

落ちて宝石の泥を洗い流し

大河に流れこんでいた。

 

 

「水」の多い命式だったのだ。

 

 

そのため彼女の生来の「火」が

消されそうになっていた。

 

 

だから私は

太陽に力を与えてくれる

森のそばのホームを選んだ。

 

 

 

以前

カナダに行きたかったの、

と話していたから。

 

 

木が好きだから

森を見に行きたかったの。

 

でもお友だちの都合で

キャンセルになってしまったの、と。

 

 

(それもあって

気に入って

くれていたのだと思う。)

 

 

 

けれどもお坊様の話を聞き

私は思った。

 

 

長い長い半生のあいだ

ずっと彼女は仕事を続けながら

両親を

兄弟を

その息子や娘のために

時間と労力を割いて

尽くした。

 

 

それは彼女の記憶に

どうあろうと

 

 

彼女の「魂(たましい)」にとっては

「喜び」ではなかったか。

 

 

彼女は

自分の命式を知らずとも

それが表す通りの

人生を歩んでいたのだ。

 

 

そして

「魂」の望んだ

今生のシナリオを

立派に生き切った

のだと。

 

 

人間という存在の

「尊厳」を想った。

 

 

 

 

乙女座上弦の月。

 

 

乙女座は

「奉仕」を表わすサインだ。

 

 

「健康」や「自己管理」も

サインの象意。

 

 

 

今回の下弦の月の度数は

乙女座17度

「噴火している火山」。

 

 

 

潜在意識に眠る無限の力が

表に表出する…という度数。

 

 

 

 

 

そしてプラス1度読みでは

乙女座18度

「ウイジャ盤」。

 

 

日本に伝わって「こっくりさん」となった

イギリスの遊び。

 

 

降霊とも捉えられるが

 

「オーリング」や

「キネシオロジー」のように

 

自身の無意識が

身体の神経信号を

刺激しているとも考えられる。

 

 

 

いずれにしろ

「火山の爆発」のような

 

 

私たちの「意識」に

普段はのぼってこない

 

 

大きな大きな

「無意識」のエネルギーがあって

 

 

「ウイジャ盤」は

日常生活に

それを反映させる指針となる。

 

 

 

それは

意識下の

深い深いレベルから

到来するメッセージ。

 

 

わたしたちは

ここに

 

 

この時の中に

この空間の中に

 

 

「身体」をお借りして

舞い降りている。

 

 

 

でもその背後には

 

大きな大きな

「無意識」や

「魂(たましい)」の

領域がある。

 

 

 

それは地下のマグマの

赤い奔流の様に

莫大なエネルギーを

持っている。

 

 

普段わたしたちが

気が付くことはないけれど…。

 

 

 

私たちは本当は

 

 

「広大無辺」

とも言える

無限に大きな存在で

あるのだと思う。

 

 

時間と

空間を超えた存在。

 

 

 

「ウイジャ盤」の上を

スルスルと動き

 

無意識に

真実を指し示してゆく

指はまるで

 

いままで押し殺し

見えないふりをしていた

本当のあなた。

 

 

コロナに翻弄されたこの1年は

あなたの前に現れてきた

潜在意識下の自分自身に

 

 

出会った方も

多かったのではないでしょうか?

 

 

そして今

指し示された道へと

歩み始めるとき。

 

 

 

さあ

いっとき静かに目を閉じて

「魂」としての存在の

自身に思いを馳せてみよう。

 

 

いま私は

広大無辺な存在であるところの

私が

 

 

望んでいる道を

歩こうとしているか。

 

 

 

人生の終わりに

今この時のことを思い出して

 

 

勇気を持って

その願いを叶えようと

力を尽くしていたと

言えるだろうか。

 

 

そして

かけがえのない

この美しい「地球」に

生を受けている時間を

 

 

心から慈しみ

楽しんでいるだろうか。

 

 

 

「水瓶座時代」の門を

くぐろうとせずに

逝った彼女。

 

 

けれども私たちは

ここからそのさなかへと

入ってゆく。

 


 

 

「水瓶座時代」は

「共時性」の時代。

 

 

「共時性」とは

「同じとき」を分かち合う者同士

繋がり合えるということ。

 

 

 

 

けれども裏を返せば

それは

 

いつもどこかで

 

「一期一会(いちごいちえ)」を

覚悟していなければならない

 

ということ。

 

 

 

風の様に行き過ぎる

「いまここ」という「一瞬」にこそ

永遠のような価値がある。

 

 

今、目の前のひとと。

 

 

 


 

 

 

長文を最後までお読みいただき

本当にありがとうございました赤薔薇

 

 

宝石紫直近記事宝石紫

 

 

本日の記事が気に入って頂けましたら

フォロー頂けましたら嬉しいですドキドキ

 

 

サビアン×陰陽五行×潜在意識
=自己価値発見・開運クリエイター*


宮代 彩也乃(みやしろあやの)

 

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