【福岡市美術館/インカ・ショニバレCBE:Flower Power】
アートの力をものすごく感じる展覧会だった。
今の世界情勢、社会課題に物申す力が
アートにはあるんだなぁと改めて感動。
同じ時代を生きているからこそ感じること。
彼の作品全体に流れているメッセージは
伝統や常識だと思っていることが
意外とそうではないということ。
また、マイノリティ、格差など
植民地に生まれたルーツを持つからこその視点。
全ての作品に使われているのが
アフリカンプリントと呼ばれる
色鮮やかな生地。
褐色の肌と気候風土によって培われた
デザインや色彩だとずっと思ってきた。
でも実はそうではないらしい。
20世紀にヨーロッパからもたらされた
言わば押し付けられたものなんだとか。
知らなかった。。。
搾取する側とされる側、
そんなメッセージも強く感じた。
※写真お借りしました
https://artscape.jp/report/curator/10153567_1634.html
この作品はなんと
今回の展覧会のための新作。
『桜を放つ女性』
咲良の季節だからこそ更に胸に迫った。
ぱっと見の美しさに目を奪われるが
深い意味が込められている。
女性の頭は地球儀になっていて
世界中で女性の地位向上に
貢献した人の名前が書かれている。
日本地図の上には
今まさに物議をかもしている
上野千鶴子さんの名前。
(実際には背伸びしても見えない)
アメリカにはオバマ夫人。
銃は戦争をする男性の象徴で
女性はそのpowerで平和に導く、
そんなメッセージに勇気が湧いてきた。
女性は明治の日本人。
ドレスの形が鹿鳴館時代のもの。
伝統を捨てて西洋に追いつけ追い越せの時代。
これ以外の作品も
どれも興味深いものばかり。
まだしばらくあっているので
ぜひどうぞ。
https://www.fukuoka-art-museum.jp/exhibition/renewalexhibition/
ちなみに、美術館の屋外には
草間彌生の有名なカボチャ作品が。
全てのカボチャの中で、
実はコレが彼女の最初の作品って
・・・知ってた?
最近、西日本新聞の快進撃が続いている。
今、国会を揺るがしている「統計問題」は、
昨年9月に西日本新聞がスクープしたのが始まりだったとか。
※それについて詳しく知りたい方はこちら↓
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/reading_oblique/article/485851/
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/reading_oblique/article/487535/
写真の記事は、警察の不正を暴いた件。
こちらも西日本新聞がきっかけとなり、地方紙連携で全国に問題定義をしている。
この記事の最後の方にある一般の人の声、これこそが地方紙をなくしてはいけない理由じゃないかと。
「警察の不正を追及するのは、勇気がある」
「警察取材に支障があるだろうが、それでも報道する新聞社があることに感激した」
これこそがジャーナリズム。
朝日、毎日、読売などの全国紙が、この辺りの問題を報道する時に非常に偏りがあるのは・・・・想像できるでしょ?
それと、同じマスコミでもテレビにはもうひとつ大きな理由がある。
それは、テレビは「電波法と放送法」という法律があること。
表現の自由と言いながらも、お上に睨まれれば放送できなくなる。
ここが新聞との大きな違い。
もうひとつの違いは、新聞は有料でテレビは無料ということ。
テレビは広告料に大きく頼っているので、クライアントの意向を忖度しがち。
大きなクライアント企業が何か不正を犯したとき、本当に公正な立場でニュース出来ると思う?
(もちろん報道現場の人たちはどこも一生懸命。ここで言ってるのは最終的にそれを出すのかの政治判断の話。)
だから、ジャーナリストとしての気概のある地方新聞をなくしてはいけないんじゃないかと思う。
ネットニュースは新聞のネタを加工しているだけで取材しているわけではない。
一方、新聞社は必ず「ウラ」をとって取材する。
(だからって、本人である証明としていちいち実年齢書くのはやめて欲しいんだけど・苦笑)
新聞社がなくなったら、いったい誰がしっかり裏付けのある記事を書くんだろうと怖くなる。
お上の顔色を気にすることなく、権力の不正をすっぱ抜く新聞社は必要じゃない?
(もちろん、紙であるかどうかは別問題)
最近は新聞を取らなくなってきているけど、地方紙は私たちが買い支えないと。
購読料を払うことは、クラウドファンディングみたいなもんじゃないかと。
つまり支持するってこと。
もちろん西日本新聞だけでなく、全国の骨のある地方紙を。
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