先日ある場所で初めて会った方とお話していて、前後は忘れたけれど彼女が
「う~んでも私、文章書くの下手だから。苦手なんですよね」
と言ったので(こんなとき人は必ずうつむいている)、すかさずわたしが
「下手でもいいんですよ。上手いとか下手とか関係ないです。
上手くても魅力のない文章ってあるし、なんか下手だけど一生懸命な感じに
引き込まれてついつい読んじゃう文章もあるから。
そういうのが”魅力的な文章”とか”その人らしい文章”っていうんだと思います」
と言ったら、ぱっと顔が明るくなって(ほんとに)
「そうなんですか? なんかすごくいいこと聞きました」
とものすごくうれしそうに言った。こっちまでうれしくなるくらいに。
そうなんです。
これは本当にそういうものなんですよね。
わたしは今までものすごく色んな人が書いた文章をたくさん読んできているので、
ウソじゃないです。
勢いと情熱と思い込みでがが~っと書いた文章は、荒削りでちょっと舌足らずなところもあったりするんだけど、それをあとから冷静な目で読み返して推敲をくり返していくと…
不思議なくらいにつまらない平凡な文になってしまったりする。
そういうときは正直に、
「最初のほうが良かったです。なんで書き換えちゃったの?」
と伝えるようにしています。
あとライティングする時って、取材のあとのテープおこしとかしないほうがいい場合も多い。
ほんとうに響いたことって鮮明に脳というか心というか記憶に残っているものだから、
それだけで一息に書いてしまったほうが良いものが書ける(鉄は熱いうちに)。
これは経験的に100%そうだと思う。
いちいち録音聞いて、それを一字一句書いたりすると、
その場の臨場感や抑揚がなくなってベッタリした平板な「情報」になってしまうというか。
明らかにその場にあった、“神聖な”なにか”が損なわれてしまうんだろうなぁ。
話をもとに戻して、
べつに今後、本を出したいとか、書くことを仕事にしていきたいとか全く思っていない人であっても、
文章力というのは、あって困るものではないです。
でも、「ない」と損をすることもあると思います。これホント。
なにかをカタチにするとき、誰かになにか依頼したり協力を頼むときに、
自分が伝えたいこと、ほんとうに考えていること、心から感じたこと、などなどを
「自分なりの言葉にして相手に伝わるように書く」ことが
「できる」のと「できない」のとでは、
出来上がるものの精度というか結果がまったく変わることもあるから。
ということで、
上手くなくてもいいから、伝わる文章。を目指しましょう。
相手にちゃんと伝わる、共感してもらえる、そんな文章が書けたら仕事も人生も豊かになります。
書くことが「得意」にならなくてもいいから、今よりも好きになれたら、
もっと楽しくなったらいいですよね。
上手く書こうとしなくていい。伝わるのがいい。
これはほんとうに真実です。
じゃあ具体的にどうすればいいの?っていうのは、また書きます。