神奈川県の病院で指名手配の桐島容疑者と見られる男性の死亡が伝えられています。
本人かどうかはまだ確認されていないようですが
釈然としない成り行きです。
今日は、桐島容疑者がこのあとどうなるか、
スピリチュアル界の罪と罰について少しお話をしてみます。
私たちの人生。
地上で起こしてしまったこと、犯してしまったことというのは、
地上にいる間に浄化ができるようになっていて
つまり肉体がなくなると浄化が難しくなります。
地上にいる間に例えば“逮捕”されますと、それだけで浄化が起こり始めます。
逮捕され、そこで真実に向き合い、心から自分の起こした出来事に向き合う覚悟が出来ることで魂レベルが浄化に進みます。
今回の桐島容疑者(とみられる)のケースでは、病院で告白をして、警察関係の人に謝ったとしても
浄化とはなりません。桐島氏はこの出来事を次の界へ持ち越さねばならなくなりました。
肉体を離れた次の異次元では、肉体によって起こされた重いできごとは、簡単に浄化は起こせません。
後悔や罪悪感の終わりなき地獄
のような場所へ移されます。
神は謝るチャンスをあえて奪った。
そう簡単に終わらせられない。
今回の桐島容疑者のケースはスピリチュアル的に最強の重罰とも言えます。
オウム真理教の松本死刑囚、
自身の起こした出来事に向き合うことを拒み続けてしまった松本死刑囚もまた、
そのような界を彷徨っています。
(が、まだその界にも届いていないようです。)
このケースでも、肉体がある限り、“向き合い”が起こらない…と天界にみなされれば、あえて次の界へ移動となったりします。
後悔・罪悪感の界で全く浄化が起きないわけではありません。けれど地上の時間に換算した時、
気が遠くなるほどの時間(何万年?)そこにまみれるのがふつうです。それほど光の差しにくい場所。
そこには神が常に警備員のようについていて反省の度合いを見計らい、深い場所に到達したとみなされれば浄化のチャンスを与えたりします。
(ヒットラーなども同様で、未だに…です)
一方で、京アニ事件を起こした 青葉真司被告は
重篤な症状にもかかわらず生き残りました。
これはこのひどい出来事、命を落とされた皆さん、ご遺族の皆さん、その悲劇、
そして自分自身の人生に没入させる時間を、天界が与えた
と言えるでしょう。
本人の命を絶って終わり
にしてはならない。
青葉被告が、犠牲になった方々、ご遺族の恐怖やご無念に心の底から思いを至らせることができたとき
亡くなった皆さんやご遺族の浄化も起こります。
ひとつ、安心してほしいことがあります。
このような事故、事件などで亡くなる時、痛みも恐怖も感じないように神がそばについています。
幸せな気持ちで次の準備を始めています。だから必ずまだ、もうすぐ会えるのです。
改めて亡くなられた皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。