笑止千万の日本国憲法礼讃 | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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4月29日の産経新聞【刺さるコラム】に掲載された政治学者;岩田温氏の「笑止千万
の日本国憲法礼讃」は、小生には とても興味深かったので、一部加筆の上で紹介する。
憲法記念日が近づいたこともあって、憲法全文を読み直した。「空疎」という言葉しか
思いつかなかった。
空想的な前文や第9条も空疎である自国の平和を「諸国民の公正と信義」に頼るなど、
およそ独立国家の戦略ではない

しかし、
最も空疎に感じたのは、意外かもしれないが第21条だった。ここでは、次の
ように書かれている。「
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵して
はならない
」。
なぜ、この条文が空疎なのか。「日本国憲法」が制定された当時には、「連合国軍総司
令部(GHQ)」によって、徹底的な検閲が行われていた
からだ。憲法の成立にGHQ
が関与している事実を発表することは許されなかった。検閲を禁止する憲法は、検閲に
よって我々の言葉が奪われた時代に成立したのだ。
実際に、占領期の検閲資料を収集した「プランゲ文庫」で、検閲の実態を確認できる。
これは、国会図書館にマイクロフィルムが所蔵されており、誰でも閲覧が可能である。
一つだけ実例を挙げよう。ギリシャ哲学の泰斗「田中美知太郎」氏が 『中央公論』に
発表した「宗教批判の一課題」と題する論考だ。ここでは次のように書かれている。
人々は何の摩擦も矛盾も感ずることなしに国家崇拝や君主崇拝に統一され、無意味な
戦争を絶対神聖視したのである
痛切な大東亜戦争に対する批判である。だが、本来の草稿には続きがあった。検閲官の
英文資料によると次の趣旨の言葉があったのだ。
しかし、我々はこの種の実例をプロテスタントあるいはカトリックの西洋の国々でも
発見することができる
」。
つまり、単なる日本批判ではなく宗教と戦争との関係について論じていたのが、当初の
田中論文であった。この部分が「プロパガンダ」に該当するとして削除されている。
結果として、「この箇所は、日本のみを批判している」ように読み取れてしまうのだ。
こうした些細(ささい)な文言までが、徹底的な検閲によって奪われていたのである。
なお、後年、出版された『田中美知太郎全集』で確認をしてみると、雑誌に掲載された
検閲後の本文が収録されている。被占領期に発表された論考は、英文資料によって確認
しなければ、本来の意味が分からない。
日本国憲法を「平和憲法」と呼び、「世界遺産にせよ」との主張もある。言論は自由だ
が、私には悪い冗談にしか聞こえない。我々の言葉が奪われた時代に成立させられた憲
法なのだ。
この憲法を肯定するにせよ、否定するにせよ、歴史的事実を直視すべきだ。
事実を無視した日本国憲法礼賛論は、端的に言っていかがわしい。