「日本国憲法についての議論」は… | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

尾張エクセルの「日々精進ブログ」

木曽の清流に映え、心触れ合う躍動都市;愛知県一宮市に活動拠点を置く、尾張エクセルです。保守政権を応援しつつ、経済・社会・軍事防衛まで、地域や国内、海外の気になる出来事や話題を、独断と偏見溢れる一味違った目線でブログ提供します。

本日;5月3日は「憲法記念日」である。「憲法記念日」は、国民の祝日の一つであり、
「国民の祝日に関する法律(祝日法)では「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期
する」ことを趣旨としている。
1947(昭和22)年5月3日に日本国憲法が施行されたのを記念し、1948(昭
和23)年公布施行された「祝日法」によって制定された。
正確に言えば 日本国憲法は1946(昭和21)年11月3日に公布されその半年後の
1947(昭和22)年5月3日に施行されたのである。

 
「日本国憲法」の内容は、「国民主権」・「平和主義」・「基本的人権の尊重」という
3つの柱を有しており、特に「憲法9条」の「戦争放棄」は、左翼陣営が呼称する「平
和憲法」として有名だが、「世界でも特異な憲法」であるといえよう。
「日本国憲法」には述べられていない憲法上の問題については 
①「国家領土」に関して、この憲法は一切沈黙をしていること、
②「国家の自己表現としての~国家体制、国旗国歌、元号、国民の祝日、祝日」などを、
この憲法は全く規定していない。
憲法の前分をはじめとして、実に「奇異」な点が指摘されるが、この憲法が戦後の占領
下において 「占領軍総司令部;GHQ」の手で、僅か一週間余りの短期間で 起案作成
されたことを多くの国民は知らない。
日本国憲法の第一条は、「日本の国のかたちを表す最も重要な条文」である。
第一条;「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、
主権の存する日本国民の総意に基く」。
天皇が日本国及び日本国民統合の象徴であるのは、2千年余り前の「ヤマト」王権成立
以来の天皇の普遍的なあり方を表しており、それが「日本国民の総意に基づく」という
ことは、「日本国民が 皇室を二千年以上も守り続けてきた事実」を表している。
したがって、この日本国憲法でも、「第一条は、天皇の普遍的なあり方を明文化」した
ものであり、日本国の成り立ちを編纂した「記紀(古事記や日本書記)」の思想を受け
継ぐものである。
「日本国の独立自尊の為に、我々現代の日本人は、日本の国の成り立ちと、それを守って
きた先人たちの努力を知っておくべきだ」と小生は思う。
 
日本国憲法についての議論は、多くの人々には興味深いトピックである。日本国憲法は、
戦後の占領期に制定されたものであり、その内容や意義については様々な意見がある。
一部の政治学者は、日本国憲法を「空疎」と評している。当然であろう。特に、前文や
第9条については「その内容が抽象的であり、実際の国家戦略には適していない」との
意見がある。戦争放棄を謳った第9条は「対外的には武力を用いない」という自縄自縛
的な宣言を含んでおり、「国際紛争の解決には武力を用いない」との立場を取っている。
「憲法成立過程と問題点」;現行の日本国憲法は「GHQ(占領軍総司令部)によって
押し付けられたものである」
との意見があるが、起草・制定過程からしてもその通りで
あろう。この点については、憲法の成立過程やその後の議論を理解することが重要だ。
憲法制定から七十余年が経過しても、改正が一切行われていないことは「国民主権・平
和主義・基本的人権の尊重」等の憲法の基本三原則が定着していると言えるだろうか。
また、第21条には「検閲の禁止」が明記されている。この規定は、「GHQ」の検閲
下で作成されたものであり、「日本国民の通信の秘密を侵してはならない」と規定して
いるが、GHQが戦後の日本でどれほどの検閲鵜を実施したかは、日本政府やマスコミ
も口をつぐんだままである。
一方で、日本国憲法は、「天皇を現人神(あらひとがみ)とし、日本国民を他の民族に
優越する民族である」とは位置づけていない。むしろ、国民との結びつきは相互の信頼
と敬愛によって築かれており、神話や伝説に基づいている訳ではない。
 
日本国憲法についての議論は、様々な観点から行われている。憲法は国の基本法であり、
その内容や改正については多くの人々が意見を持っているが、上記のほかの いくつかの
議論ポイントを紹介する。
 
国民主権
日本国憲法は、天皇を象徴とする存在として 国民主権を確立している。「政治的権力は
国民から派生し、国民の意志に基づいて行使されるべきである」とされている。
日本国憲法の定める国民主権は国民が生まれながらにして持っており、憲法改正によっ
ても変更できない根本原理というのは疑いのない事実であるといえるだろう。
現在、日本では 憲法第15条に「国民固有の権利」と明記されていることから、外国人
参政権は認められていないが、地方参政権の付与要求など様々な議論が見られる。
日本国憲法では「国民主権の原理」等から、外国人には 参政権の行使を保障していない
ことを明らかにしているが、これは最高裁の立場とは異なっている。

 
②憲法第9条の議論:
第9条は 戦争放棄を規定している。だが、改憲派と護憲派の間で、この条文についての
意見が対立している。
第9条は、日本の平和主義を象徴するものとされている。「外交的には武力を用いない」
という自縄自縛的宣言が含まれている。
これが、大きな問題なのである。
いわゆる「改憲派」は、「憲法第9条を変えるべきだ」と主張して、自衛隊の存在を憲法
に規定し、国の防衛力を強化すべきだと考えている。これは至極当たり前の考え方である。
ところが、「護憲派」という左翼勢力は、「平和主義を守り、戦争を避けるために、憲法
第9条を維持すべきだ」と主張している。
「日本は憲法第9条のおかげで戦争に巻き込まれていない」という主張があるが、これは
事実認定が難しい点である。実際には、日本が旧ソ連によって千島列島と樺太を奪われて、
竹島問題や北朝鮮による日本人拉致問題など、戦争や紛争に巻込まれた事例も存在するが、
日本国は対応できないままで、自衛戦争も放棄していては、日本国は滅亡することだろう。
したがって、「憲法第9条が存在していたから 日本は戦争に巻き込まれなかった」という
因果関係は証明できない
側面もあるし、経済的に劇的な発展を遂げて、膨張主義のもとで
軍備拡張を続ける中華人民共和国(中共)の尖閣・沖縄への侵略に対しても、日本は手を
こまねいたままで傍観するつもりなのだろうか。

 
検閲禁止と通信の秘密
日本国憲法は、検閲を禁止し、通信の秘密を保護している。これは、個人のプライバシー
を尊重する規定である。
だが、LINEなどの「SNS」を通じて個人情報や通信内容が、特定国に情報が漏れて
いたり、ハッカーによって重大な情報が盗まれているのに、日本は何の対抗策もない。

 
憲法改正の議論
憲法96条は、憲法改正についての規定である。日本国憲法は、改正が極めて難しい憲法と
されている。改正手続きは厳格であり、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議
して、国民投票による承認が必要である。
憲法改正については、安倍政権下での議論が活発化したが、実現には至らなかった。
憲法改正については、「国会の憲法審査会の不作為」によって、議論が停滞したままである。
特に立憲民主党などの野党勢力の抵抗は酷いものである。
「憲法」は国の基盤を形成する重要な基本法であり、その内容は多くの人々に影響を与えて
いる。憲法議論は、日本の国のあり方や価値観を考える上で重要なテーマである。
「憲法改正についての議論」は、今後も続けなければならないし、国内外の状況に合わせて
適切に見直されるべきものと小生は考える。