知っておきたい50年の経済史(1) | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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小生が愛読する日経新聞3月20日付けの朝刊の「プラス1」に掲載された「知っておき
たい50年の経済史」は、なかなか面白かったので、一部加筆の上で引用して紹介する。
 
経済活動は、我々の足元の生活や将来の見通しに大きな影響を与える。新年度にあたって
新社会人として歩み出したり、新天地で活躍を期したりする人に向け、複雑な経済社会を
生き抜くために知っておきたいこの50年余の経済紙史を、年代順にまとめた。
今回は、1970~80年代の経済史を取り上げる。
小生が20代~30代の頃の経済上での大きな出来事である。
 
【1971年】ニクソンショック~金・米ドルの交換停止
第2次大戦後は、米国を中心に米ドルと金(きん)と交換可能な基軸通貨とする「ブレト
ンウッズ体制」が取られた。同体制下では「1$=360円の固定相場性」が敷かれた。
欧州や日本の経済力が強くなる一方、米国は国際収支が次第に悪化した。金準備が減少、
基軸通貨としてのドルの信認が揺らぎ始めた。
1971年に当時のニクソン大統領が米ドルと金の交換停止を発表して、ブレトンウッズ
体制は崩壊した。
訪中宣言と共に「ニクソン・ショック」と呼ばれたこの政策は、日本と世界の通貨の在り
方を大きく転換させた歴史的なイベントとなった。
もはや維持不可能であった「金と米ドルを紐付ける」ことで、米国の優位性を存続させる
ことに寄与した。
物の価値のモノ差しとなる通貨の量を 国家がコントロール出来るようになった。さらに、
金融機関の業務が多様化し、衰退しかけていたロンドンの金融街「シティ」が世界的金融
センターとして復権したとの見方もある。
しかし、国際経済の混乱は止まらなかった。1$=308円の「スミソニアン体制」への
移行を経て、日本などの主要国は1973年に「変動相場制」となった。
以後は、経済や企業業績に対する為替市場の変動の影響が大きくなる。
 
【1973年】第4次中東戦争~第1次オイルショックを招く
イスラエルに占領された領土を奪還する為に、エジプトとシリアがイスラエルを奇襲攻撃
して戦争が勃発。
サウジアラビアやクウェートなど石油輸出国機構(OPEC)加盟国は、原油価格を1バ
レル=3$から1バレル=5.1$へと70%も引き上げて、さらにその後3か月で価格は
4倍(1バレル=11.6$)に高騰。「第1次石油危機(オイルショック)」と呼ばれる。
原油の大半を輸入に頼る日本への影響は大きく、「狂乱物価」といわれる 大幅な物価上昇
が起きた。トイレットペーパーがスーパーマーケットから消えたのも象徴的な事件だった。
一方で、エネルギー価格の世界的な高騰は、企業に省エネルギー技術の開発をもたらして、
世界各国のエネルギー消費と経済発展のパターンに、大きなインパクトを与えた。
 
【1981年】対米自動車輸出の自主規制
1981年、米国が日本からの自動車輸入制限をする目的で 日本の輸出自主規制が行われ、
年間の対米輸出台数の上限が168万台に設定された。この割当制限は、設定から3年後の
1984年4月に撤廃するつもりで導入された。だが、米国の日本に対する貿易赤字拡大と
米国内の製造業関係者からの強い圧力によって、割当制限は1年間延長された。この上限は
185万台に緩和され、さらに1985年には230万台に緩和された。そして、1994
年に撤廃された。
日本の自動車産業は、生産事業所を米国に移転することで対応した。移転先は主に、北部の
ラストベルトではなく、「労働権確立法(英語版)」が存在する南部だった。ラストベルト
に移植組立工場を持つ「マツダ」や「三菱」は、米国の自動車メーカーと合弁企業を作らな
ければならなかった。輸出自主規制により、日本の自動車会社は 限られた台数しか輸出でき
なくなったため、一台あたりの利潤を増加させるために品質改善を行った。
その結果、「ホンダ,トヨタ,日産」などの大規模企業は輸出自主規制によって利潤を増大
させたと言われている。そして、「アキュラ,レクサス,インフィニティ」などの高級車部
門を設置することにつながった。
 
【1989年】日経平均株価;3万8915円~2024年に最高値更新し4万円超えに
1985年のプラザ合意を受けて、円相場は対米ドルで大幅に上昇した。円高不況への懸念
が始まり、日銀は低金利政策を導入した。
金融緩和によって、バブルが発生して、それを是正しようとした金利引き上げで、バブルが
はじけた。
日経平均株価は2024年に入ってから最高値を更新、終値で4万円を上回る場面があった。
1989年に世界の時価総額ランキングでは、邦銀が上位に多く入っていたにとは対照的に、
ランキングの上位は、米国のIT(情報技術)企業や半導体企業などが占める。
バブル絶頂期の栄光は、数十年を経て全く異なる様相に転じた。現在の時価総額上位企業も
数十年後に一変する可能性を示唆している。
 
【1989年】ベルリンの壁が崩壊~マルタ会談を経て、冷戦終結へ
第2次大戦で敗戦国になったドイツは、米国など民主主義体制の国が影響力を持つ西ドイツと、
旧ソ連など社会主義国衙影響を及ぼす東ドイツに分かれて管理されてきた。その象徴が、ベル
リンに建設された壁であった。
旧東ドイツなど社会主義国が、民主化へと向かう勢いを得て、壁が崩され、当時の米大統領と
ソ連共産党書記長がマルタで会談して、東西冷戦の終結を宣言した。
ロシア革命に始まった社会主義計画経済の試みの失敗が、最終的に確定した。経済史的にも政
治史的にも大きな意味を持つ出来事であった。旧ソ連の崩壊につながり、世界政治のパワー・
バランスが大きく変わった。
政治的な対立によって遮断されていた東側諸国が、西側の市場経済に組み込まれることになり、
日本企業にとっても輸出市場の拡大もつながった。