弾劾裁判所による裁判官の罷免判決に… | 尾張エクセルの「日々精進ブログ」

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「交流サイト(SNS)で殺人事件の遺族を傷つける投稿をした」などとして訴追
された仙台高裁の岡口基一判事に対して、裁判官弾劾裁判所(裁判長;船田元衆院
議員)は4月3日、罷免とする判決を言い渡した。
訴追された 岡口基一判事は、平成27年に東京都内で発生した女子高生殺人事件に
ついて、「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男」、
「そんな男に、無残にも殺されてしまった17歳の女性」などとSNSに投稿した。
この裁判は、「裁判官の表現の自由」という観点からも注目された。裁判は当事者
の人生を大きく左右し社会の規範を変える効力を持つ。この重い職責を担う裁判官
に信頼を置くことができなければ、裁判は成立しない。
弾劾裁判所は、岡口氏の複数の投稿は「『憲法の番人』の役割からかけ離れ、国民
の信託に背いた」とし、罷免の要件である「裁判官としての威信を著しく失うべき
非行」にあたると認定した。
遺族感情を傷つける不適切な投稿を繰り返した裁判官に、いったい誰がが紛争解決
を委ねたいと思うだろうか。国民の常識や良識にかなう判断であると思う。
判決では「裁判官にも憲法が保障する言論の自由はある」としたが、岡口氏が遺族
から抗議を受けた後も「遺族は 俺を非難するよう東京高裁に洗脳された」と投稿を
続けたことを重視し、「表現の自由として裁判官に許容される限度を逸脱した」と
断じた。
「司法権の独立」を守るために、裁判官の身分は 憲法にて手厚く保障されている。
しかし、岡口氏が不罷免となれば、裁判官が事件関係者らを傷つけ、侮辱的な発言
を繰り返しても、その地位が守られることになる。国民の納得は到底得られまい。
小生は「弾劾裁判所」については全く知識がなかったので調べてみた。
「裁判官弾劾裁判所」とは、「裁判官の非行や職務上の違反」に対して、国会議員
が裁判する機関である。この機関は、14人の裁判員で構成されており、裁判員は
衆議院と参議院からそれぞれ7人の国会議員が選任される。裁判長は、裁判員同士
が互選する。裁判官弾劾裁判所は国会によって設置されているが、独立して職務を
遂行している。…とのことである。いや~、知らなかった。

 
弾劾裁判所による裁判官の罷免は8人目で、これまではいずれも「刑事罰や重大な
職務違反」に問われたケースだった。表現行為が理由となるのは初めてで、社会的
反響が大きいSNSの投稿には重い責任を伴うことを示した形であろう。
判決は、岡口氏が殺人事件に関する投稿を繰り返したことについて、「表現の自由
として裁判官に許容される限度を逸脱した」と指摘した。判決への不服申し立ては
できず、岡口氏は法曹資格を失った。しかし、判決から5年経過すると弾劾裁判所
に資格回復を請求できるという。
 
小生が愛読する日経新聞4月4日付けの朝刊コラム;【春秋】から一部加筆の上で
引用して紹介する。
戦後間もない1947(昭和22)年の秋。33歳の 山口良忠裁判官が栄養失調で
亡くなった。食糧難の時代。人々は家財や着物を売り、違法な「闇米」で 食いつな
いだ。誰もが生きるのに精いっぱいだった。だが、山口判事は「経済事犯を裁く身
でどうしてヤミ買いできよう」と正義に殉じた。
新聞各紙は孤高の法律家の生きざまを論評した。「悪法も法」と 毒を仰いだソクラ
テスを引き合いに、高潔な人柄を称賛する社説も。「死んで 花実が咲くものか」と
嘆くコラム。評伝;「われ判事の職にあり」(文芸春秋)が当時の論調を伝える。
本書の奥付に「発行者 半藤一利」とある。歴史探偵の興味をかき立てたのか。

 
国民の司法への信頼を担保するのは 私生活も含めた判事の人格の清廉さか。個々の
訴訟での法解釈の妥当性だろうか。
4月3日に 「SNSへの不適切な投稿で関係者を傷つけた」などとして訴追された
岡口基一判事に対する判決が、国会の裁判官弾劾裁判所であった。「裁判官の表現
の自由」などが論点になったが、罷免を決めた。
戦後初の弾劾裁判 判決は1948(昭和23)年11月。私的旅行で無断欠勤した
判事が訴追された。
結論は「罷免せず」。判決理由を平易に要約すると…。確かに品位を欠く行状だが、
裁判官は象牙の塔に隠れていてはダメ。社会の実相に触れ、生きた裁判を目指そう。
一般人と異なる特段の行動制約は不要だ。遠い昔に存在した理想である。