年を重ねて最もつまらないのは「感動や感激というものと疎遠になる」ことではなかろうか。 そのくせ、小さなことに幸せを見つけるようになるのは、せめての代償であろうか。 |
サッカーのワールドカップが、日本列島をフィーバーさせている情景を連日にわたりみて、 小生がそう思ったのは、「あんな喜びかたを今の自分に求めることはできないなぁ」という いささか厳粛な事実からである。 |
これは、まさに物理的に証明できることではないのか。すなわち、「感情というセンサーが 鈍くなってきた」ということである。 |
しかし、鈍くなるにも理由があるはずである。…というのは、「人生が長くなればなるほど、 喜怒哀楽との付き合いも増え、それらに対していちいち敏感に反応していたら、生理の方 が追い付けなくなっていくだろうからである。 |
具体的な例を挙げれば、「結婚式というハレの場は少なくなった」のに対して、「葬式という ケの場は、やたらに増えた」と感じるのである。 |
「人の死」という悲しみとたびたびまみえてみれば、そこには「無常感」というものが備わっ ていき、何か喜びがあってもそれをもはや高揚して受け止めることが出来なくなるのは、 「年の功」というか「加齢の必然」なのであろう。
梅雨明けした真夏の日差しが射す午後のひと時に、こんな思いを感じた小生である。 |