神社が人に好かれる理由 | やすよ・セラピールームPearl(パール)/レイキ・宇宙・ハイヤーセルフについての情報発信

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福岡のレイキスクール・セラピールームパール/セラピストやすよのブログです。
以前は神社で巫女をしていました。
レイキティーチャーとしての経験や、宇宙人に出会った体験などをもとにブログを書いています。
スクールではレイキの伝授やセッションなどを行っています。

こんにちは、レイキセラピストやすよです^^

スピリチュアルなことなどをしていると、「神社が好きです」という人によく出くわします(笑)
私も好きですし、特別スピリチュアルなことをしていなくても神社が好きという人は多いのではないでしょうか。

そして、同じくらいの確率で「宗教は苦手…」という人にも出会います(笑)
神社はいいけど宗教はちょっと…といった人はけっこう多いです。
神社も宗教法人ですので分類としては“宗教”ではあるのですが(笑)

神社(神道)が人に受け入れられやすい理由としてはあまり排他性がないことと、他の宗教に比べて人畜無害(笑)なことなどが挙げられると思います。あとは日本人のDNAでしょうか^^

では、ここからは「なぜ宗教が敬遠されるのか」について少し考えてみたいと思います。

通常、宗教というのは教義や戒律などがあったりします。
つまり、宗教に属するということは精神的な束縛を受けることであり、ある一定のルールの中で生きることを受け入れることのように見えるのだと思います。
スピリチュアルをする人たちからすると、特定の宗教に属するということは探求の幅が制限されることを意味するのかもしれません。

また、スピリチュアルを好む人たちの間で宗教が敬遠される大きな理由の一つに、宗教が「自分の外側に神を求める行為だ」と認識されていることもあります。
通常、スピリチュアルなど精神世界に関心のある人は自分の内側に神を求めていく傾向があります。
潜在意識やガイドやハイアーセルフなどといった自分の奥底にある神性、またそれらを通してつながることのできる高次の世界などに重点が置かれています。

そのような人たちから見ると、自分の外側に神を求める行為は安易で愚かな行為に見えるのかもしれません。
また、組織化され明確な「形」を持ってくると(最初は高いレベルでの共感であったとしても)どうしても人の意識は物理次元に引き下げられやすくなり、“依存”などの低次の意識が発生しやすくなります。
そのあたりも自己探求をしている人たちから見ると生産性のないことのように見えるのだと思います。

しかし、これはあくまで個人個人の問題であって、スピリチュアルをする人で外に神を求める人もいれば、宗教に属する人で真面目に精神修行をしている人もいるのが現状です。

そもそも多くの宗教では教祖自身が手離しで「自分や神を崇めよ」とは言っていないと思います。
たいていの(ちゃんとした)宗教の始祖は個々人それぞれのあり方、人としてのあり方に焦点をあてて教えを説いているはずです。そしてその中で(便宜的に)「神」という概念があったのだと思います。
それが後の世の認識力が不足した人たちの間で継承されていく中で、本質がよくわからないものに変遷していったのだと思います。
しかし、その中にも先人の知恵としての真理はあると思いますし、それを掴みだす叡智が本来人間には備わっていると思います。

何が言いたいのかというと、宗教にしろスピリチュアルにしろ「自分なりの真理を捉えようとする姿勢」が重要ではないかと思います。
これはよくてあれはダメというのは個人の価値観としては良いのですが、人に強要すべきではないと思います。必要なものは人それぞれ違います。
また、さまざまな選択肢の中から自分なりの真理を選ぶことができるのもこの地球の良いところではないかと思います。

タイトルからは少しずれましたが(笑)神社はそういう意味ではちょうど宗教とスピリチュアルの間に位置するので、多くの人からの共感を得ているのだと思います(^∇^)