日時:2026年1月6日(火) 18:00~19:30
アドバイザー:中谷常二先生
参加者 社会人 10名 

課題図書 「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー) 
○=中谷先生によるファシリテーション  ・= 参加者発言

〇 原題は「フランケンシュタインor現代のプロメテウス」。火を使うこと、泥と水から人間を作ったことから科学技術の是非を問う意味がある。改めて非常に現代的なテーマを含んでいると思う。

⇒「人間はどこまで神の領域に踏み込んでよいのか?」 ヴィクターは「生命の秘密」を解明し、創造者となるが、結果に責任を取らず怪物を放置。 現代でもAI、遺伝子操作、クローン技術など、創造者の倫理が問われる場面あり。 

〇 怪物を作る部分がサラッとしか描かれていないが、作ったものを放置したことの問題について。現代ではクローンの問題に通じる。

  •   倫理的なところ、ペットやマンモスのクローンと人間で違うのか。
  • ヒトのクローンを作ることの禁止は日本では法律で禁止されている(平成12年)。交雑個体発生や人の尊厳を傷つける可能性から。
  • クローンで臓器を作って移植するのであれば是認されるのでは?
  • 科学技術者の中では規制したり禁止するより科学技術を発展させて課題を克服することの方を是とする議論が多い。

〇 心身2原論と言われるが、体のパーツが記憶を残存させることがあるのだろうか。

  • プラナリアは体が切れても再生する。脳を切って再生させると脳のなかった方の個体にも記憶の残存があるという研究もある。

〇 人間の記憶は経験に基づくので同じDNAを持った個体であっても一卵性双生児と同じで同じ人間が二人できるわけではないはず。
ヒトラーのクローンを作る映画もある。

 ⇒ 怪物は「愛されたい」という純粋な欲求を持ちながら、外見ゆえに拒絶され続ける。外見と本質の乖離、社会的ラベリング・レッテル貼りの問題を示唆。また、孤独が悪を生むという構図は、人間社会の排除や差別問題、SNS時代の承認欲求、孤立による犯罪や過激化などの問題とも通じる。
 

〇 インターネットやSNSで覗いているだけのひきこもりの人が社会に出て受け入れられずに排斥されるといった状況を想像した。

  • 日本でも怪物や幽霊はあるがが、それらには元になった人格が恨みを持っていたりというストーリー。本書では怪物は元の人格はなく、白紙の状態から様々な経験をしていく。もともと悪意もないのに迫害されるのが切ないと読んだ。

〇 見た目の醜さが不幸な結果につながった。科学者はスペック重視になることが多く、ヴィクターも美醜よりスペック重視でその個体が意識を持つことへの意識が十分でなかったのでは?
「猿の手」 という小説がある。願いは叶うが総合的に見て破綻をきたすストーリー。そもそも人は死体に対して恐れをいだいているのかもしれない。

  • 秋葉原の無差別殺傷事件で、社会的貧困に根差した犯人について様々な議論があったが、その後議論が続かない。

〇 人とのつながりが持てないことへの絶望?ヴィクターに対する恨みは何か?

  • 自分に対する創造者としての責任、人とのつながりが得られないのであれば伴侶を作ってくれという要求か?
  • 不幸な生い立ちは情状酌量の理由にはなるが殺人の罪を減ずるところまではいかないだろう。


「ヴィクターの心理の変遷」

  • 成功した瞬間にヴィクターが達成感より恐怖心を抱いたとい点。素材が死体で、それらを道具のように使って組み立てたら動いたということへの恐怖心だったのかも。

〇 作ったものをどうするか、と考えていなかった。科学者は作るところまでは真剣にやるが、その後のことを考えない傾向があるのでは

  • 原爆もそうだが開発の段階ではどう使うかを考えていなかったのでは。
  • 伴侶を作っていたらどうなっていただろう。
  • この小説を読んで一番怖いと思ったのは、伴侶を作って対になれば幸福になってどこかへ行くと言っていたが、もっと危険になる可能性もあった。
  • 禁止や規制して科学技術の進歩を停められた例は歴史上ない。結局科学技術の進歩を続けることによって起こってくる課題を解決していくしかないのでは。

〇 社会構成主義(社会構築主義ともいう)という考え方がある。日本の拳銃やクローンの禁止のように社会には不都合な技術を停める力があるという考え方。自分としてはこの考え方に与する。
※    社会構築主義の要点は、以下の3点に集約されます。(Wikiの解説をGoogleのAIで要約)
①現実の構築プロセス
現実は固定的なものではなく、人々の日常的な相互作用や解釈を通じて絶え間なく創造・再生産される動的なプロセスである。
②常識の制度化
人々の間で共有された認識が行動を通じて強化されると、それは「常識」や「社会制度」として客観的な現実のように定着していく。
③社会的な人工物としての認識
一見すると自然で明白に思える概念も、実際には特定の文化や社会の中で人工的に造り上げられた「社会的構築物」にすぎない。

  •  醜いものを見て恐怖を覚えるのは人間としてやむを得ないことなので難しい。
  •  美醜の感覚は人によって違うだろうが、それも作られるものか。人種差別などもその一つかもしれない。
  • クローンですぐ再生できることになれば、生命を軽んずることにつながる危険があるように思う。

〇 治療は良いのに死んだものを生き返らせるのは何故ダメなのか。

  • これまでの寿命の伸びを考えるとあと100年もすれば人が死ななくなるかもしれない。
  • 労働力は必要なので少子化の世界ではクローンが許される世界になるかもしれない。
  • スター・ウォーズのクローントルーパーもその一事例。
  • 小説としては平板、冗長だと思うが、現代の様々な問題の基底になっている問題をテーマとし、その後の小説や現実に与えた影響が大きかったのだろうと思う。
  • 200年前に19歳の女の子がこのストーリーを考えたことが驚異。
  • 最近フランケンシュタインは善良なキャラクターで再登場しているケースが多いように思う。元々の悪役とは少し違うのかも。
  • 近い将来、ロボットが意思を持つようになるかもしれない。また、ロボットがロボットを再生産し、増殖するとか、人間に歯向かってくるというようなことも想像した。

(文責 北村)

 

 

 

 

 

今回はどの訳を読んでも良いことにしました。

 

中田さんによるレジメ


*芹澤恵訳(新潮文庫)を読みました。 *レジメ作成に際しては生成AIを大いに活用しました。
 

「フランケンシュタイン」はメアリー・シェリーによる1818年のゴシック小説(18世紀後半から19世紀にかけてイギリスで流行した恐怖小説・幻想小説)で、近代SFの始祖とも言われています。
 

【時代背景】

「フランケンシュタイン」が書かれたのは 1818年、産業革命の真っただ中です。この時代には以下の特徴があります
1.科学技術の急速な進歩 電気や化学の研究が進み、「生命の秘密」への関心が高まっていました。ガルバーニの「動物電気」実験(カエルの脚が電気で動く)などが話題になり、「死体を蘇らせる」ことが科学的に可能かもしれないという想像が広がっていました。
 

2.啓蒙思想とロマン主義の対立 理性と科学を重視する啓蒙思想に対し、感情や自然を尊重するロマン主義が台頭。『フランケンシュタイン』はこの緊張関係を反映し、科学の暴走と人間性の喪失をテーマにしています。
 

3.社会不安と倫理問題 産業革命による急速な都市化・機械化で、人間の役割や倫理観が揺らぎました。小説は「人間が神の領域に踏み込むことの危険性」を警告する寓話として読まれました。


【テーマ】

・科学の暴走と倫理 ・孤独と人間性 ・創造者と被創造物の責任 

 

【物語のあらすじ】 

1.枠物語:ウォルトンの手紙 ・物語は、北極探検を目指す探検家ロバート・ウォルトンが、姉のマーガレットにあてた手紙という形で始まります。 ・北極海で航行不能になった船は、氷原をさまよう衰弱した男を救助します。その男こそが、科学者ヴィクター・フランケンシュタインでした。 ・ヴィクターはウォルトンに、自らの過去と悲劇を語り始めます。
 

2. ヴィクターの生い立ちと「創造」 ・ヴィクターはジュネーヴの裕福な家庭に生まれ、幼少期から自然哲学や錬金術に強い関心を抱きます。 ・進学のためインゴルシュタットの大学に進んだ彼は、生命の原理を解き明かす研究に没頭し、ついに納骨堂や解剖室、食肉処理場から得た死体の部位をつなぎ合わせ、人工の生命を創造することに成功します。 ・しかし、完成した瞬間、彼はその存在の醜さと異様さに恐怖し、創造物を見捨てて逃げ出してしまいます。
 

⇒「人間はどこまで神の領域に踏み込んでよいのか?」 ヴィクターは「生命の秘密」を解明し、創造者となるが、結果に責任を取らず怪物を放置。 現代でもAI、遺伝子操作、クローン技術など、創造者の倫理が問われる場面あり。
 

3. 怪物の孤独と学習

 ・放置された「怪物」は、自らの存在理由も言葉も知らないまま世界に放り出されます。 ・人間と接触しようとするたび、外見だけで拒絶・暴力を受け、深い孤独と苦悩を味わいます。 ・森の小屋に隠れ住みながら、ある貧しい農民一家(ド・ラセー家)を観察し、言語、読み書き、人間の感情と道徳を独学で学びます。 ・しかし、勇気を出して彼らに近づいた結果も、恐怖と拒絶でした。
 

⇒ 怪物は「愛されたい」という純粋な欲求を持ちながら、外見ゆえに拒絶され続ける。外見と本質の乖離、社会的ラベリング・レッテル貼りの問題を示唆。また、孤独が悪を生むという構図は、人間社会の排除や差別問題、SNS時代の承認欲求、孤立による犯罪や過激化などの問題とも通じる。
 

4. 復讐の始まり

 ・絶望した怪物は、自分をこの世界に生み出しながら責任を放棄したヴィクターへの憎しみを募らせます。 ・ジュネーヴに戻った怪物は、ヴィクターの幼い弟ウィリアムを殺害し、その罪を無実の使用人ジャスティーヌになすりつけます。 ・ジャスティーヌは冤罪のまま処刑され、ヴィクターは罪悪感に押し潰されます。
 

5. 怪物の要求 

・アルプスで再会した怪物は、これまでの苦しみを語り、ヴィクターにこう要求します。 ・「自分と同じ存在の伴侶を創ってほしい」 ・伴侶さえいれば人間社会から姿を消し、二度と人類に害をなさないと誓います。 ・葛藤の末、ヴィクターはこの要求を受け入れます。
 

6. 約束の破棄とさらなる悲劇

 ・しかし、創造の途中でヴィクターは、怪物が増えるかもしれない恐怖、人類への脅威を想像し、創造中の伴侶を破壊してしまいます。
・激怒した怪物は、「お前の婚礼の晩に必ず会いに行く」と予告し、その後、ヴィクターの親友クラーヴァルを殺害、婚礼の夜にはヴィクターの最愛の妻エリザベスを殺害します。 ・さらに父親も悲嘆のうちに亡くなり、ヴィクターはすべてを失います。
 

7. 追跡と終焉

 ・復讐を誓ったヴィクターは、怪物を追って北極圏へ向かいますが、力尽きてウォルトンの船に救助されます。 ・物語を語り終えた後、ヴィクターは死亡します。 ・その後、船に現れた怪物は、自分の行為への深い後悔、愛を求めながら拒絶され続けた苦しみを語り、北極の彼方で自らを焼いて消滅すると告げて去っていきます。


【ヴィクター・フランケンシュタインの心理の変遷】 

① 少年期〜青年期:知的好奇心と理想主義 強い知的好奇心、人類に貢献したいという理想、自分は特別な存在だという無自覚な自負 (説明) 幼少期のヴィクターは、自然科学や錬金術に魅せられ、「生命の神秘」を解き明かしたいという純粋な探究心を持っています。この段階では、知識は「善」であり、科学は人類を幸福にするものだと信じています。
 

② 創造の過程:執念と孤立 異常な集中と執着、周囲との断絶、自分の行為を正当化する思考 (説明) 生命創造に没頭するにつれ、ヴィクターは家族や友人から孤立し、睡眠や健康も顧みなくなります。彼の心理は次第に理想のためなら犠牲は仕方ないという方向へ傾いていきます。
 

③ 創造直後:恐怖と拒絶 心理の特徴:強烈な嫌悪と恐怖、自己否定からの逃避、責任放棄 (説明) 創造が成功した瞬間、ヴィクターは達成感ではなく恐怖を抱きます。自分が生み出した存在を「醜い」と感じ、直視できず逃げ出します。
 

④ 悲劇の連鎖:罪悪感と自己憐憫 深い罪悪感、それでも行動できない無力感、被害者意識 (説明) 周囲に不幸が続く中で、ヴィクターは「すべては自分のせいだ」と感じながらも、真実を語る勇気を持てません。彼は苦しみながらも、どこかで「自分も被害者だ」と考えています。
 

⑤ 対話以後:葛藤と責任意識の芽生え 同情と恐怖の板挟み、道徳的葛藤、判断不能な状態 (説明) 「怪物」の苦しみを知り、ヴィクターは初めて「創造者としての責任」を意識します。しかし同時に、さらなる結果を恐れて決断できません。
 

⑥ 終盤:復讐心と自己破壊 強迫的な使命感、自己犠牲的だが視野の狭い正義感、生への執着の喪失 (説明) 最終的にヴィクターは「自分が生み出した存在を止める」という使命に囚われます。しかしそれは贖罪であると同時に、彼自身の人生を否定する行為でもあります。
 

【最後に】 

・怪物はヴィクターに追われながらもわざと痕跡を残し、食糧を与え、ヴィクターに死ぬまで追跡をさせました。 ・そしてヴィクターの死後、船に現れ、ウォルトンと交わした会話が彼の心理の変遷を総括しています。とても印象的なセリフでした。

以 上

生成AIによるフランケンシュタインが作った怪物の画像

日時;2025年11月12日(月) 18:00~19:30
アドバイザー:中谷常二先生
参加者 
リアル参加  7名 
Web参加  3名

課題図書 「相克の森」(熊谷達也 集英社文庫) 

 

 

 

○=中谷先生によるファシリテーション  ・= 参加者発言

・    OHNのように狩猟をビジネスにして設けようとする者は必ず出現。自分は公的な有害駆除組織でやっているが、私的な組織もあり、妨害を受けたこともある。
・    自分の経験。子供のころ、「科学と学習」の特集「エスキモーの世界」が狩猟を始めたルーツになっている。
・    日本鹿、エゾシカ、イノシシ、カモ、雉、山鳥など。裕胤動物に関しては猟期を延長されている。
・    ライフルの所持は非常に厳しい。周辺や会社への聞き込みもある。若手育成にも時間がかかる。ライフル銃を所持するには10年間安全に散弾銃を所持し、狩猟や射撃に使用し続けた実績が必要。

〇 具体的で通常のレジメでは書けないような感想も記載いただいた。感想含め自由に発言いただきたい。
・    「山は半分殺してちょうどいい」 都道府県ごとにツキノワグマ管理計画を作っている。兵庫県は野生動物研究センターが調査しており生息数等も把握して計画を作っている。
・    10数年前は熊の絶滅を危惧されていて管理計画を策定されたが、現在は明らかに数も増えていて有害駆除ができるようになっている。管理計画には狩猟と環境整備が記載されている。
絶滅と保護の二項対立ではなく考えられた計画となっている。
・    とはいえ、一般の猟期になった時点では調査狩猟で必要数取ったので今期は終了と言われる。
・    今年の関西は関東・東北と違い栗、柿が豊作なので人里に降りてこない。
・    平安時代からマタギはあり、熊に対しては信仰心のようなものがあったと聞く。動物を狩るということに対して動物に対する信仰心のようなものがわいてくるのだろうか。
・    肉も胆も大変貴重なものであり、熊自体山深くにいてなかなか会えないことから信仰心も生まれたのではないか。
・    熊がかわいそう、というのは神格化とは別の発想ではないか。奈良の鹿は神の使いとされているが、これらは管理された動物。野生の鹿は森を壊す害獣の側面であり、山を守るためには鹿を狩らないといけないと聞く。害を与えるものは狩ることも必要。


〇 絶滅までさせる必要があるか?熊が絶滅したら生態系が変わる?
・    熊を頂点とした食物連鎖が変化するので生態系に影響はある。
・    山歩きのため、熊に関するドキュメンタリー等をよく読むが、熊鈴等で人の存在を知らしめるだけでは効果がないように熊の生態もアップデートしているのではないか。
・    最近は熊鈴やラジオの音で人がいることを知って、逆に寄ってくるという話も聞く。
・    尾瀬では熊の捕食と排泄で生態系を作っているので熊の駆除はしない。逆に鹿はその生態系を荒らすので駆除すると聞く。
・    熊のイメージはクマモンやぬいぐるみで「可愛い」と思っている人が多いので駆除への反対が多いのではないか。
 

〇 OHNのような奥山放獣はだめなのか
・    人間が入るところまでしか連れていけないため、すぐに帰ってきてしまう。
・    勝山でも以前は奥山に帰していたが、追いつかないため駆除に方針転換したようだ。
・    北海道出身。アイヌ民族博物館で捕った熊が飼育されていたりなど、飼育されている姿は身近だったが、最近はそれですまなくなっているのかもしれない。
・    保護した結果数が増えすぎるのは逆に生態系を乱す。
・    九州では絶滅した。当時は熊の肝が高値で売れたので乱獲された。
・    熊駆除に自衛隊が後方支援しているが、捕った熊を活用しないのはもったいないと思う。
・    活用するルール造りが必要なのではないか。
・    里山に出てくる熊は縄張りから追い出された熊だとすれば、駆除の対象にしても良いのではないかと思う。また、農地や人に被害を与える熊も駆除はやむを得ないと思う。
 

〇 熊がどんどん出てくるので駆除しても良いという意見が多いが、人口減少社会の中で熊に与える地域を作るという政策もありうるのでは?
・    里山管理に関心がある。きちんと管理してボーダーラインを作らないと野生動物が人里に降りることになる。
・    秋田駅などは駅前まで熊が出没している。
・    熊は山の宗教によく出てくる。石鎚山や熊野三山など。弓から逃げた熊の跡に月の輪が現れたのが熊野三山の起こり。立山には熊も出るし、ブロッケン現象で自分の影が見えることもある。これらが信心の源になった。しかし、富山では神というより熊の胆として活用。
 

〇 以前は熊の大きさや力が信仰を形作ったのかもしれない。
・    家の近くがすぐ森、のような場所では熊が出るのは仕方ない。
・    米国ではトロフィーハンティングでアフリカでゾウやライオンを撃つツアーが販売されている。有害だから撃つのはやむを得ないとしても、楽しみのために撃つのはどうなのか。
・    ハンターは規則を遵守し、生態系に持続的な形でハンティングし、費用は地域政府が野生動物の保護や地域生活向上に使われる。
・    釣りとどう違うのか?
・    ゲーム的に撃つのではなく、熊と対峙して倒すということは人間の根源的な心はあっても良いのではないか。
 

〇 現代社会ではもうそういうメンタリティは不要なのではないかということではないか
・    宗教上は殺生をしないという教えなのでは?
・    仏教は殺生しないが、神道は食べるためなら生命をいただくのは許される
 

〇 人間を襲った熊を駆除するのはともかく、予防的に撃つのはどうなのか。
・    行政のハンターは人間に危害を加える可能性が高いという状況でなければ撃てない。
 

〇 数が増えて駆除するというのが行き過ぎて絶滅ということにならないか。カナリア主義というが、動物が先に絶滅するということが人間の絶滅に警鐘を鳴らすということもあるのでは。
・    ニホンオオカミが絶滅したが、それが鹿の増加をもたらし、木の実を食べるので熊が困っているという話も聞く。伊豆大島のキョンも増えすぎて、特定外来種なので根絶させる方向になっている。
 

〇 熊のような大型動物をたくさん殺さなければならなくなっている事態になっていることが良いのかどうか、とも思う。
・    熊自体を守るというより、熊に投影される日本の自然を守るということで活動している人もいる。
・    イルカもそうだが大型動物を殺すことに対する抵抗感はあるのかもしれない。
・    熊は「相克」の対象なのか、共生の対象なのか。この本はタイトルに惹かれたところがある。自然にたいする恐怖と好奇心、愛と憎悪など。
・    熊肉は美味しい?
・    現実的に駆除の方向性を是として考えていた。今までの出現数であればマタギさんにお願いしていたが、それでは弱く、現実的にもっと整備していかなければならないのではと思った。
・    なぜ日本中で熊の出没が増えているのか。一匹目の猿現象という説が今は否定されているようだが、全国的に熊の出没が増加しているのは何故?
・    本当に出没が増えているだけではなく、報告や報道が増えている影響もあるのかもしれない。
 

〇 今般は熊がかわいそう論があまり取りざたされていないのも不思議
・    かわいそうと言っていられないくらい被害が増えているということではないか。

・    勉強会後、メールでのご意見
政策としての熊対策は、まあこういう方向で進んでいくのでしょうね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/32e5a40b2cea85103c9f32e7a83a2363bf80eafb

危険なので駆除する、という議論は分かりやすいと思います。

他方で、勉強会当日にはうまく問題提起できなかったのですが、
中谷先生からご指摘があった、大型動物を殺すことの是非、という点について、
勉強会や懇親会でもう少し議論を深めてみたかったなと感じました。

仮に、人間への危険は少なく、絶滅のおそれも、大量発生による不都合もない場合、
トロフィーハンティング(又はそれを目的とした観光ビジネス)は倫理的に許されるのか。
イルカやクジラのように、食べる目的がある場合はどうか。
皮革製品等への利用目的がある場合はどうか。
倫理的に問題ありとされる大型動物と、倫理的に問題なしとされる小型・中型動物の差は何か
(知能の差?知能の低い大型動物なら許される?)。
倫理的に許されない、という理屈と、かわいそうだからやめよう、という理屈は、
違うものなのか、又は全部もしくは部分一致するのか。

ちなみに、和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に描いた映画『ザ・コーヴ』に対し、
和歌山県が以下のページで反論しています。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/index.html

私としては、かわいそうという感覚は分かるものの、食肉は日々食していますので、
理屈としての問題意識がいまいち整理、理解できていません。
世間の論争も、いまいちかみ合っていないような気がしています。
https://www.sankei.com/article/20170723-SC5577SDWBONRHTCLC3GVOH3CA/

結局この手の話は政策論になりがちなのですが、機会があれば、
大型動物を殺すことの是非についての倫理的問題について議論してみたいなと考えました。

(文責 北村)