課題図書:民間企業からの震災復興(ちくま新書・木村昌人著)

 

 

石貝さんによるレジュメ

 

課題図書

「民間企業からの震災復興-関東大震災を経済視点で読み直す」木村昌人著

 

プロローグ 100年前と100年後

第1章 変貌する「帝都」

第2章 生糸輸出をめぐる横浜と神戸の攻防

第3章 東洋一の経済圏を目指して

第4章 地方経済界の驚くべき対応

第5章 進出するアメリカ

エピローグ 経済地図はどう変わったか

 

プロローグ 100年前と100年後

P7 復興か改造か 20世紀日本の出発

 これまでの研究で抜け落ちているのは、経済活動の担い手である実業家・企業・財界の視点と活動である。つまり、彼らが大震災に対してどのような復興構想を持ち、その実現のために政府や地方自治体と交渉したか。彼らの構想はどこまで実現したのか。それは近代化を目指した日本社会や日本を取り巻く国際社会にどのような影響を与えたかという視点。

(1)民間企業家と財界の対応

(2)東京以外の国内地域から見た関東大震災

(3)海外の反応

 

第1章 変貌する「帝都」

P16 地震発生と錯綜する情報

 震源地は神奈川県西部、震度はマグニチュード7.9。3分後に東京湾北部を震源とするM7.2、その2分後にM7.3 の山梨県南部を震源とする余震が次々と発生。

 地震発生のニュースは日本国内ばかりでなく海外にもすぐ伝わった。

 陸軍は航空機を東京上空に飛ばし、市街状況を確認したが、詳しい情報は明らかにされず都内では新聞本社の社屋も焼け落ち、正確な情報を把握できなかった。

 むしろ日本を離れていた方が正確な情報をつかむことができた。

P20 「知らしむべからずよらしむべし」 現在に至るまでの日本の情報空間の問題点

P25 幻の遷都論

明治初年から60年近く経過しても首都東京はまだ定着していたとはいえなかった。

 京都に戻すという案、

 陸軍中枢部、第一候補ソウルの南の竜山、第2候補兵庫県加古川、八王子付近

P29 東京商業会議所の対応

P35 渋沢栄一の対応

P42 火災保険の支払い

P47 人口動向と復興需要の高まり

 多くの商人は震災特需により通常より高い値段で売りさばきかなりの利益を上げた。

 被災民救済という立場から値を吊り上げずに、品質管理を怠らず定価を守り続けた企業もあった。

 たとえば、事務用品販売大手のコクヨである。

 関西商人の東京進出と相まって、在京企業が関西に移ってしまうのではないかと政治家や財界人が危惧する新聞記事がみられる。

P57 企業活動への影響

 鉄道や市電が崩壊、復旧に時間→自動車

P63 「徳川時代の軍都」から「国際商業都市」へ

P67 精神の復興―徳のある社会を目指して

P71 外務省の報告書「…然れどもわが商工業の中心はむしろ阪神に存在しかつ実際の損害のほとんどは東京、横浜の地方的商工業に関するものなので、日本の生産経済の立場をあまり悲観するには当たらない」

 

第2章 生糸輸出をめぐる横浜と神戸の攻防

P74 生糸貿易と横浜

P78 想像を絶する震災被害

P84 東京築港問題 P87 京浜運河の開削 P89 浅野総一郎と京浜運河開削

P92 日本の生糸産業史 P95 横浜の対応 p97神戸の対応 

p100横浜と神戸の駆け引き P105揺れ動く政府の立場 P111横浜復興対策

P113震災手形救済問題

p116神戸の状況 p119神戸の企業の支援活動 p124ユーハイムの神戸への移転

p126横浜から神戸への華僑の移動

p129震災が横浜と神戸に及ぼした影響

 

第3章 東洋一の経済圏を目指して 「大大阪」時代

P134商都大阪の歴史 P142大阪財界の対応

P148株式市場の反応

P150住友銀行の東京進出 P153安宅産業の対応

P157吉本興業の活躍 P159コクヨの東京進出 p160武田薬品の東京進出

p163生命保険業界の危機 p167被災者に対する火災保険の支払い

p172関西系生命保険会社の抵抗 p173事態の急展開と政府案による東西妥協の成立

p178震災手形問題 p180対中貿易の拡大を目指して

p184「大大阪」時代の到来と幻の「加古川遷都」

 

第4章 地方経済界の驚くべき対応 P190

P190 地方は関東大震災をどう見たか

第2次世界大戦の敗北と連合国の占領期を経て平和国家として再出発した経験を有する我々とは、震災発災当時の日本人は、国土に対する見方や考え方が異なっていたことを念頭に置かなければならない。

P191 なぜ商業会議所に注目するのか

 商業会議所と商法会議所

P196 東京・横浜以外の被災地の動向

 小田原市 交通網の整備へ

 郊外化の進展と私鉄の路線拡大

 八王子市 「日本のシルクロードを」を復興する

 千葉県 銀行再編の加速                                  醤油ものがたり

 栃木県宇都宮市 避難民の受け皿となる 埼玉県 東部以外ほとんど被害なし

 山梨県 産業成長中の被災                          静岡県 通信網強化の要請

 北海道 輸送交通の整備                              秋田県 復興資材の木材の供給源に

東海地方 港、師団の町として                  新潟、高岡、金沢 日本海側の要となる

 中国地方 大陸との要衝                                  地方への財政支援は帝都復興とは切り離せ

 中国地方 地元商業会議所の活躍                 福岡県 放送局誘致合戦の行方

 鹿児島県 迅速な情報収集とリーダーシップ

 朝鮮 財界の形成

 

第5章 進出するアメリカ P251

P252 世界を駆け巡る震災情報

 P259日本と緊密な経済取引(生糸、木材、自動車、石油、海運など)を行っていた米国、中国、英国の経済界から見れば、震災からの復興需要は大きく、日本市場への絶好の進出機会となった。

P260 大震災と日米関係

P265 1906年サンフランシスコ大地震 義援金について議論

 実業家に中には、営利事業を行っているものが義援金を出すのはおかしい、と反論する者がいた。

 渋沢栄一は、実業家の目的は公益を追求することにあり、こうした時に義援金を出すのは当然ではないかと持論を展開

P266 米国の素早い対応

P268 自動車産業、材木業で米国企業の進出

P268 復興資金の調達に対して、東京市債や横浜市債の発行に米国の銀行が井上準之助や高橋是清などの国際金融家を全面的に信頼して支援した。

P271 予期せぬ中国との関係改善の動き

 孫文系の新聞「民国日報」は、外交上の構想と天災の救済とは、別物であるから、救済活動が終了したら、再び外交問題を提起すべきであると主張した。・・・ここからわかるように、中国は政治を災害時の支援活動とは区別していた。

P273 中国経済界の支援活動

P276 国内華商への影響

P278 ソ連からの救援物資への対応  (ソ連には)日本の労働者との連帯意識の確立や社会主義思想の宣伝という戦略が背景にあった。

 「日本の労働者を救う」という文意→日本政府や陸軍は拒絶反応

→救援物資は一切受け取らず、レーニン号を追い返すという最悪の事態

P282 外国人から見た関東大震災

P285 日本の情報空間の問題点

P289 今日の情報活動への教訓

p291 日本の情報発信の問題点は「原則のない検閲blind censorship」で恣意的で意味のない秘密主義  誰がどのような基準で行っているのか分からない匿名の検閲

p293 ヒュー・バイアスの指摘する、より根の深い問題点

 「公の議論を回避する傾向」

 日本では自然科学や産業分野では、大胆なまでに新しいアイデアを取り入れるのに,新しい政治思想を取り入れることに対しては驚くほど臆病。

 日本に言論の自由がないのは法律や役人のためではなく、国民性によると断定

 

エピローグ 

P295 首都としての東京の定着 東京、横浜を中心とする首都圏の地位の定着

  第2の候補 兵庫県加古川地区

P298 限定的であった経済損失と新たな経済成長に向かって

  短期的には被災地を中心に経済的な大損害

  長期的には新しい需要、技術革新による経済成長

  企業活動の範囲の拡大、東西の人的交流が進む

P300 100年後の経済地図への示唆

 1 遷都を含めた日本の構造改革

 2 リーダーのみでなく各個人が内外に広く信頼のネットワークを形成すること

 3 経済界が公益の増大に対してより一層力を発揮してほしい