中谷ゼミ第85回勉強会メモ

日時;2024年3月29日(金) 18:00~19:30
場所:大阪市内(福島)
アドバイザー:中谷常二先生 ゲスト:木村昌人先生
参加者 12名(社会人のみ)
課題図書
「民間企業からの震災復興」 (木村昌人著・ちくま新書)

 

 

概要 (〇 は中谷先生のファシリテーション。★は木村先生コメント)

(Iさんより)、木村先生のご紹介と今回の趣旨について
木村昌人先生は現在渋沢財団研究部長をされているが、最初は三井銀行に入られ、それから学者の道に進まれて文化考証学ということで、近代の日米関係やそのあたりの時の中国、韓国、そして渋沢栄一をとおして、だと思うんですけど、関東大震災のときにどういうふうに活躍されたかといったところから学ぶ教訓などということで今回の本を著された。関西や地方が出てくるので、あの時どうあるべきだったのか、いろいろなご意見が出るのではないかと思い、面白いと思った。

・ 関東大震災に関する本は沢山出ているが、地方がどう見ていたか、また海外からどう見ていたか、という視点で書いたものがが出てくるかと思って待っていたところ、100周年になってもそのあたりが出てこないので自分で書いてみたものです。皆さんのご感想、ご意見をいただければ幸いです。

プロローグ・第1章 変貌する「帝都」
Iさんからレジュメ紹介(略)
〇 幻の遷都論は面白かった。何かありますか?
・ 私は横浜出身ですが、父は須磨、その父は和歌山なので関西にルーツがある。それでこういう本も書けたと思っている。

・ 住まいが加古川の近く。60年生きてきているが加古川遷都論は初めて聞いた。第一候補がソウルだったとか、遷都論に関わった人は陸軍だったようだが、ソウル・加古川・八王子という候補がどういうことで出てきたのか、面白い。
・ 遷都論を読んで、いち早く東京に置くということをはっきり宣言したリーダーシップが良かったのではないかと感じた。大きな変化が起こるときには何か前提がないと動きにくい。首都を動かさないことをいち早く宣言したことがプラスに作用したのではないかと思う。
・ 当時の関西の経済力、特に製造業に関しては東京を凌駕していた。その後も関西は二割経済といわれていたがその後の長期低落傾向について、ネットワークやテクノロジーにより分散が可能となり、実際にパソナの淡路島移転のような分散も起こっている中でどうすれば関西の復興が実現するのか考えてみたくなった。
★    遷都について3都市(加古川、ソウル、八王子)が選ばれた。あれを作った陸軍の今村仁というのは大変な人物。太平洋戦争中にインドネシア、ジャワ方面の司令官だった。いわゆる植民地統治で、戦後多くの幕僚がA級戦犯とされた中、地元民にとても慕われていたのでインドネシア側から助命嘆願が出て死刑にならなかった。その後表には出ず、裏方を務めた人。若いころから優秀だった。当時の陸軍としては、ソウルを選んだのは1910年日韓併合で韓国が日本の植民地となった。また陸軍としては満州方面に満鉄を敷いたり等あちらの方に出ていこうという考えがあった中で、一般の日本人がなかなか朝鮮に行ってくれなかった。当然のことながら朝鮮では反日感情も強かった。そういった背景で首都さえ移せば変わるだろうという考えがあった。八王子は加古川と同様、丘陵地帯に隣接していて防空上好都合だった。もちろん地盤が固いというのもある。とにかく東京は昔から富士山や浅間山の噴火もあり、地震で何度もやられている。後藤新平のリーダーシップもあり、地権者である東京の代議士らが早々に土地を押さえてしまったということもある。地震の2,3日後の大阪朝日新聞に首都を京都に戻すべきという社説が出たり、北海道の札幌に首都を移転しようというような意見もあったが、大正天皇の意思と、後藤新平自身に東京を経済都市にしていこうというきちんとしたプランがあった。
その中で莫大な復興費用も出され、首都が東京に定着した。第二次世界大戦の空襲の際も遷都が行われてもおかしくなかったが、GHQがいたということもあるがかえって首都が東京に定着するきっかけとなった。関西としては残念なところでがあるが。あの後東京から人が移ってきたりして1925年~32年は「大大阪時代」と言われ、大阪の方が東京より人口も多かった。
貿易の取扱量も神戸が横浜を抜いていた。もし首都が加古川に来ていれば、今村のプランは永田町と霞が関だけ移転すれば良いということだった。皇居は京都、経済は阪神経済圏があるのでそれで十分という考えだった。かつ瀬戸内海に面していて安全保障上も有利。
それを東京が封じたということ。
・ 大阪が候補に挙がらなかったのは天皇家との関係?
★    大阪遷都論は大久保利通が唱えたが上手くいかなかったので封じられたと思う。政治と経済を分けた方がいいということもあっただろう。東京は軍都のようになってしまったが。現在は究極の直下型地震対策は遷都しかないと思っているが。
湾岸の埋め立て地の地盤の弱いところに高層マンションが乱立している。液状化と停電で餓死者が出るかもしれない。かなりこわい状態。
〇 その話ともかかわってくるので、次章に行きましょう。

第2章 生糸輸出をめぐる横浜と神戸の攻防
第3章 東洋一の経済圏を目指して 「大大阪」時代

I  さんからレジュメ紹介(略)
〇 大大阪時代があったのに、移っていくんですよね?
★    東京が増えたのは、震災前から郊外に地域が広がって私鉄が発達して人口が増え、その後は差が開くばかりとなった。はやり震災復興もあり資金がつぎ込まれたのが大きい。ある意味では焼け太り。大阪も一時期はバブル状態だったが東京に追い越された。鉄道と郊外の開発は小林一三など関西の方が早かったが東京も東急などが同様のプロジェクトを実施。東京の方が面積が広く、どんどん人が戻り、また集まってきた。
・ 需要が増えたということ?
★    すごく需要が増えた。特に中小企業などが震災で古い工場が壊れ、それを更新する。第二次大戦終了後に倒壊した工場を新築して急激に伸びたのと同じことが東京で起こった。横浜は本当にひどく、市街地の9割以上が倒壊した。東京は下町が中心で山手の方はそれほどでもなかったが、横浜は埋め立て地しかないところ。もともとある伊勢佐木町など江戸時代の埋め立て地で地盤は緩い。写真等を見ても本当に焼け野原で壊滅的な打撃だった。
・ コクヨ(国誉)の話が印象に残った。災害に乗じて設けるのではなく通常価格で売って被災地復興に貢献したという話に感じ入った。
★    関西商人に限らず多くの会社が被災に乗じて設けに走ったのだが、その中でコクヨや資生堂は定価販売を守った。資生堂は石鹸を売ってた。特に震災後不衛生になりがちなところで供給を絶やさなかったところが後々の評判につながった。
・ 取材される中で社史をよく研究されているが、社史は美談になるよう書かれていたりする場合がある。脚色と事実を検証し見分けるうえでのご苦労はあったか。
★    記述のうえでは美談的に書かれているが、社史にはたいてい資料も添付されており、資料から判断したり、当時の業界紙や商工会議所の月報、ライバル社の社史などで検証することができた。美談が書かれているものもあるが工場などが壊滅的な打撃を受けたとうことは多くの社史に記載している。当時の新聞も参考になった。
当然のことながら9月1日の紙面には何もなく、翌日以降の紙面。怪しい話では富士山の噴火などの記載もあった。面白いところではイギリスが本国に伝え、英国駐在している駐在員の方が正確に情報をつかんでいた。
・ 情報の流れについて最近はSNS等が発達しているが、一方で偽の被災情報や偽の救援依頼が流れたり、まったく関係のない情報が流れてそれに踊らされるとうことが起こっている。
★    現代の方がデマの危険性は増大している。特にSNSではフェイク情報を流すのが当たり前のようになってきている。陥れようとすれば東京が壊滅したとフェイク画像を流すのも簡単。そういう中で日本にいる外国人も含め正しい情報を流すことが大切になっている。
・ 当時も朝鮮人の暴動などのデマが流れたが。
★    当時は警察官もその噂に載ってしまった。それを押さえたのは軍。陸海軍が大々的に協力した。ちょうど軍縮の時代だったので存在感が低くなっていた時期。それでかえってデマ問題や食糧確保などをきっちりすることで存在感を増した。
・ 情報を伝えすぎていることの問題もあるが、日本の情報空間の問題点として伝えないことをもって良しとするということが書かれているが
★    日本は割合隠したがる。特に官庁などが出してもいい情報なのに出さないということが残っている。現代自民党の問題でもこれだけ国会の議論を空費することはないはず。フェイクニュースが拡散しないようにすることと、必要な情報をきっちり出すというインテリジェンスの部分が日本は弱い。もともと軍部などは日露戦争の時でもそのようなインテリデンスには長けていたが、今の日本では教えていない。
新製品なども売れれば良いという姿勢でスマホなどの規制などは弱い。これで日本の機能が止まると在日米軍が動けなくなる。日本をとおしてアメリカに影響を与えようというような作戦に対して日本がどう対抗できるか考える必要がある。
・ 情報教育の必要性を痛感する。フェイクなどが多い中で正しい情報を選別していくスキルを身に着ける必要があるが、学校では教えていない。今は自覚のある者がが自己責任の範囲内で学習しているが、その程度では到底無理な話。どこが体系的に研究し、責任をもって国民にその教育なり啓蒙をするべきなのか?
〇 官僚?
・ 自治体でも国でもIT人財を採用しようとしているが、どこにそんな人財がいるのかも分からない。
・ 前提としてファクトチェックできる多種多様な情報がないと。日本は一つの方向に流れると同じ方向性の情報しか流さないのでファクトチェックができない。
★    大谷翔一の問題でも日本では良い話しか流れないが実際に米国では批判もある。しかし日本では全く流れない。日露戦争でも買ったという情報しか流れなかったのに講和条約を結んでみると賠償金も取れない。太平洋戦争でも全滅が玉砕、退却を転進、というような大本営発表が蔓延していた。そういう考え方が今でもあるように思う。
今問題になっている小林製薬の紅麹にしても患者自身が通報が遅れたということもあるかもしれないが、会社としてもっと徹底して販売収支や回収があってもよかったと思うが、そういうところについては甘い。そのため消費者は何を食べてはいけないのかがいまだに分からない。これは決定的な情報なので隠す必要のないものなのに、公開を控えてしまう。次に地震が起きた時に一番怖いのはこの情報の問題。
・ 生命保険会社のところが面白かった。大阪系の保険会社は政府のいうことを全然聞いていない。非常に自由な感じがする。明治維新から60年ほど経って、ひょっとしたら今の政府と民間企業の関係よりも対等な感じがする。何故そういう民間企業が育つことができたのか。
★    はやり大阪というのが大きいと思う。経済力も中央より大きく、天皇陛下も大正天皇になって明治天皇ほどの絶対性はなくなっていたのでどうやってこの体制を維持していこうか苦しんでいた。また世界的にも第一次世界大戦が終わってかつての五大帝国(ロシア、オスマントルコ、清、ドイツなど)がなくなり、辛亥革命やロシア革命が起こり流動的になっていた時代だった。エログロ時代とも言われる。自由主義が興り、共産主義が入ってくるという風に思想的にも良い意味では自由だが、ある意味混乱していて何が正しいのか、や日本の進むべき道を試行錯誤していた時に震災が起こった。そういう意味で、選択肢があった時代で、そういう時代には関西が元気だったということではないか。
・ 大阪系の保険会社がしっかりやったというのは約款もしっかりしていたのでは。
★    そのとおり。大阪の方が約款もしっかりしていた。東京は政治家の発想で被災者救済をしないと次の選挙で勝てないということもあったし、東京系は大手企業だったので救済にカネをつかう体力があった。また大阪系は海外の保険会社が約款どおりにしか支払っていないというのを見ていた。個人的には今の政府は経済活動に口出ししすぎだと思う。賃上げにしても政府が言ってやるのではなく経団連にもっとしっかりせよと言いたい。

第4章 地方経済界の驚くべき対応
第5章 進出するアメリカ
エピローグ

I  さんからレジュメ紹介(略)
・ もう一度遷都論について。文化庁の一部が京都移転した。著書にも地方分権という言葉がある。首都機能の移転は意味があると思うが、市場任せにしていては目先の利益でしか動かないので集積する方向にしか動かない。そういう意味でリーダーシップが大切。
文化庁ではあまり意味がないと思うが、企業人からみて何が移転したら企業として移転しようというインセンティブになるか。
★    やはり大阪に財務省移転ではないか。大阪に来れば関西は経済に厳しいので今のように大盤振る舞いをしなくなるかもしれない。そして文科省は廃止して教育を抜本的に改革する必要がある。6-3制の義務教育は必要なくなっている。もっと多様な教育があって良い。教員も疲弊している。海外留学している人がこんなにいるのに帰ってきて構造改革に手を付けようとしない。大谷選手でも音楽や他のスポーツでも個人では素晴らしい人が出ているのに教育のインフラ整備をきちんとやろうという人があまりいない。
・ 防衛省の幹部の人と話をしたときに、災害対策用に電力を供給できる原子力船をいくつか造っておくべきだという話が合った。それならついでに国会も船上に移してしまえばいいのではないか。そうすれば東京にこだわる必要がなくなる。
★    海上交通をもっと活用する必要はある。能登地震では港湾が使えなかったという問題はあったが、病院船なども含め
・ ソ連からの支援申し出を断ったということが書かれているが、今回の能登震災でも台湾からの支援申し出を断ったのが何かに忖度したのかというような報道がある。
★    中国との関係に配慮したという話もあるが、いずれにせよ非常時には政治とはしっかり話を分けるべき。非常時にはタカ派の議論が優勢になりがちなので気を付けなければいけない。たとえばトランプの発言もめちゃくちゃだが勇ましいことを言う人にはどうしても同調者が出る。これを停めようとするのは非常に難しい。アメリカのような多民族国家では一時的に行きすぎたことがあってもまた反省が起こるのだが、日本のような国ではそうなりにくい。ヒトラーやプーチンも最初は民主的に選ばれたのに偏っていくのを止められない。
・ 遷都について、日本では交通が発達したこの時代にはどこでも良いのではないかと思っているが、韓国の場合、首都機能をソウルから世宗(セジョン)市に移転する事業が進んでいると聞く。
それはうまくいっているのか
★    ソウルは北朝鮮との国境に近い。徴兵制もあり非常事態に対する訓練も行われており緊張感は高いと感じる。首都移転との関係でいえば、これだオンライン等が進んだ世の中なので代替できる機能を作っておくことが大切。企業の本社が全部東京に集中しているが、バックアップシステムがちゃんとできていないのではないかと危惧する。
〇 それは株主総会で聞いても良い事項。バックアップ機能をきちんと作っているか
・ 株主総会の想定問答には何年も以前から回答が作られている。BCPという言葉が10数年ほど前から言われだして、東北の震災で強化され、コロナでまた別の方向にも強化された。そういう意味で問答は鉄壁に作られているが、それが本当に機能するかは問題。非常時には代替拠点に移動することになっているが、今それをするかというとそれはやらない理屈がある。
★    想定問答だけではテーブルの上の作戦にすぎず実際には機能しない。最低でも一度は実際にやってみないと現場が分からない。バックアップの機能を作るなら平時からそこを拠点化しておく必要がある。
・ 大阪市北区在住で自治会の仕事もしている。地域は5千人ほどの住民がいて避難訓練もするが避難訓練もするが仕切るのは町会長他一部の人間で、役所に呼ばれて訓練をさせられる。ユニホーム等もあり見た目は災害リーダーぽいが、年一回の訓練で実際できるか。また様々な役割があり、どれも同じ人間がやっている。本当に災害が起きた時、地域のことより家族の対応で手いっぱいかもしれない。もっといろいろな人に役割りを持ってほしいと思うが難しい。また今は万博のPRが多く回覧等を沢山もらうが住民はそれほど興味がない。区長は不動産出身なので区内にタワマンを誘致して区の税収を増やすことに熱心。学校でも校長先生が万博に熱心。大切なのは分かるが淀川左岸線のため地場の人は地盤が下がってその対策にまた金がかかるなど、地域の人はあまり夢を感じていない。
・ しばらく前に加古川を訪問した。遷都の話は全く知らなかったしあそこが首都になるとは想像もできなかったが当時は栄えていたのか?
★    当時も栄えてはいなかった。加古川市立図書館に電話して聞いてみたら遷都の話は全く知らなかった。
・ 明石ならまだ分かるが、何故加古川だったのか
★    明石も含めてだと思うが災害が少ないことと防空体制が整っていたこと、後背地に阪神の経済圏があることがあったのだろう。また朝鮮・台湾が日本の植民地になっていたことから東京では東に寄りすぎていて関西の方が首都として適していたということもあったと思う。
・ 岡山などのように有力な人がいたのかと思ったが。
★    そういうわけではなかった。ワシントンDCやオーストラリアのキャンベラのように首都機能だけを移転するということだったと思う。
〇 大変面白い議論をありがとうございました。これからお酒も入れてさらに忌憚のない議論をお願いしたい。

Iさんの感想
私が面白かったのは,コクヨなど企業の評価をどのようにして調べたのか、社史は必ずしも正しくないという質問であったり,ソウルや姫路がなぜ首都候補になったのかといった書かれていないことについての質疑でした。
Tさんの感想
勉強会中にご指摘があった、社史による事実認定、という論点について、今回の課題図書を開いた当初から気になっていました。社史は、自社賛歌、さらに言えば現体制賛歌になりがちですので、事実認定の材料とするには難があるのではないか、という問題意識です。
私も仕事柄クライアントから株式会社や医療法人などの分厚い「●年誌」をいただくことがありますが、ほとんど開くことはなく、せいぜい会食前にパラ身をしてトークネタを探す程度です。
さて、今回の課題図書では、例えばコクヨの事例が文中に引用されていますが、コクヨが自分たちは誠実だったと述べているエピソードですので、話半分に聞いておく方がよいだろう、と私自身は考えています。
この点については、木村先生も当然意識した上で本書を構成して執筆しておられると思われ、どのような切り口で議論の俎上に載せるべきか、適切な質問の仕方が思い浮かばなかったところ、以下のご指摘がありました。「社史は偏った記載になりがちだが、そのような社史に基づく研究について、 どのようなご苦労がおありでしたか?」
私は、さすが素晴らしい質問力だなと大変感服いたしました。
事実認定に難があるという点ではなく、そのことを踏まえた上でどのような工夫がありますか?
という点に焦点を当てるご質問で、建設的な議論を引き出すものだと感じました。
これに対し、木村先生からは、まさにご指摘のとおりで、他方で、その時代という横串でみれば、大きな流れが把握できる、というようなご趣旨のことを仰っていました。
加えて、当時の新聞や商工会議所の記録など、他の記録と照らし合わせて情報を取捨選択しているというご趣旨のご説明をいただき、なるほどと思った次第です(後段は、食事の場でのご発言だったかもしれません)。
いろいろと興味深い論点がありましたが、個人的には、木村先生の財務省移転論、文化省解体論と並んで、上記ご指摘が大変印象に残りました。

 

 

(文責 北村)