今日は女子大生の日~\(^o^)/何やらうれしい日でありますが(笑)そーではなくてぇ・・・(苦笑)
1913年、大正2年に東北帝国大学(現在の東北大学)が女子受験生3人の合格を発表しました。今日は日本初の女子大生誕生を記念した日。大学はそれまでは、旧制高校を卒業した男子のための学校だったそうです。男子の高等教育機関に、女性の合格者が誕生したことになります\(^o^)/大変な出来事だったそうです!この3人は大学への門戸を開きました。初の女子大生は、黒田チカ、牧田らく、丹下梅子の3人~\(^o^)/三人とも、後々教育者や研究者として活躍したそうです。その中の丹下梅子さんは、初の女性農学博士としてその名前を残しました。ビタミンB1の発見者である鈴木梅太郎の下でビタミンの研究に力を注ぎました。鹿児島市にあるデパート山形屋の近くには、梅子・生誕地の記念碑が建てられているそうです。そこには・・・ミルクで育つ乳児に吹き出物が出来やすいのは、ビタミンFであることを研究によって確認。乳児発育に必要なミルクの生みの親。と書かれているそうです。すごい先駆者(^_^)/~





あんまり大きく報道されていませんでしたので・・・書いておきます・・・(;一_一)
太平洋戦争の激戦地だったフィリピン・・・・日本大使館主催の慰霊祭が15日に開かれたそうです。太平洋戦争の激戦地となったフィリピンでは、日本人50万人、フィリピン人100万人が死亡したとされています。戦前に沖縄などからフィリピンに渡った人も多く、遺族らが定期的に慰霊の旅を続けているそうですが、高齢化で減っているといいます。
1941年から1942年のフィリピンの戦い, 比島作戦, 日本側作戦名「M作戦」, 1941年12月8日 - 1942年5月10日は、太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦における日本軍のフィリピン進攻作戦。太平洋戦争でのフィリピンにおける戦死者は日本兵・軍属の戦死者がほぼ50万人と、中国本土での戦死者45万人と較べても突出して多いことを知りました。また・・・・フィリピン人100万人の方々が亡くなった・・・・。そんな数字にも驚きます(;一_一)





さあ!今日は何の日~(^_^)/

今日はプレスリーのご命日なんだそうです!1977年・・・昭和52年にロック界の巨星(笑)エルビス・プレスリーが心臓発作により死亡しました。なんと・・・享年42歳(ー_ー)!!1935年1月8日、米ミシシッピ州で生まれた彼は高校卒業後は、トラックの運転手をしながら音楽活動を続けました!!1956年にハートブレイク・ホテルの大ヒットで一躍スターダム(^_^)/長いもみあげとブルーの瞳、セクシーな歌声で、多くのファンを魅了し続けました。プレスリーのあまりにも早い死に、当時のカーター大統領は・・・・アメリカは自らの一部を失った!!という声明を出したほどの大スターでした(^_^)/




おはよーございます\(^o^)/ようやく日曜日\(^o^)/ようやく休みです(苦笑)盆休みなしの長い一週間でした( ̄ー ̄)しかし今日は軟式野球ブロック大会仕切りです( ̄ー ̄)ゆっくり寝たいなあ?どないやねん?今日も素晴らしい1日になりますよーに\(^o^)/15年前の今朝のゴン(^o^)/~~
#今朝のゴン(^o^)/~~





終戦記念日ですので!
戦時下のアイドル・・・
戦時中に軍部が発注していた兵士専用の雑誌があったそうです~\(^o^)/軍隊・・・平和ボケしている私たちには想像もつきません。この雑誌、兵士を癒していたんでしょうね~\(^o^)/
これは、慰問雑誌と呼ばれたそうです。誌面を飾っていたのは、戦時でも輝きを失わないアイドルたちのグラビアだったそうです~\(^o^)/
皇軍の皆々様・・・どうも有難うなどと甘く語りかける、彼女たち。雑誌を貪るように読んだ兵士たち・・・ブロマイドを切り取り鉄兜に貼ったそうです( ̄ー ̄)
創刊号のグラビア。左は原節子さん、右は山路ふみ子さん拡大写真
最大で200万部が発行されていた慰問雑誌なんだそうです。陸軍には陣中倶楽部、海軍には戦線文庫と軍ごとに分けられていたとの事。1938年に出版された「戦線文庫」の創刊号を飾るグラビアは華々しい。原節子、李香蘭(山口淑子)、高峰秀子……。女優、歌手、ダンサー。当時、世間の注目を浴びたトップスターたちが集っているすそうです~\(^o^)/
雑誌の中身は、いまの青年誌にも劣らない。艶やかな女性を描いたイラスト、ゴシップ、大衆小説や映画情報、漫才や落語など、さまざまな娯楽コンテンツやったそうです~\(^o^)/




終戦の日に書いておきます。
性接待役・・・・黒川開拓団・・・
以前に特集をしてました。前に調べた事を思い出して・・・再度書いておきます。あまりにも信じられない事ですので!!改めて調べてみましたが・・・私なりにも書いておかないと・・・(😭)
満州に国策の満蒙開拓の移民として渡った開拓団・・・村の面積の約9割を山林が占める岐阜県東部の黒川村。村の指導者らは、食料不足に悩む村の行く末を憂い、国策に従って満州への分村移民を決めました。1941年4月、黒川開拓団は29名の先遣隊を満州に派遣。翌年4月から毎年、3回にわたって計129世帯、600人余りが海を渡ったそうです。入植地は、新京、現在の長春とハルビンの中間地点にあたる吉林省・陶頼昭の鉄道駅から西一帯だったそうです。開拓民らは複数の部落に分かれ、豆、芋などを作付けして農作業に励んだそうです。
日本は中国の東北地帯に「満州国」の建国を宣言。大和民族を頂点とする五族協和をめざすとして、日本人を計画的に満州へ移住させました。「拓け満蒙! 行け満洲へ!」人々の愛国心や開拓精神に訴ながら、移民事業を推し進めました。しかしながら・・・すでに戦況で不利な状況にあった日本・・・ソ連との国境付近に日本人を配置して、軍事的に備えておきたい目論見があったとされています。満州国はもろくも崩れ去ります。1945年8月9日ソ連の満洲侵攻、6日後の日本の無条件降伏・・・・約27万人の開拓移民らは、突如、異国となった荒野に取り残されました。そこでどんな悲劇が起こったのか??もっと知っておかないと・・・
もともと、開拓民らが移り住んだ家や土地は、日本人を入植させるために、満州拓殖公社が現地民から安く買い叩いたものだったそうです。日本が戦争に負けると、現地民の一部は衣服や物品を狙って、日本人部落を襲ってまわったそうです。
黒川開拓団・・・襲撃から身を守るために、それぞれの部落から、本部近くの二カ所に集結。さらに人々を心理的に追いつめる一報がもたらされた。30キロ以上離れた隣の来民開拓団、熊本県の270人余りの、集団自決が伝わります。黒川開拓団は内地へ帰れるあてもなく、食料も尽きていくなか、暴民の襲撃に怯える集団避難生活となります。さらに・・・駐屯していたソ連兵らが、団の集団生活場所に毎夜のように「女狩り」にやってきては、若い女とみれば見境なく強姦をくり返したそうです。
そこで数名の団幹部らは、ロシア語の話せる「辻」という男の手を借りて、ソ連軍将校側から救援を取りつけます。日本に帰れるまで、現地民の暴徒や下っ端のソ連兵から団を守ったり、食料を分け与えたりしてもらう約束だったそうです。それは力強いものでありましたが・・・しかしながら・・・団幹部らが引き換えにしたのは・・・生身の人間(😭)まだ結婚していない・・・数え年で18歳以上の女性・・・黒川開拓団のなかから「性接待役」として、ソ連軍側に差し出されることになりました。まったく信じがたく考えたくない現実が襲います。条件を満たす女性を探してみると、12人から15人の少女が該当したそうです。ソ連兵らによる「女狩り」を防ぐため、娘たちがソ連軍将校の「おもてなし」をすることになったとき、「それなら死ぬ」と娘たちは言い、まわりの者も大反対したそうです。しかし・・・副団長が「兵隊さんに行っている家族を守るのも、おまえたちの仕事。団の存続は娘たちの力にかかっている」と力説したそうです。女性たちの犠牲によって、黒川開拓団は過半数が日本へ生還することができた。しかし、15人の女性たちのうち、4人は発疹チフスで世を去り、帰還することはできなかったそうです。今から36年前、黒川村は開拓団の「記念誌」を作ったそうですが・・・その中ではソ連兵を「豚の料理などで接待した」と書かれ、女性たちのことは一言も記されていなかったそうです。今生存されている方々の証言・・・後に伝えないといけない思いからのこの事件の発覚となったようです・・・村では封印された過去であったそうです。こんな事が堂々と行われていた・・・もっと悲惨な事も一杯あったんだと思います。心に封印した記憶・・・後世に悲惨さを伝える為に口にされた方々・・・どれだけ今から考えられないような事が起きたのか・・・証言者がいるうちに・・・悲惨さをしっかり後に語り継いでほしいです。




もう一発( `ー´)ノ今日は何の日(^^)/
ウッドストック・フェスティバルが開催された日!(^^)!
1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間、アメリカニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサートであるウッドストック・フェスティバルが開催された日。なんと・・・約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に、1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベント。
このウッドストックには愛と平和、反戦を主張するヒッピーや若者ら約40万人が集ったそうです。
しかしながら・・・初の大規模な野外コンサートであったため混雑など至らない点も多かったそうです。ヒッピーの中にはドラッグを使用する観客も・・・。しかし規模と観客数の膨大さに比べれば、驚くほど平和的な祭典だったとされています。
8月15日(金) 午後から深夜
リッチー・ヘブンス オープニング、「Handsome Johnny」、「Freedom」、「High Flyin' Bird」など
スワミ・サチダナンダ(インドの聖者)による祈祷
スィートウォーター 「Motherless Child」、「What's Wrong」、「Why Oh Why」
バート・ソマー 「Jennifer」、「She's Gone」、「Things Are Going My Way」、「Smile」
ラヴィ・シャンカール 雨により途中で中止
ティム・ハーディン、「If I Were A Carpenter」
メラニー・ソフィカ 「Beautiful People」、「Birthday of the Sun」
アーロ・ガスリー 「Coming Into Los Angeles」、「Walking Down The Line」、「アメイジング・グレイス」
ジョーン・バエズ 「勝利を我等に」、「Joe Hill」、「Swing Low, Sweet Chariot」など5曲
8月16日(土) 午後から翌朝
ザ・クイル 「Waitin' For You」
カントリー・ジョー・マクドナルド 「I Find Myself Missing You」、「Fish Cheer」など
ジョン・セバスチャン 飛び入り参加
サンタナ 「Persuasion」、「Soul Sacrifice」
キーフ・ハートリー・バンド 「Spanish Fly」など
インクレディブル・ストリング・ バンド 「Catty Come」、「This Moment Is Different」、「When You Find Out Who You Are」
キャンド・ヒート 「A Change Is Gonna Come」、「Going Up The Country」
マウンテン
グレイトフル・デッド 「St Stephen」、「Mama Tried」、「Dark Star/High Time」、「Turn On Your Lovelight」
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル  「Born On The Bayou」、「Bad Moon Rising」、「Suzy Q」
ジャニス・ジョプリン 「Piece of My Heart」、「ラヴ・サムバディ」など
スライ&ザ・ファミリー・ストーン 「エヴリデイ・ピープル」、「Dance to the Music」、「Music Lover」、「I Want to Take You Higher」
ザ・フー 「ピンボールの魔術師」、「マイ・ジェネレーション」、「See Me, Feel Me」、「サマータイム・ブルース」など24曲
ジェファーソン・エアプレイン 「White Rabbit」など
8月17日(日) 午後から翌朝
グリース・バンド インストゥルメンタル
ジョー・コッカー (Joe Cocker and the Grease Band) 「Delta Lady」、「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」など
大雨の為数時間中止
カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ
テン・イヤーズ・アフター 「I'm Going Home」など
ザ・バンド 「ザ・ウェイト」、「アイ・シャル・ビー・リリースト」など
ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ 「Spinning Wheel」など
ジョニー・ウィンター、フィーチャリングエドガー・ウィンター 「Tobacco Road」など
クロスビー、スティルス&ナッシュ 「組曲: 青い眼のジュディ」、「ブラックバード」、「グウィニヴィア」、「ミスター・ソウル」、「グウィニヴィア」、「自由の値」など
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド 「Everything's Gonna Be Alright」など
シャ・ナ・ナ 「カム・ゴー・ウィズ・ミー」、「The Book of Love」、「Duke of Earl」、「At the Hop」、「Teen Angel」など
ジミ・ヘンドリックス 「パープル・ヘイズ」、「ヴードゥー・チャイルド (スライト・リターン)」など16曲





81回目の終戦記念日。

政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれます。天皇、皇后両陛下と高市首相、遺族らが参列12時から黙祷が行われます。この戦争の犠牲となった約310万人なんだそうです。軍人・軍属約が230万人、民間人が約80万人が犠牲となったそうです。とんでもない想像もつかない数字であります。しかし・・・実際の犠牲者はこの数字よりもはるかに多いとされています。あらためて!!冥福を祈り平和を誓った式典。アメリカとイラン( ̄ー ̄)ロシアのウクライナ侵攻や中東や世界で起きるテロや紛争!なにやら再び戦争へと向かっている感じがしてない。中国は領海を脅かしロシアは北方領土を返還しない( ̄ー ̄)韓国はいまだに慰安婦問題で反日の姿勢をむき出しにする。近隣諸国との緊張が高まります。終戦記念日・・・歴代総理や閣僚は靖国への参拝は避けてきました。靖国も千鳥ヶ淵にも・・・火に油をそそぐ???参拝は国際問題に発展する??月並みな理由でありますが、なんで参拝が悪いのか??戦犯が合祀されてるとか?カードにされているだけやないかな?国を守るために、愛する人を守るために死んでいった方々にお参りするのが何が悪い・・・そんな芯のない曖昧な姿勢が長い間、曖昧に態度を示さない政府の態度が、現在の近隣諸国の態度を生んでると思います。若く・・・これからの命が・・・国の為に失われたことを・・・もっと考えるべきやないのか??高市さんには!是非とも靖国に行ってほしい!歴代の総理みたいにそんな芯のない方ではありませんから!そして・・・もっと戦争のことを子供たちに教えるべきだと思います。帝国主義や軍国主義?ファシズム??そんな事やない!!二度と繰り返さない為に・・・・犠牲になられた方々の為にも❗




今日は刺身の日なんやて?え?1448(文安5)年8月15日に刺身が初めて文書に登場したそうです。まさに日本の文化(^o^)/~~
室町時代後期の書記官・中原康冨の文安5年のこの日の日記に鯛なら鯛とわかるやうにその魚のひれを刺しておくので刺し身、つまり「さしみなます」の名の起りとあり、これが初めて文書に登場する刺身に関する記録とされているみたい。





今日は義理の母の命日。終戦記念日と同じで忘れる事はありません(笑)この年になると!年間にいろんな命日が巡ってきます(苦笑)まだ鮮明な記憶な12年前の今日にお別れをしました。長らく!入院していた母の永眠。最後は側にいる事が出来た事・・・よかった!彼女が歩んだ人生・・・きっと充実した人生だったと!思います。複雑な気持ちには変わりありませんが!病床でも!頑張ってくれた・・・頑張らなくてええのに(-_-)何もしてあげられなかった・・・そんな事ばかり思い出します。よく言います!人生は一冊の本のよう!どんなに・・・頑張った人生やろか!ほんまに・・・最後まで頑張った母・・・今は!ただ!ゆっくりとしてほしい!それだけです。