最近の読書について
少し本を読む頻度が減っていました。
これじゃいけない、と思い安部公房の本を2つ借りてきて読んでみました。なんでいけないのか、と思ったかというと本を読まないことはすごい本(小説)と出会う機会を逸しているからです。常に傍らに本を置いて、電車で移動中などよく本を読んでいた時に比べて、いい本と出会っていない状態です。
ある本のある一文が気付きを与えてくれることがあります。
私の好きな作家で福永武彦さんの文章の一節にこのような記述があります。
「一人で遊んでいる赤ん坊を見る時に、僕らはそれが完全な幸福の状態であることに気がつくだろう。赤ん坊は太陽の暖かい光線の方に顔を向ける。傍らにあるものをつかんで、小さな手の中でその形、その重さを確かめる。かすかな物音に耳を澄ます。その意識の中では、恐らくは外界の時間と内部の時間とが微妙に調和し、思考というものはその原型のまま本能の形を採って流れ、感情もまた原始的な無垢の状態を保っている。赤ん坊のもつ孤独は人を微笑させる。その孤独には、他人を傷つけるものも、自分を傷つけるものもない。もし閉鎖的という言葉を使うならば、この孤独は完全に閉鎖的であり、しかも同時に充足的である。それは一つの美しい矛盾をなしている。」(愛の試み)
この文章の美しさは何度読んでも惚れ惚れします。この文章を理解したら赤ん坊を見る目が変わってきませんか。
さて今回読んだのは安部公房の「燃えつきた地図」、もう一冊は「他人の顔」です。
「砂の女」と共に失踪3部作と呼ばれている小説が「燃えつきた地図」と「他人の顔」です。結果、「燃えつきた地図」は当たりでしたが、「他人の顔」は途中挫折です。
「燃えつきた地図」は失踪した男性の奥さんから探偵に人探しの依頼が来ます。その探偵の目線での物語です。エンタメ性はまずまず、哲学的な考察ができます。閉鎖的な雰囲気の文体が私的にはとても良かったです。失踪した男はいくら痕跡を探しても出てこない、そもそもこの男は本当に世の中に存在したのか、という根本の疑問を探偵は抱えます。詳しくはないのですが、哲学の実存主義をテーマにしているように思います。読後はネットで色々な方の考察を見て、それについてまた自分で考察するという感じでした。しばらく余韻に浸れるいい作品でした。しかし、いきなり安部公房の作品で初めて読む本ではないです。安部公房は強烈なマニアがいて「砂の女」「箱男」は金字塔ですね。他の本は結構人によって評価が分かれているように思います。「壁」「棒になった男」「第三間氷期」などのSF系は私はちょっと苦手でした。「他人の顔」も今回挫折しました。本選びの難しさを感じた今回の読書でした。