JR福知山線脱線事故から11年 | 小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

兵庫県の田舎で、茅葺きトタン引きの古民家でデザイナー&イラストレーターとして生活しています。
自宅兼事務所の「古民家空間 kotonoha」は、雑貨屋、民泊、シェアキッチン、レンタルスペースとしても活用しています。

JR福知山線脱線事故から今日で11年。

11年前の今日、2両目が激突して折れ曲がった柱の内側で、片足を挟まれて逆さまにぶら下がっていたときに見上げていた空と同じ青空が広がっていた。

事故現場には、関西圏の方のみならず毎年たくさんの記者が取材に来ています。できるだけそれに応じるようにしていますが、その中に、事故当時からずっと現場で取材をしてくださっている記者の顔を見つけるととても安心します。
今日の現場での囲みの取材のときに、これまでずっとお世話になってきた女性記者が他の報道関係の皆さまを仕切ってくれて、僕が応えやすいように皆さんを代表して質問をしてくださったので、取材が終わってから「今日の現場の幹事社だったの?」とお聞きすると、「そうじゃなかったけど、そうした方が良いと思ったから何となくそうさせてもらいました」とのお返事でした。

この事故のことに対しては、これまでに数えきれないぐらいたくさんの取材にお応えしてきましたが、きっと彼女も、僕とは違う立場でたくさんの被害者や加害者、関係者の方に取材をしてこられて、今日、また現場での取材に来てくださったのだと思います。十把一絡げに「報道関係者」と言っても、上司に「とりあえずコメントを取ってこい」と言われてやって来ただけの、まったくこれまでのプロセスを把握していない記者もいれば、事故の担当を外れて遠方に異動になったにも関わらず、毎年個人的に現場にお花を持って訪れる記者や、個別の取材じゃないのにこんな遠方のド田舎まで今年の取材について相談に来てくださる方がいたり、様々です。当然、この事故に関しては僕は取材をされる側で、記者の皆さまは取材をする側なのですが、この11年の間にはそれぞれの立場で人生の大きな転機や価値観の変わるような出来事(結婚したり子供ができたり、職場が変わったり)を経て、今、このときを迎えている訳なので、安易に「風化をしている」という言葉を使ってはいけない重みを感じています。きっと、「コメントを取ってこい」と言われてやって来ただけの記者の対応を受けて傷ついているのは僕らのような取材対象者だけではなく、それを同業者として隣で見続けている記者も、きっと同じように心を痛めているんだろうなと感じています。そこに、「風化」という使いやすい安易な言葉はそぐわないような気がしている。