一匹狼気取りとか悲劇のヒロイン気取りだとか、昔言われたことがあるけども

泣こうとして泣いたことなんて一度もないし(泣きたい夜というのは、意外にも涙が出ないもの)、人を遠ざけるのも本望ではなかった(※自分はクズだから遠ざけるべきだけど人の温もりは欲しいし、でも欲しても与えられないのも分かってるし、という葛藤)。


ヒロインなんてスポットライト浴びそうな立ち位置には居たくないって思ってたし、「一匹狼」という名前程のかっこいいものには到底なれない二度と呼称を間違えるなとも思った。

それだったら、疫病神の方が合ってるな、って最近は思う。(ちょっとその節を感じる今日この頃…はまた別の話にして。)少なくとも「悲劇のヒロイン」とかいう身の毛がよだつのよりはいいかなって。


ちなみに、その言葉に散々泣いて泣いて、言った張本人は覚えてない。そんなもんだよ。

そうでもないとこんな細かい話、世に出せない。

自分で殺めたかはともかく、人のタヒというのはどこまで人に影響を及ぼすか

出血の有無は、どこで倒れた、いつどんなタイミングでか。多分結構色々絡み合ってるんだと思う

だから、下手に交友関係(それは大袈裟にしろ、「私の面を知る人ら」)が広がってしまうと、誰かしらが万一思い出してしまうと、芋づるになってしまう。


交友関係を断つ、って多分思ってるより簡単じゃない。

離れる適当な理由が浮かびもしなければ、よしんば浮かんだとしても伝える度胸が無いであれば、失踪する他なくなる。

それが命日でもいい、とも考えてたけど、早計な気がしてきた。

確実に命日にできる自信があるなら速戦即決でもいけそう。


仕事は最悪、戻らないわけだから「飛んだ」扱いでもいける。後から故人だって知るわけだし

他は、空気になるしかない。間違っても誰かに連絡しちゃいけない。友人と会う約束なんて立ってしまったら…考えるだけで恐ろしい。

自然にゆっくりフェードアウトできるのが理想。

樹海でも行ってろってなる。決心つかないよわよわの私なんかは。

なかったことにできたなら、誰も悲しむ必要はなくなるから
悲しむって予想をする悲しい私

存在を抹消できる魔法があったなら
記憶をいじくりまわせるチートがあったなら
私は自在に生死を彷徨えたのかもしれない
けれど
私は生きている
死に損ないの魂

本当の死は忘却だって誰かが言っていたけれど
それなら私はいつタヒぬのだろう
私を赤く染めたとして
私を片隅に覚えている誰かが私を生かす
それを誰かに伝え保持されるなら
私は不死身だろう

誰かが悲しむ可能性を捨てきれないから
その気持ちを汲んで
生きることはしたくないからせめて
悲しまないで済むように
私はいなくなる


結局、私は魔法使いでもなんでもないから
自然と誰かの記憶に私が刷り込まれる
今日も今日とて記憶に残らないように密やかに

記憶の添削が不自由ならば
認識をこじらせて仕舞おうと愚考してみる
誰かが私を覚えていても
悲しまないで済むように
悲しみの対象から外れないかと模索する

思考はアルゴリズムだったりそうでもなかったり
記憶ぢからは不自由

ただひとつ
私はまだ、タヒんでない。

「薄っぺらい楽しい」は安心する

その場だけを切り取ったものだし、後に何も残らないから。


こう、楽しいが出てくると、楽しいと思える日が続くと、自分の闇全てが嘘だと思いたくなる。(これはある意味での自己否定なんだけど、今はそんなことどうでもいい。)

というか、元気な時に、「ああ私、今元気だ」とは思わないのよ。調子を天気に例えて自分を把握するアプローチを主治医から教わったけど、未だにできない。楽しくない時は見たくないし、楽しい時はそんなの不要に感じる(そもそもそんなこと忘れてる)。

「楽しめるんだから、お前は健常者なんだから、メンヘラの振りをしてんじゃないよ」って感じ。いやね、うん、分かる。隔週で通院し続けてる奴のどこが健常じゃボケ、って。もう6年経つってマジ?

その時の気持ちで眼鏡に色を付けられるなら

現実はどこにあるだろう

「事象(事実)」を導き出すのは難しい


例えばCBTで「苦しい思い違い」を「矯正(思い直しの方がやさしいかもしれない)」したとしても、より息しやすくなるだけで

それはもう、記憶の改竄と大差ないのではないかって。

記憶は不確かで作り物みたいなものなのだから


「とは言いきれない」だけで、どっちに傾くこともできない。決まるのはやっぱり自分の眼鏡越しだけで。そういう意味では、勇気を出して確認を取っても、信じられなければ「事実」が意味を持たない。

消極的でさみしい反証。

「思い通り」って言えば少しは景気がよくなるだろうか。


いや、ひねくれてるのは分かってる。なにも言わないで。


感情がある所為だとは思う。


解釈と思い込み。こじつけ。