感情を扱えない、プラマイ関係なく。「感情に圧倒される」ってやつ

よいものでも胸騒ぎがする。落ち着かない。


だから、いつも一歩置いてる(引いてる)っていうのもそうだし、俯瞰視点のお姉さん(おばさん)なのもそういうことだろうし

2人で話してるのに三人称なんだよ相槌が

離人のせいかこれ!というか解離か、認めたら、知覚したら自覚してしまうから…さすがに詭弁?


自分の反応が人によく思われないがち

ツボがずれてるらしい。それに尽きるんだけど

「なんで笑ってるの?」とか「なんて?」とか言われる。自我を突き通さない方がいいと学習、これも俯瞰おばさんになった要因のひとつ

自分でその手のこと言わないから、それを言う時の感覚が掴めず、余計に、責め立てられていると判断。

怒られるのは色んなことでよくあったから、そのひとつだと思ってる

余談だけど怒られたら泣きたくなくても涙が出る。泣いて済むなんて自分がいちばん思ってない。

お前はそこに居ないんだから

一喜一憂は全部観測者の感想。



戻ってきてからのリョクは、楽しい以外のことに怯えてるような節がよく見受けられる

やさしいものも苦しい、勘繰りが増えた感じ

その「楽しい」だって、上っ面で当たり障りのないものを望んでる

それも、輪の中には入らずに観測者を望む


人と深い関係になるのを恐れるのは、自分が認識されてしまうから。

「幽霊が見える人」に見られてる感覚に陥る

私は居ないのに私と目が合う、みたいな



自分の存在を認知する必要がある話が苦しい

貶されてる時はだって、私も同感だし、別にそれでいいし言われ慣れてるし(痛いけど)

人は悪口の方が盛り上がれるんだよ


私はリョクだけど、リョクって愛称だから、要は同じなんだよね

着ぐるみ着ても苦しいものは苦しいよ。タヒのうとしたけど誰も赦してくれない。

許しを乞うものではないけど

タヒぬべき時にタヒななかったせいでタヒねなくなった

所詮その程度。



やっぱり私はがんばれないよ

変われないし変わろうと思い続けられない

孤高の底辺になるしかない



楽しいがいちばんの安心

時間を置いた



そういう意味では、本当に「自分」への当事者意識が足りてない


起きてられなくて横になっててもくらくらして
どこからが甘えなのか、人は苦しくても立っていられる
私にはできない
日常生活を営む難しさ、どうしてそんなに動けるのか
お互い理解できない
その人のペースというものを頭で分かっていても、まさにその瞬間に慮れない

前を向け
目の前は地面だ
進めない思い通りにならない
頭で分かっているけれど、は理解に値しない
優しくしたら自分が損をするから
報われないことを当たり前に損と思う
すっきりしたいだけで反応を思った結果に仕立てあげたい
誰の為の芝居だ

だからといって望まれたであろう行動も空回りする
どうやらそれは当たり前であって、喜ばしい行動ではないらしい
できなきゃいけない
それをできない
自分にはできるから理解できない
言って理解できないことに説明を求めるな
相容れない部分を問い詰めるな

寝過ごすことも起きてることもできない

ある日、丸1日横になっていれば夜頃に掛けて調子が戻る

だから或る日は午前中に運動ができた

頭痛は続き、睡眠の不安は膨らむ


夜勤明けだから昼夜逆転しようと、お昼頃に飲んだ睡眠薬は手足に力を入らなくするだけ

今日は寝ることに失敗した。



起きてやることがある。

それだけで充分。

「済ませた後にゆっくり寝る」という程簡単に身体が動かない。怠慢にしては頭も重い。言い訳かな

でも動き始める時間の直前までは寝ていたい。起きてから動きたいの。元々起きてるんじゃ被害者面してしまう

眠れない癖に睡眠時間は確保したいから


せめてふと起きた時に起きてられたらいいんだけど

何もやる気が起きない。私は気分障害の診断は下っていない。ひとつの事に半日費やすのが大体だ。洗濯をしたなら洗い物は夜まで(少なくとも)できない。

何かしたい気持ちも気持ちだけで終わっていく。その癖、時間が過ぎるのは遅め。



ふと、デイケアで教わったセルフコンパッションに触れたくなった。

それでもやっぱり易怒性は変わらないのだけど。

いや、易怒性の緩和が目的ではないからいいのだけども。


でも思った。まだ前の積み重ねの傷が癒えていないだけだ。

ほんとこの人嫌い。(自分)

整骨院に行ってから、右側の存在を初めて実感した。

痛い。(肩甲骨が硬すぎるらしい)

「何も感じない」から「痛い」に変わった。それを周りの人が大体「よいこと」だと言う。


よいことだと、どうしても思えない。

「痛いのに気付かないと、重大な病気に気付けないだろ」、理屈はまぁ分かる。

けど、痛いじゃん。

痛いのは悪いもので、煩わしいもので、いらないもの。

最近感じる胃痛も同じ。他の何か、何かしらの痛覚もそう。

痛がるだけ無駄だと思うし、「その程度で…」って思考がやっぱりよぎる。

もちろん、自分に関して。他の人の痛いは妥当だと思う。どれも。


痛いのを知覚(自覚)してしまったら、それに囚われちゃうじゃない。

痛いじゃない。

痛くなければそれだけで、他のことに気を回せるじゃない。

ネガティブな感情も同じ。苦しいって自覚しなければ苦しくないもの。