学生の皆様の前に立った時の質問あるあるなんですが。

 

「介護の仕事は大変なんですか」

 

そーゆー質問は微妙に難しいですよね?

 

まー「介護は大変(仕事は大変を含む)」ってイメージを定着させた僕たちを含む現場とメディア、そして社会に原因があるでしょうけど。

 

 

多くの批判を浴びることを覚悟で敢えて僕がなんて答えているかを公開しましょう…

 

「仕事を大変にするかどうかは自分で決めましょう」とゆーアンニュイな回答をしとります(-ω-)キラキラ

 

 

まぁ、介護に限らずどんな仕事であってもそうだと思ってるんですが。

 

 

学生の皆様だと特に話が通じない…いや、きっと現場でもそうなんですけど…

 

「作業」とか「業務」としての介護

 

 

「仕事」としての介護

 

は、全く意味が違うんですよ(と、話したら「スピリチュアルな話で難しかった」と以前のアンケートが返ってきましたが)。

 

スピリチュアル…なるほど、そうなりますか、そうですか(-ω-;)

 

 

そうなってしまう理由を僕なりに考えてみますと

 

この国の『学習』は「答えが一つに決まっている(いわゆる『正解』がある)」ことで成り立っていることに起因するのかな、と。

 

定められた方法を用いて、定められた一つの「正答」を出すことが「自分にできるかどうか」を就業先の向き不向きの尺度にしよう!的に発想するんじゃないかな。

 

つまり、「作業」とか「業務」ですね。

 

 

もしも、仕事がそうした「作業」や「業務」をこなせばいい、というものであるならば、今後「従事者」という肩書はどんどん減っていく、なくなっていく、と僕は思っています。

 

何故なら「決められたこと」を「決められた通りの方法」で「決められた答えに導く」という点において僕たちは近い将来…いいえ、すでに現時点で「機械」や「AI」に圧倒的に劣っているからです(え。僕だけですか、そうですか)。

 

例えば介護に限定して考えてみても「人としての温かみガー」とか「優しさガー」とかを理由に介護従事者として機械やAI、海外の労働力に奪われない、などと本気で思っている方々に僕個人は全くついていけてません。

 

だってそんなことはニーズが決める事だと思うんです(まー、そこに人員基準がどーだあーだは残るんでしょうけど)。

 

 

現実には「人に頼むよりも機械の方が気兼ねしない」といった意見の方が多数じゃないかなー、と。

 

例えばアナタが指しか動かせない状況だったとします。

 

ボタン一つで「誰か」が飛んできて全更衣してくれるのと

 

ボタン一つで「機械」が全自動で全更衣してくれるのと

 

どちらを選ぶでしょうか。

 

基本的に「後者」じゃありません?「イイヒト」だったとしても結果は同じ。むしろ「イイヒト」には大変な作業はお願いしたがらないくらいでしょう。

 

 

介護では研修などを通してひたすら手順を教わろうとなさいます。

 

まぁ、ゼロからではどうにもなりませんのでそれはそれで大事ですし良しなんです。

 

でも、入力した手順通りの事を入力された手順通りに作業して終わり、を単純に繰り返すなら完全にルーチンワークですし、やっぱり機械で代用は可能になっていきます。

 

このやりとりを繰り返して毎度「手順を教わろう」「教わった手順で行おう」「教わった手順通りに実行」でパーフェクトグッ!…と済ませ続けた方が行き着く先は「教わってない事は出来ません」という事になり、機械と何ら変わらないんでない?

 

まー、信じられないことに現場では本当に結構フツ―に起こるんですけどガーン

 

それだと「入力されてないから出来ません」と一緒で、ホントは仕事になってないんだけどもちろんそれにも気が付けない。

 

仕事になるのはその「手順通り」を越えてどうにかしよう、なんとかしよう、どげんかせんといかんっ…とした先に初めて生まれてくるもんだと思うんですが…違いますかね?

 

少なくとも「手順通り」が通じない事例に対してであってもなんとかしてくれるに違いないっ!…となるなら「良い仕事してますね~♪」が言えるんじゃないかしらん?

 

 

「過去に入力された作業に固執する」のも同様で、その作業手順と作業方法「しか」しない。

 

時代はこれほどまでに変わっているのに同じこと「しか」しようとしない。

 

まぁ…それが今の「普通」なのかもしれませんし、僕は異常なんでしょうけど。

 

 

でも目的や目標が「変わらない」という事はあるけれども、人や社会が猛スピードで変化していっているのに方法や手順が変わらないという事はそれはほぼ間違いなく「退化」なんじゃないでしょうか爆弾

 

もちろん、好き勝手に変えて良いってわけではないッスよ?

 

けれど、より良い方法やより良い手順を自分が得た知識や技術、経験等々を組み合わせてより良いであろう根拠を固めながら求め続けていく必要はあって、それは僕が考えている「仕事」ってもんになっていく。

 

どこかで「作業」を「仕事」に高めていかなければその「作業」は誰かに奪われていくのは必至だと思うんです。

 

今やその誰かは機械ロボットも加わって「アナタ」である必要はなくなっていくんだろうと思っています。

 

 

本当はサービス単価にはそこまでの差がついて「作業」なのか「仕事」なのかで評価が変わってしかるべきだとも思うのです。

 

まあ、それについてまで詳しく書くととんでもなく長くなるのでサラッとにしときますけど

 

同チェーンコンビニであっても、「行きたくなる店」と「避けたい店」がでてきません?

 

それは同じ金額を払うけれどもサービス価値は一緒ではない事を意味していると思うんです。

 

サービスとは本来は「常にナマモノ」で「常に時価」というのが変態的な僕の価値感(笑)。

 

消費者は当然、無意識にそれを選んでいます。

 

なのに介護報酬は改定でその差を埋めた気になっt…pろh2p3ghpa…あ、なんでもないです。昭和だなぁ…って話でした。

 

 

話を戻します。

 

そんな変態の考え方に当てはめると介護のような福祉サービスにおいては

 

作業とは「最低限の実施事項」

 

仕事とは「そこから先のサービス」

 

になっていくものだと僕は思っている訳です。

 

 

まー、要するに

 

「作業」は定価の範囲のものであって

 

「仕事」はチップをあげたくなるものって感じかな。

 

 

 

で、冒頭の質問に戻ります。

 

Question

「仕事は大変なのか」

 

Answer

「そこから先のサービス」を自ら生み出していく人の「仕事」は大変なことになります。

 

一方で「最低限の実施事項」を続ける者には他人からの「作業の追加」が大変なことになります。

 

「大変」という漢字は同じだけれども中身は全く違ったものになっていく。

 

…という僕なりの答えは「スピリチュアル」だったらしいorz

 

もっと通じるように精進したいと思います(-ω-ガーン

 

 

少なくとも僕に当てはめた場合、徹底して「作業」をこなしてきたならば、僕は介護についてこれほどまでに悩み、ある意味上り詰めていたのにもかかわらず震災直後にゼロから起業してまでひーこら言いながら介護事業を経営するような事にはならなかったと思うんです。

 

当初としてはあり得ないことに介護の仕事を新たに生み出すことが仕事になっていった訳ですけれども、それは個人的に仕事を越えて「志事」になっちゃっただけであって。

 

そうまでしてしなきゃならないものかと聞かれたら「そりゃー、僕が志した生き方だから」ってことになるんで辛いからどうだとか大変だからどうだとかはもはや関係がないんですけど(笑)。

 

ここら辺はなかなか他人には分かってもらえない。そりゃそうだ、個人の志だもの。僕はこう生きよう!って話だし。

 

 

前回、「5円ヘルパー参上!」で書いた澤井大権現は完全に仕事を越えて「志事」でしょ?

 

「アホちゃうか、言われますルンルン」と仰ってましたが、見ている先が違うんですよ。

 

彼は自分のためにだけやってるんじゃいんです。それだったら訪問介護でサービス責任者(ある意味彼も若くして上り詰めちゃったんだな)してりゃ良かったんです。

 

人生も安泰である確率が高かった。けれどそれを捨て去って志のために駆け巡っている訳です!

 

 

正しいとか間違ってるとかじゃなく、僕と同時期に、あるいはそれよりも前に同業で就業していた皆様はどうなったか。

 

9割以上は居ませんし、残っていても立ち場すらさほど変わってなかったりして、それなりに大変でそれなりに楽してちゃんと作業は続けられるものです。相変わらず会えばすでに聞いた事があるような不平不満しかないし、言っている内容も驚きのタイムスリップ体験が可能なほど変わらない方もいるのは凄いことだと思うけれど。

 

極端に表現するとメイクが変わった。老けた。それくらいしか差を感じない(方もいるって事です)。

 

 

目的と目標を共有した上で、TPOに応じて代用したり応用したり場合によっては排除したり「より良い正解を導いていこうとする」事が出来なければ、僕は人が人の介護を行い続けていくことに意味などない気がしています。

 

何故なら同じ人であっても同じ方法や手順で「変わらない」で良いという事は介護には存在しませんし、同一人物であっても「同じ人」ではあり得ないから。

 

何故なら…

 

同じサービスであっても同じことをし続けていれば必ず押し付けになっていくものだから。

 

福祉や親切と言ったものはその都度振り返って慮り、思い悩まなければ迷惑にさえなっていくものだから。

 

良かれ、で押し付けられたありがた迷惑程に困った作業というものはもはやサービスですらないから。

 

 

契約内容通りにやってやってんだからこれで良いでしょう?と疑問にも思わずに作業に勤しむ介護従事者は僕的には介護作業はしているけれども介護の仕事はしていないって話でした。

 

あー、「なんかスピリチュアルな話で難しかった」って事であれば、スミマセンでしたアセアセ

 

もうちょっと表現力があったら良かったんだけどね~タラー

 

 

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