数時間前まで和来座の全体稽古をしていた。

全国各地で豪雨被害の出ている中阿智村も雨が続いていたが、今日は久しぶりに太陽が顔をのぞかせ夏らしい日差しを浴びることができた。セミが鳴き、畑のミニトマトがようやく色づき、ブルーベリーも熟し始めている。まぎれもなく夏が来たのだ。そして公演の本番も1週間後に迫ってきた。

今日は10時からお稽古開始。そのためには9時から今日使わない太鼓や台をハイエースに積んで場所を作ったり、道具の準備をしないと間に合わない。その前に自分の鹿踊りの太鼓を締めておこうと思って8時半ごろ始めたら、もう汗がじわじわと出てきて止まらなくなった。この蒸し暑い中ではあるけれども、しばらく前から本番を想定して衣装を着てのお稽古も始まっている。

私には鬼剣舞の踊りだけでなく、着付けも大きな課題となっている。

実際に装束を着て踊ってみるとあっちもこっちも「ここはもっと短く」「ここは紐でなくてマジックテープの方がいい」と改良する必要が出てくるので、コツコツ切ったり縫ったりし、だんだんと身体に合って着脱しやすい衣装に変えてきた。

鬼剣舞の装束は点数がかなり多く、数えてみたら足袋から襷から刀まで全部入れて23点のアイテムがあることが分かった。装束をつけるとそれだけで体が結構重くなり、一度踊っただけで結構ぐったりする。でも花綯の仲間の皆さんが一生懸命お囃子を入れてくださるし、お師匠さんもお稽古のたびに体を張って教えてくださっているので、何とか立派に踊れるようにがんばろうと思う。

稽古の休憩の時間に、畑で獲れた桃を皆さんにお出しした。お師匠さんちの畑に桃の木が1本あり、ちょっと剪定しているくらいで消毒も無しに、おいしい実をつけてくれる。小ぶりで天使のおしりのようなキュートな形だ。市販の大きくて柔らかい桃と違ってカリカリ食べるような固い実で、味がちゃんと濃くておいしい。これを食べると初夏だなぁと感じる。

おしりと言えばお師匠さんのお尻は一部のファンの人に絶大な人気がある。

浴衣に鳥い笠をかぶって踊ったり、ぢゃんがら念仏の鼓を打つ時の後ろ姿がたまらなく色っぽいと老若男女に評判だ。もちろん、それは踊りそのものの優美さと魅力があってこその評価だ。

 踊りのすごくて不思議なところは、人が動いただけで観た誰かが感動するというところだ。なぜお師匠さんの踊りに感動するのか。その謎がまだ解けない夏の探偵でいる。

今日は久しぶりに稽古以外のことをした休日だった。

和来座の合同稽古を重ねるたびに確実に全ての演目が練り込まれていっており、演出であるお師匠さんの、皆に対する要求もかなり具体的になっている。稽古をする中で「ここはやはりこうしましょう。」という変更もある。なるべく次の稽古には指摘された点を直したり覚えたり、自分で考えた上で臨みたい。そう思うと休みの日は貴重な時間で、あれもこれもやろうとしてあっという間に終わってしまう。たまには少し他のことをして離れる時間もあった方が良いかもと、一昨日収穫した玉ねぎをお土産にさせてもらい実家へ帰ってきた。

玉ねぎはここ数年霜にやられたりして中々成功をみなかった野菜だが、今年はなんと!1600あった苗がほぼすべてうまくいき、全てを収穫して干すまでの一連の作業は3人で午前中いっぱいかかった。

まずはとにかく玉ねぎの根っこをメリメリと土から抜いて引きはがし、畝のところに置いていく。ずらっと並ぶ玉ねぎは壮観だ。次にそれらを一輪車に乗せて畑の隅の草捨て場の近くに運び、葉っぱの部分と根っこを切り落とす。切り落としたものをコンテナに入れていき、いっぱいになったら稽古場のベランダに並べて干して、また空いたコンテナを畑に戻す。その繰り返し。

私はお師匠さんのところへ来た当初、こうした作業の時にお師匠さんの動きを見て学ぶことができなかった。何も言われないときは今の自分のやり方で得に問題ないのだろうと思い込んでいて、「本当にこれでいいのか。」「もっと良い方法はないか。」と考えることを思いつきもしていなかったのだ。今はようやく、もっとうまい方法はないか探ったり試したり、お師匠さんがそうしている理由を考えたりするようになった。

休暇を満喫し先ほど帰宅してみたら、稽古場の机の上に鬼の面が置いてあった。お師匠さんはここ数日、私が鬼剣舞でかける面の色の直しと目に真鍮をはめ込む作業を進めてくださっていた。目の周囲の赤や青が鮮やかに塗りなおされ、眉のところにも細かな筋が入り、汚し効果がされている。目は金の塗料を塗っただけの以前の状態と比べて格段に迫力を増している。数年前に一から彫ってくださったこの面は前も十分立派だったが、よりグレードアップした。あとは私の踊りがこの面に見合うようにがんばるのみ。

そのためには身を軽くすることも大事で、今はいかにポテチを食べながら減量するかを考えている。

雨が降ってきた。雨の粒が木の葉や屋根を優しくたたくパタパタという音に耳を傾けながら、パソコンに向かっている。阿智村は夜から朝にかけてはまだまだ肌寒いので、薪ストーブには赤々と火を熾している。ゆらゆら揺れる炎をたまに眺めながら、この雨は、植え付けたばかりの長ネギにとって良いお湿りになろうし、代掻きと畔塗りを終えた田んぼも十分な水を湛えられるだろうと、そんなことばかりぼーっと考えてしまってなかなか原稿が進まない。昼間の作業でけっこう体力を消耗していたようだ。

今日は午前中いっぱい、真央ちゃんと手分けしながら地面に大きな2つの穴をひたすら掘っていた。一つは生ごみを埋けるコンポストの穴。もうひとつは、薪ストーブから出る灰を捨てるための穴だ。どちらも最近いっぱいになってきたので、古いほうを埋め戻しつつ新しい穴を掘ったのだ。

穴掘り作業にはとても思い出がある。弟子入りする前に、お師匠さんの家に初めて農作業の体験にお伺いした時の作業が穴掘りだった。当時はスコップの使い方がまったくわからず、持ち方も今思えば全然なってなかったと思う。道具はちゃんと持てないと使いこなせない。

最近は農作業をしながら、7月に開催される「和来座 第3弾 ドドンと太鼓で邪気祓い」に向けて、様々な演目の稽古を同時進で行っている。出演メンバー一人一人にとって新しい課題がある。

私も今回、鬼剣舞の踊りをはじめ、さまざまなことに挑戦する機会をいただいている中で、特に「盆舞」は今までまったく触れたことのないものでもあり、苦戦している。お師匠さんが作ってくださったピカピカのお盆は、ちゃんと手の上で落とさずに持つだけでも難しく、繰り返し落としまくった結果、ものの3日経たないうちにおんぼろになってしまった。

道具も楽器も、ちゃんと「持つ」ことができるようになったら大きな進歩ではなかろうか。

獅子頭を持つ。獅子の視線がまっすぐ前を向き、上を向いたり下を向いたりしないように持つ。お盆を安定した状態で持つ。笛を、力まないで支えながら持つ。三味線のバチを、ちょうどよい指の位置になるように持つ。すべて難しい。

明後日から始まる立川志の輔師匠の「薫風独演会」に備えて、締め太鼓を良い音に締め上げた。締め太鼓を締めるときに、締め上げ棒と太鼓を、最も力の伝わる角度で持つ。これもまだマスターできていない。今更モテたいと思いはしないが、「持てる」人になりたい。